息子との日々 ~ 発達障害(神経発達症)

小3の発達障害長男、小1の定型次男との日々。

発達障害と分かるまで ④

2歳になるころから始めた、自治体が主催する月1回の集団療育。

 

参加する意味を感じられない中、紹介されたのは

後に通うことになる児童発達支援センターが主催する隔週の集団療育でした。

 

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児童発達支援センター(以後、療育園)は、

同じ法人が経営する保育園と同じ建物内にあり、

園のお遊戯室で実施されていました。

 

自治体から療育園へと行き先は変わったものの、

相変わらず何が目的かわからない集団療育。

 

椅子に座ってお返事したり(座らないし返事もしないけど)

円になってお遊戯したり(しないけど)

ペープサート見たり、おやつを頂いたり。

 

言われるがままに、これでよくなるんだろうか…と通っていました。

 

いくら先が見えないなかでとはいえ、後悔しているのは

この「言われるがまま」だったところです。

 

 

今まさに通っておられる方、これから通おうとされる方、

 

ぜひ、目的や意義を聞いてみてください。

このお遊戯の目的は何か、この遊びの目的は何か、

そもそも、療育が目的とすることは何か。

 

「普通になるため」や「定型になるため」ではないんです。

私見ですが、そういうことを言い出す施設はちょっと……)

私なりの理解では、より暮らしやすくなるためだと思っています。

 

将来の自立や社会参加を目指す、とよく聞きますが、

幼児期、就学前後は特に、日々の暮らしの中にあるあれこれを、

スムーズにいくように「親子共々」学んでいくタイミングだと思っています。

 

子だけではなく、親も、です。

 

発達障害児一人しか育てておらず、

特に専門的知識のない私があれこれ書くのは

なんの根拠もないし言葉足らずなのは重々承知の上ですが💦

 

 

それはさておき、3歳の誕生日が近づくころ。

小児精神科医(でいいのかな?)が自治体施設に巡回相談をしているということで時間をとっていだたきました。

 

子育て広場にある遊び場での様子や、母である私からの聞き取り。

そしておそらく、これまでの集団療育の様子も含めて、

巡回の医師によって告げられたのが「広汎性発達障害」でした。

 

正直、ショックを受けるかな、、、と思っていたのですが、

そのときの私は、心底ホッとしました。

 

やはり障害だったか……というちょっとした虚しさというか悲しさか。

それ以上に大きかったのが、やはり障害だった、とホッとしたのです。

 

 

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発達障害と分かるまで ③

1歳半健診で、自治体に補足された長男。

 

まともに測定が受けられなかったうえに、

つみきの模倣や、絵を指差す課題が全くできませんでした。

(というか机の前にまともに座っていられない💦)

 

この段階でよく聞く「しばらく様子を見ましょう」とならなかったのは、

分かりやすいぐらい、自閉症の特性まみれだったからだなぁと思います。

 

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ただ、前回も書いた通り、当時はまだまだ先が見えず辛かったのですが。

 

 

住んでいる自治体では

新生児訪問から基本的に同じ保健師さんがついてくれるのですが、

その方から「集団療育」の紹介を受けました。

 

といっても、あからさまに「集団療育」という単語を出していたわけではなく。

 

「たけのこ教室(仮名)」みたいなかわいらしい名称でした。

 

 

たけのこ教室は、コミュニケーションに不安があったり、運動やことばの発達がゆっくりだったり、何かしら気にかかることがあったり。

そんな就園前のお子さんを持つ親子が月に一度集まり、お遊戯をしたり、話をしたりする教室です、と説明がありました。

 

行き始めた頃には、2歳になっていて、

首が座ったぐらいの次男を抱っこして連れて行きました。

 

小学校の教室3つ分ぐらいの広い部屋に、8組ぐらいの親子。

元保育士や保健師の方が3人ぐらいいらっしゃったかな。

 

まずは部屋の隅に並べられた小さな椅子に子を座らせ、後ろに親が座る。

幼稚園のように、名前を呼ばれ挨拶、円になってお遊戯、積み木遊びをしてみたり…

想像していたような、幼稚園の遊びが始まるわけですが……

 

 

長男、まったくできない\(^o^)/

 

 

まず座らない、

返事をしない、

部屋の扉や引き出しを開けまくる(当時のブーム)

 

 

1時間ほどの時間は、長男を追いかけているうちに終わる。

 

これをやって何になるんだろう…って毎回思っていました。

だって参加できないんですもの。

幼稚園ぽいことを練習したところでなんの意味があるんだろうって。

 

 

今思うのは、この教室(集団療育)が「何を目的に実施されているのか」「何を目標にすればいいのか」などを聞けばよかったということです。

 

 

