先日、友人S氏からこのような本をいただきました。
S氏の息子さんは一生懸命に野球に取り組み、甲子園にも出場しています。
さらに、その弟さんも来春の選抜で甲子園に出場予定
私も高校時代は硬式野球部で(美しく言えば)白球を追いかけてました。
S氏はそのときの野球部キャプテン。(もう35年近い付き合いかぁ)
息子2人が甲子園出場という彼ですが、随分前から「文武両道」を強く唱えていて、自分が経営する会社の他に、学習塾を併設したBE-ZONEという野球塾も経営しています。
BE-ZONEについては過去の記事でご紹介していますのでご参照ください。
私とS氏が高校野球生活を送っていた当時は、先輩による絶対王政の時代(笑)あちこちの高校で、しごきや体罰が、指導という名のもとに君臨していた時代でした。
また、働き方改革や部活の縮小といった動きとは真逆の時代でもあり、正月さえも返上して鬼の特訓(笑)をしていただいた当時の監督(先生)との信頼関係や絆は圧倒的に強固で、未だにOB会では当時の思い出話で盛り上がります
当時を美談にするつもりはないですが、そうした時代の中で、みんなが全力で生きていたと思います。
さて、S氏と話題になるのは、それこそ私たちが過ごした「昭和」の時代の考え方やスタイルで、野球や勉強を指導する場面がいまだにあるということについてです。
高校生では減ってきたようにも思うのですが、
小・中学生への指導では、監督やコーチが
てめえ、ばかやろう
お前、何やってんだ
何でできねえーんだよ
サイン見ろよ、アホか
言われた通りやれよー
ボール振んなよ、全く
といった怒号が練習中や試合中に飛び交い続ける場面を見聞きすることがあります。
たいていの場合、子供たちは委縮して監督やコーチの顔色ばかりを見るようになります。
大好きだった野球を嫌いになってしまう子もいます(少し創造力があれば分かることですが)
勉強に置き換えても同じようなことが言えるでしょう。
監督やコーチが思うようなプレーを、子供たちができない苛立ちからきつい言い方になるのでしょうが、この思考の行きつく先が、言葉の暴力と体罰なのかもしれません
子供たちが生きている現実世界や環境に対応し、自身の指導法も常に勉強、改善しながら成果を上げられるように進化させるのが求められる指導者像なのでしょう。
甲子園でもプレーしたS氏の息子さんは、、自分を温かく大きく育ててくれた中学校や高校の恩師のような教員になり、大好きな野球にも恩返しがしたいそうです
おまけ
桑田真澄さんの言葉
日本中、何百というチームを見てきたけど、子供達を怒鳴り散らしている指導者ばかり。
怒鳴らないと理解してもらえないほど、私には指導力がないんですと、周りに言っているようなもんだよね。
そんなことも、わからないのかね?
恥ずかしいというか、あまりにもひどすぎるよね。
そりゃぁ、叱らなければいけない時もあるよ。
でも、試合中、練習中、最初から最後まで、怒鳴ることないよね。
その情熱は、素晴らしいと思うんだけど、方向が間違っているよね。
それだけ情熱があるのなら、もっと勉強して知識を身につけるべきだよね。
もっと怖いのが、知識はあるけど、その知識を間違って使っている指導者だよね。
どちらのタイプの指導者にも、他人の大切な子供を預かるんだから、最低限の知識を身につけ、知識があるのであれば、正しい方向に使ってほしいよね。
このことを、声を大にしてお願いしたいし、そろそろ「気が付いて」ほしいね。
自分に甘くそして、優しく、子供達に厳しい指導者は要らないですよ。
たばこを吸いながら、ミーティングをするのは止めて下さいよ。
練習中に、煙草すら我慢できない弱い人に、何が指導できるんですか?
昼食に、ビールなど、アルコールを飲んで練習するのはよくないですよ。
夜まで、アルコールを我慢できない自分に甘い人が、子供達に何を指導するんですか?
不思議ですよね?
子供達を指導する前に、誰かに指導してもらってください。
まずは、自分を見直すところから始めたらどうでしょうか?
(以上、桑田真澄さんの言葉から)
お読みいただき有難うございました。
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