山門の衆徒が、前座主《ざす》の流罪を妨害して、
山へ連れ戻した知らせは、後白河法皇をひどく怒らせた。
「山門の大衆どもは、勅命を何と心得えて、
このように言語道断のことをするのだろうか?」
側に侍《はべ》っていた西光法師も、
前座主帰山の知らせに何か手をうたなくてはと、
考えていた矢先だから、ここぞとばかり、一ひざ進めると、
「山門の奴らの横暴な振舞は今に始った事ではございませぬが、
此度は又以ての他の狼藉《ろうぜき》振り、
これは余程、厳重な処分をいたさねば、
後々までも禍恨は絶たれぬものと思います」
したり顔に申し上げた。
とにかく讒臣《ざんしん》は国を乱すということわざがあるが、
西光らもその良い例で、何かと、
自分の都合のよいように法皇の心を引き廻していたともいえる。
こんなうわさが山門にまで伝わってきて、
中には、
新大納言成親に命じて既に山攻めの仕度が始ったなどという者もあり、
そうなってくると、
「勅命にはそむきたくない」
「いや勅命よりも座主が大事」
という二派に意見が別れて山門の中で、
仲間割れも起りそうな状態である。
妙光坊にある明雲前座主は、気がかりで仕方がない。
一度勅命を拒否した以上、今度はどんな目にあうのかと、
夜もおちおち眠れぬ始末なのである。
ところで話は変って、内外多事の情勢で、
この所、例の陰謀運動も、はかばかしくはかどらない。
とにかく平家は、びくともしない程不動の位置を保っているし、
六波羅の守りは固い。
一寸やそっとの謀叛《むほん》では、
さゆるぎもしそうもない現状に、
いち早く気づいたのは、鹿ヶ谷《ししがたに》の定連の一人、
多田|蔵人《くらんど》行綱である。
彼はかつて、新大納言成親から、
「貴方一人が頼みです。もしこの事に荷担下さるなら、
恩賞は思いのまま、これはまあとっておいて下さいよ」
と弓袋《ゆぶくろ》の料にと白布五十端を送られた事があった。
貰ったものは、
遠慮なく、家人に使わせて、着服してしまったものの、
元来が気の小さい男だから、どうも不安で仕方がないのである。
大納言や西光は、
まるで簡単に平氏を滅すことができるようなことをいうけれど、
それも、あの人里離れた鹿ヶ谷でこそ、安々と通る陰謀であって、
実際、これが表に現われた時に、そううまくいくかどうか、
何よりも、先ず自分の命が危いのではないか。
彼らは、他人の命の事などさして気にもとめていないが、
自分にとっては大切な生命、
そうやすやすと殺されるのは真平《まっぴら》だ。
——そこまで考えてくるうちに行綱の胸の中には、
どうしても、この事を清盛に話してしまわなくてはという考えが、
次第次第に広がっていくのを押える事ができなくなってきた。
「返り忠をすれば、命は助かる、いやそれだけが、
自分の命を助ける唯一の道だ」
そこまで考えると、もう居ても立ってもいられない気持だ。
今夜中に話してしまわなければ、
明日になれば又どんなことになるかも知れない。
とにかく早い方がいい。
行綱は、馬の仕度をさせると、
夜更けの京の街を、西八条めがけて走り続けた。
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