こんばんわ。雪ん娘です。
日常に戻ってきました。
2年前に新しい土地に
引っ越してきた時には
今の生活が日常なんて
全く思えなかったのだけど
今はこれが私の日常と思えるので
2年の月日というのは
そういう物なのかもしれません
たかが2年だけど
されど2年なんですね
そう言えば
オーストラリアに引っ越した時も
1回目に帰国したのは
2年たってからでした
2年ぶりに帰った日本を見て
ものすごーくカルチャーショックを
受けた事を覚えています
2年の月日というのは
自分が持っていた
古いイメージを塗り替えるのには
充分な時間で
新しい場所に
きちんと地に足がつくように
暮らしてると思えるようになるのも
それくらいの時間が
きっと必要なのかもですね
だからきっと
1回帰ってみようって
ケジメみたく思うのかもしれません
もし新しいところで
依存の様な関係性の何かと
出会ってしまっていたら
多分色々な意味で
自立とか
出来なかったと思うんですね
経済的な自立は働いていれば可能ですが
あまりそこに重きは置いてなくて
精神的な自立という意味の方が
私には重要だったと思います
精神的な依存は
私は、個々が成長するという意味では
不必要だと思っています
依存は何も
人間関係だけに関わらず
例えば
宗教とか
何かの団体とか
薬だとか
占いだとか
お酒とか
何でもいいんですけど
自分以外の「何か」に
頼ってしまう事だと思います
勿論
依存された側の価値観にも
よりますが
依存してくれてありがとうという
依存先もあるでしょうし
(お得意様と言う意味)
対人間だと
依存される事で
安心するとか
信用出来るとか
そこに意味を持つ人も中には
いるかもしれませんが
私は逆だと思います
依存関係は
最初こそ良いかもしれませんが
長くは絶対に続かない物と
思っています
私は
「絶対に壊れないシャボン玉」
をいつかこの目でみたいのですね
「もしかしたらこのシャボン玉は
いつか壊れてしまうんじゃないか?」
その思いこそが
依存であると思ったんです
絶対に壊れないシャボン玉は
精神的にも経済的にも
自立した先にある様な気がします
何故なら
自分自身がすぐ壊れてしまうのに
そんな物を作れる訳がないんですね
なのでまず
自分を壊さない事を
やってみようと思います
人生山あり谷ありなので
難しいと思いますけど
長い間心が壊れていた経験があるので
「やばい、壊れそう」っていう
危険は察知出来るように
なってるかもです
絶対に壊れないシャボン玉から
生まれるのは
絶対的な安心だと思うのです
安心の対極にある物は
「不安」
不安だから人は
何かを求めたくて安心したくて
繋ぎとめたり
陥れたり
試したり
騙したり
してしまうのかもしれないですね
安心を作りたいのであれば
繋ぎ止めない
陥れない
試さない
騙さない
ただ反対の事をやればよい
そんな簡単な事なのかもしれません
他にも具体的にあれば
是非教えていただきたいなと
結構真面目に思っていますw
それでは今日はこの辺で。