少しだけ One for All

公的病院の勤務医です。新型コロナウイルスをテーマの中心として、医療現場から率直に綴りたいと思います。

どんなに苦しくてもつらくても

2022-07-13 00:12:05 | 日記
   どんなに苦しくてもつらくても、正しい道を歩いていこう。
   私に明日が来るかぎり。
   あなたの葬儀にそうあらためて誓いました。
 
 凶弾に倒れた稀代の名宰相のご冥福を、心から、心からお祈り申し上げます。
 どうか安らかに。安らかに。
 
 合掌。
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お通夜の夜空に

2022-07-12 00:13:07 | 日記
 凶弾に倒れた稀代の名宰相のご冥福を、心から、心からお祈り申し上げます。
 
 選挙活動のテレビの映像を見ると、人々と一緒に写真に収まることに気軽に笑顔で応じておられました。写真を撮るときには自身のマスクを外し、カメラに収まっておられました。一緒に写る人たちは、マスクをしている人ばかりではありません。マスクなしで大きな声ではしゃぐように話しかけている人もいました。嬉しくて仕方ないから、文字通り仕方ないのでしょう。
  
 それを受け入れていることに、あの御方の覚悟を見る思いがしました。
 
 持病をお持ちでした。それこそ免疫系の薬を使用されていたかもしれません。何よりコロナの感染に敏感になってもいいご年齢や基礎疾患をお持ちの方でした。
 それにも関わらず、コロナの感染を恐れずに民衆の中に飛び込んでいかれていました。人混みの中でもみくちゃにされても笑顔でした。

 まさしく選挙応援に命をかけていたのだと、強い覚悟をそこに見る思いでした。
 
 選挙応援に命をかけたのはなぜでしょう。ただ選挙が好きだったわけではないでしょう。その先に日本の未来を見ていたからだと思います。日本のためと信じたからこそ、命をかけてその身を捧げていたのだと思います。決して自分のためなんかじゃなかったはずです。
 
 そうした御方が、全くの濡れ衣を着て、我が身のことばかりしか考えていない凶弾に命を奪われてしまいました。あんなおもちゃみたいな銃に、自分には関係ない憎しみを込められて、大切な、大切な命を奪われてしまいました。
 命とはなんと儚いものでしょう。そしてあの御方は、その儚い命をなんと誠実に燃やし続けていたことでしょう。最後まで笑顔で。
 
 私は決して忘れません。あなたのお陰でたくさんの命が救われました。私もきっとその一人です。
 あなたは日本を救ってくださいました。あなたに救ってもらったたくさんの命が、日本のこれからを弥栄にしていく礎になっていくことと思います。そのことをどうか遠い空から見守って、あの笑顔で応援していただきたいと、せめてもの希望をと、お通夜の夜空に願いました。
  
 本当にありがとうございました。どうか安らかに。安らかに。
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こんなのあんまりだ

2022-07-09 14:03:51 | 日記
 凶弾に倒れた稀代の名宰相のご冥福を、心から、心からお祈り申し上げます。
 
 思えばコロナ対策では、コロナの初期に、専門家会議が進言した学校の一斉休校を、政府の責任で間髪入れずに決めていただけたのはまさに英断で、あれこそが政治家が責任を取って専門家を活かす理想的な形だったと思います。「国民の命を守ることを最優先とする」という一点で、専門家会議と政府が一致していました。あの決断は、政府が「国民の命を守ることを最優先とする」ということを裏表なく本当に考えていた証拠でした。あの迷いのない決断は、本当にお見事としか言えないものでした。
 
 当時、あの決定を受けて、病院の食堂で一緒になった左翼系の女性医師が、子育てとか女性の苦労だとかを全くわかっていない、等々と私に語りました。危機感の持ち方からして違和感がありましたが、さらに、そうしたことを全て超えて、今わかっている情報の範囲内で「命」を最優先にして決定した事項であることを説明してもわかってもらえないだろうな、と私は感じて、「いろいろあるかもしれませんが、それもこれもすべて命あってのことだと思います。先生、これからの欧米を見ていてください。とんでもないことになっていきますから。」とだけお話ししました。実際にそれからの欧米は大変な世界になり、その女性医師も私に何も言わなくなり、病院の感染対策指示に素直に従ってくれるようになりました。
 
 あの御方のされたことが、どれだけの命を救っていたか。なかなか目に見えるものは少ない、というか、例えば学校の一斉休校にしても報道は政府をあげつらい、悪意のある印象操作ばかりが目につきました。少なくとも、コロナ対策に関して言えば、とにかく本質を突いた、「命」最優先の対策を貫いていただけたと、医療現場から感謝しています。それは、専門家会議(のちの分科会)の尾身会長にも同じ思いです。WHOのテドロスが尾身さんで、WHOを牛耳っている国の宰相があの御方だったら、コロナは世界に広がらず、パンデミックも起こらなかったでしょう。早期に渡航制限を実施し、あの国だけに封じ込めることができていたはずです。
 
 とても悲しいです。とにかく本当に、本当に悲しいです。こんなことがあっていいのでしょうか。
 
 「こんなのあんまりだ」
 
 鬼滅の刃で、無惨を倒した後に鬼化した炭治郎を見て呟いた善逸の言葉です。ニュースを聞いた時、なぜだかこの善逸の言葉が口をついて出てきました。
 
 「こんなのあんまりだ」
 
 涙が止まりません。
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新しいルール

2022-01-09 15:09:38 | 日記


 あらためまして、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 
 1ヶ月ほどこのブログから離れていました。新型コロナウイルスの日本国内での感染が落ち着いて、ほっとしていました。COVID-19が周囲に存在しないというだけで、これほどまでに気持ちが落ち着くのか、と思いました。いかに気を張った日々を過ごしていたのかをあらためて知らされた思いでした。ああ、疲れていたんだなあ、と知るとともに、しばらく仕事場以外ではCOVID-19のことは考えたくない、と強く思いました。ワクチンの効果に依存した収束であり、本当の終息ではないことは知りながら、また次の波が来るまでのしばらくの間は、この収束した環境に甘えさせてもらって、いたずらにコロナに心を煩わされることのない仕事と生活をしばらくは過ごさせてもらおうと思いました。実際、この1ヶ月は、コロナについて特別に深刻なことをほとんど考えずに過ごすことができました。本当に心が癒されました。ありがたかったです。
 
 そして、その次の波がいよいよ始まってきたようです。「100日周期説」というのを言う人たちもいて、なんとなく100日間隔くらいで波のピークが来る(そしてだんだん短縮している)というものでした。「だから次の波は来年の1月中旬くらいだね。」って昨年の第5波が収束した後に、医療現場では冗談めかして言われたりしていました。
 その冗談が本当になりそうで、驚いています。
 
 年末年始の救急外来が落ち着いていたことが、わたしとしては何よりありがたいことでした。オミクロン株の爆発的な感染力は、海外でのニュースからわかるように圧倒的でしたから、もしも政府による迅速な入国制限がなかったら、今頃どうなっていたことか。
 救急部が単独で設置されているような大病院(そんな病院は各都道府県でも数えるほどしかありません)ならいざ知らず、一般病院でいきなり救急外来から混乱するのは本当に悲惨です。医療関係者にとっても、患者さんにとっても、地域社会にとっても、誰にとっても何一つとして全くいいことがありません。WIN-WINならぬ、徹底的なLOSE-LOSEです。医療は停止するは、感染は広がるは、病院は病院でなくなるは、地域社会は混乱するは、全くいいことがありません。もしも11月下旬に速やかに入国停止をしていなかったら、ダラダラと先延ばしにしていたら、間違いなくこの年末年始は悲惨だったことでしょう。落ち着いて年末年始の救急外来をすることができたこと、それだけでもこの毅然とした水際対策には感謝でした。
 
 今日、私の住んでいるところでは成人式をしています。中止することもなく、予定通り執り行われています。いくらオミクロン株に重症化率の低さが言われつつあろうとも、もしも年末年始に感染の混乱がきていたら、成人式は軒並み中止になっていたことと思われます。沖縄等々では中止するところもあるかもしれません。それは残念なことですが、多くの地域では、ぎりぎり間に合ったのではないかと思います。
 「水際対策ではオミクロン株の感染の入国は防げない。政府は何も学んでいない。せいぜい少し感染のピークが遅れるだけだ。意味がない。」と言っていた評論家(呆れたことになんと医学者までいました)たちは、自分達の考えの浅さを猛省すべきでしょう(ホントお気楽な人々だと思います)。感染が防げるなんて、そもそも誰も思っていませんし、ピークを遅らせて、確かな情報が集まるようになって対処ができる状態のところにピークを持っていこうとするための水際対策です。そんなこともわからないような人たちの発言は、ただ混乱させるためだけの無益なものです。彼や彼女らのいう通りにしていたら、いま幸せに執り行われている成人式は全て中止となっていたはずです。
 
 アメリカでは1日に100万人もの新規感染者数を記録したといいます。イギリスやフランス等々、きちんと情報を公開していくれる信頼できる国々で、多くの感染者数が報告されていますから、様々な有益な情報が時間とともに得られることが期待できます。
 南アフリカの素早い情報公開と、政府の毅然とした水際対策のおかげで、日本では感染のピークを遅らせることに成功しました。その時間差で得られた情報では、当初の南アフリカからの報告のように、重症化率が低いことがうかがい知れてきているようです。そうした新しい情報を活かして、新しいウィズコロナの生活様式を提案するフェーズに移ってきている雰囲気を感じています。成人式は多くの地域でできたことでしょう。これから受験シーズンや、新しい就職のためのシーズンに入ります。新しい情報から打ち出される新たな方針や対策が、受験や就職という、前途ある若者たちの道を守るのに間に合うことを切に祈っています。
 
 振り返ってみれば、デルタ株は最凶でした。感染力が強い上に、病原性も高く、重症化率も高いという、最高に凶々しい変異株がデルタ株でした。もしもワクチンがなかったら、とんでもない悲劇的な状況になっていたと考えられます。mRNAワクチンがあったことは、本当に幸運なことでした。
 このままだと、わたしたちはそんなデルタ株と共存しないといけないところでした。ところがオミクロン株が登場してきてくれました。コロナウイルスの世界は、感染力の強さが天下を決めます。デルタ株も、それまでの変異株に比べ感染力が脅威的に強かったため、世界のコロナ感染の99%はデルタ株と言われるまでにコロナ感染の世界を制圧していました。そんなデルタ株の感染力を上回る変異株の登場はなかなか困難だと考えられていたところに、なんとそれを上回る感染力を持つ変異株が現れてくれたのです。そのおかげでわたしたちはデルタ株とはさよならできる幸運を得たとも言えるのです。

 感染力の強さを武器に、オミクロン株がデルタ株を着々と葬っています。ほどなくデルタ株は淘汰され、オミクロン株だけの世界になることでしょう。わたしたちは、これからはオミクロン株と共存することになります。新しい知見を整理して積み重ね、オミクロン株との新たな共存ルールをつくっていくことが必要になります。その時、オミクロン株の病原性がデルタ株に比べて低ければ、デルタ株との共存ルールよりは自由度が広がることになるでしょう。そうなることを強く願っています。

 本年も、マイペースとはなりますが、記事を一つ一つあげていけたらと考えています。おいやでなければ、どうかお付き合いください。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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オミクロン株 3 少しだけ One for All

2021-12-08 23:18:45 | 日記

 
 このオミクロン株の発表があってから、ワクチン接種に来院する人が再び増えたような気がしています。週4日で、多い日には300人近く接種していたものが、だんだんと少なくなり、ワクチン接種希望者への接種はほとんど済んだのかな、と思われていたところでした。週4日の接種日も週1日にしていました。増えた人たちは、きっとこれまでワクチンは様子見だったり、ワクチンに反対だった人たちかな、と推測します。このオミクロン株の登場でワクチン接種に踏み切る人が増えたとすると、これは公衆衛生的にはとても良いことだと思います。
 
 日本政府は、今回、このオミクロン株の発表に即応し、空港検疫を強化しました。12月の日本への帰国便の新規予約を全て停止させました。WHOの言うことを全く聞いていません。善し善しです。そしてその迅速さも最高でした。南アの発表を無意味なものにしていません。最高の対応だと思います。
 ただ、海外の日本人の帰国も止めたことに批判が集まりました。そのため、すぐに、日本人の帰国にあたる人は予約できることに修正しました。修正すると、たちまち朝令暮改に批判が集まりました。
 
 でも、このことで日本政府を非難しすぎるのは、私はちょっと同意し難いです。いろいろきっと意見があると思いますが。(私は、ゴルフの石川遼選手への報道機関の猛批判もやりすぎなのでは?そこまで必要?と感じる人間です)
 
 オミクロン株は未知です。
 世界を支配したデルタ株を完全に凌駕する感染力を持つことが疑われるウイルスに喫緊で対峙しなければなりません。何が危険で、何が安全なのかすら、まだわからない段階です。その上で、まず国内を防御する、と優先順位の大原則を決めたのだと思います。大原則を決めてくれれば、各省庁、各機関が動きやすくなります。なにしろ時間との勝負ですから。そこで国交省が動くことができて、一旦予約ストップまで発表したのだと思います。それを修正しただけで、なんらおかしいと思えません。
 迅速に行動するためには、修正には寛容でなければなりません。修正したことをあげつらって、間違っていたじゃないか、としつこくいつまでも非難するのであれば、素早く何かを決めることはできません。素早く決めろ、でも間違えるな、というのは都合よすぎます。この二つは、トレードオフの関係にあるものです。
 ですから、帰国者は予約を認める、という形に修正になったのですから、問題ないと思います。熟慮した上での法案だったら別ですが、今回は緊急事態での通達ですから。日本政府は海外の日本人を蔑ろにしている、とかって、ことさら思いません。仮に私が海外に住んでいてもそう思わないでしょう。修正してくれたらそれで十分です。その上さらに、その修正への批判に時間を使うのは、馬鹿馬鹿しいことです。今、オミクロン株に対して求められているのは、スピードですから。
 
 日本政府は、日本国民が最も守られる方策を考えたのです。今も、オミクロン株とわかれば症状に関わらず入院対応、と大原則を決めてくれました。私はとてもよいと思います。そして、実はそれほど病原性が高くない変異株だった、とわかれば、その時初めて緩めればいいです。そのときに、無駄な政策をやった、と騒いで政争の種にしようとする政党とかはほっとけばいいと思います。ホットケナイノカナ,,,
  
 似たようなことを、再び増えたワクチン接種の行列を見て思います。
 ワクチンに反対だと思った人も、考えが変わってワクチンを打とうと思ったら、素直に打てばいい。一生ワクチンをうたない!って勢いで宣言してしまっていたって、打ちたいと考えれるようになれば打てばいいし、そこの壁は低くていい。考えの修正に寛容でいいのではないかと思います。なにしろ未知のウイルスに対峙しているのですから、予想がはずれることがあっても自然でしょう。はずれていることがわかったら修正した道へ進み直せばいいことです。
 マスクも同じ。何があっても、どれだけ感染が広がってもマスクはしない!と感染初期にテレビで宣言した愚かな感染症専門家がいました。私は、その色んな意味での愚かさに腹が立って仕方ありませんでしたが、彼ですら、もし考えを改めてマスクしていたら許容します。それで周りの人が安全になるからです。いつまでも非難するつもりはありません。
 今でもゼロコロナを掲げて、PCR検査すら協力しようとしない病院もあります。コロナが始まってもうすぐ2年になろうとしているのですから、その間に生まれた知見に沿って、修正することは恥じることではないはずです。初めに立てた方針を、まるで操のように守ろうとするのは、本当の全体の利益にそぐないません。
 この感染症対策であくまで大事なのは、全員で助かる、全体で助かることです。そのために、それまでの考えを修正する医療機関や専門家や個々人がいたら、全体が助かるためのことだったら、ウェルカムで迎えなければいけないと思うものです。
 
 第5波が収束した時、これからはワクチン未接種の人たちを守らないといけない、と書きました((参考)拙ブログ「ワクチンパスポートは誰のため 4」)。あまり同意できない人も多かったかもしれないのですが、これは病院で感染対策をしていて感じたことなのです。
 この新型コロナウイルスは、自分だけが助かろうとすると、狙いすましたようにその狭い魂胆に寄生してくるように感じたのです。
 例えば、当初の大規模クラスターは、ゼロコロナを掲げるような病院で起きました。そうした病院は、自分の病院だけ助かろうとしていたのです。その結果、コロナから逃げることで感染対策がゆるくなり、容易にコロナに入り込まれてクラスターとなってしまったと考えられました。逆に、地域医療を考えて、コロナ患者を受け入れる決意をした病院では、その緊張感から感染対策がしっかりと実践され、クラスターは発生しませんでした。自分の病院だけでなく、地域を丸ごと助けようと動いた病院は安全だったのです。地域の風評では、コロナ患者の受け入れをしている病院は危険だと言われて避けられましたが、実際の病院内での安全性は風評とは逆だったわけです。
 そうしたことから、自分だけでなく、周囲全体で助かろうとすることが、回り回って全体の大きな利益になる、そのことを強く感じたものでした。
 
 ちなみに、このブログの題名の「少しだけOne for All」というのもそこから付けました。みんなのために少しづつ自分のできることを差し出し合って、チームとしてこの感染症から助かりましょう、という意味を込めたものです。それが、このコロナ感染対策の重要な秘訣のように感じたものです。
 
 そうしたことから、「これからはワクチン未接種の人たちを守らないといけない」、と書いたものでした。ワクチンを接種した人が、ワクチン未接種の人を守る気持ちを持てば最強だと考えたものでした。
 
 今、日本のコロナが収束しているのは、ワクチン接種をした人たちが、分け隔てなく感染対策をゆるめていないからだと強く感じています。ワクチン接種完了の人は、デルタ株に対して重症化しにくいと考えられるため、自分のことだけと割り切ればマスクはいらない、と考えることもできないでもないのです。それが今でも感染者数が増えている国々の考え方だと思います。
 私たちの国の感染者数が抑えられているのは、自分のことだけではなく、周囲も含めた思いやり、「少しだけ One for All」を自然に実践している人たちであふれているからだと私は思っていますし、感じています。あまりに自然に実践しているから、実践していることに気がついていない人も多いくらいです。それがこの国の大きな武器だと確信しています。マスコミ等からのいわれのない批判や、安易で都合のいい海外との比較などで、自分たちのやっていることを疑わないで欲しいと思います。正しいことをどれほど続けてやってきたか、それを自分たちにわかるようにしたい、そう思ってこれまでのことを振り返っていくつもりでいます。微力でしかないですが、自分なりの One for All を大事に、大切に、今まで通りのこのままで、これからのオミクロン株にも勇気を持って対峙していきたいと思います。
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