療育って「治す」場所ではないんですよね。

この教室にくれば「よくなる」なんて場所でもない。

 

1か月に1度で「劇的に治る」なんてあるはずがない。

 

 

でも療育が何かなんて欠片もしらないし、

まだ座れもしない次男を背負って、癇癪起こす長男を連れてきて、終われば帰りたくないと泣き叫ばれ。

長男がよくなる方法を教えてくれればいいのに、って思っていました。

 

 

おそらく、園のような場でどこまで適応できるか見ていたのかな、と

今は思います。

 

前にいる大人(先生)に注意を向けられるか、

全体指示や個別指示が通るか否か、

できなくても、サポートがあればできるのか、できそうな可能性があるか、とか。

 

大人とのかかわり、他の子とのかかわり、

視覚や聴覚の過敏、動きの発達の具合など、見られていたんだろうなと思います。

 

多分、支援を注意するポイントが見いだせれば、

就園先と連携しつつ支援していく、ということもできますものね。

 

というのは私の想像でしかありませんが(;^_^A

 

 

プログラムの最後は、子どもが一か所に集められて数人に見守られる中、

親は先生を囲み座談会でした。

 

もちろん、離れたくないとくっついてくる子もいましたけど、

その段階でも、なかなか活発に動いている長男。

 

正直思いました、

 

「発達に問題がある子が集められた中でも長男の程度は重いんだ」と。

 

これも、見た目だけの話で、

それぞれ抱えてるものの重さや大小は異なっていたのでしょうけど。

 

 

そんなこんなで、通う意味が見いだせず、5回ほど通ったかな。

また別の場所を紹介していただきました。

 

それが、年少の時から通うことになる児童発達支援センター(療育園)が、

未満児向けに実施していた、2週に1度の教室でした。

 

そして同時に、この施設に巡回してくる医師に相談できるタイミングがある、

と紹介していただきます。

 

 

これが、ちょうど2歳も折り返す頃でした。

 

 

 

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発達障害と分かるまで ②

長男が1歳になるころから、うすうす何か違う……と感じていました。

前回も書きましたが…

 

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  • ひとり歩きが遅い(1歳4か月で立つ)
  • 指差しがない
  • クレーン現象(親の手を持っていく)
  • 発語無し、意味の分からない宇宙語
  • 全く意味の分からないタイミングでの癇癪
  • 本を粉砕(破るどころじゃない)
  • おもちゃを使えない
  • 静止が効かない

数え上げればきりがありません。

 

母子手帳の質問に「いいえ」が並ぶ。

(これ、辛いんですよね、、、)

 

10か月健診だったかな、1歳健診かな。

自治体の健診センターで並んでいたら、前のお子さんが母子手帳持ってるんです。

母子手帳ですよ?めちゃくちゃ大事なものですよ?

 

え!?持たせられるの!?

お子さん、破らないの!!??

 

めちゃくちゃ衝撃でしたね。

破らない赤ちゃんているんだ、と。

 

まあなんでも破ってくれました。

おかげさまで(?)、当時買った絵本は1冊たりとも残っていません。

破るどころじゃない、粉砕なんです。

ちょっとご飯作ってる間にも修復不可能なレベルまでちぎってくれるので。

 

本が大好きだったので、いくら我が子といえど許せないことでしたが、

何をしても何を言っても聞かない、わかってくれない。

 

本でもこの様子ですから、危険なものなどもってのほかですよね。

 

大人の本は棚に鍵をかけてしまい、

作り付けの棚など手の届くところには何も置かない。

飾ってあった写真立てや置物もすべてしまいました。

 

当時は賃貸住まいでカウンターキッチンだったので、

ベビーゲートを設置。

 

置くだけ、みたいなのや突っ張りだけのは当然ながら(?)

張り倒されましたので、階段上にもおけるスマートゲイト2プラスを購入!

 

 

これはなかなかいい買い物でした!

壁との固定は釘ですから、安定感が違いました。

 

賃貸だろうがやっちゃいました、危なすぎでしたので(笑)

 

 

そんな長男、健診を受けるのもだんだん難しくなり、

身長や体重で泣き叫ぶ、診察でも泣き叫ぶ、そもそも待つことも難しくて…。

 

1歳半健診で行われる「つみきの模倣」「指差し」「絵を見て単語をいう」、

全てチェックが入りました。

 

今思えば、ここで「様子を見ましょう」なんて先送りをされず、

自治体の支援対象に入れたのはよかったことでした。

(グレーなんて曖昧な子ではなく、ギンギンのブラックですが💦)

 

でも当時は、

 

「なんでうちの子だけできないんだろう」

「なんでこの子はいうことを聞いてくれないんだろう」

「なんで買い物すらまともにできないんだろう」

 

本当に、先の見えない真っ暗な世界にいた気分でした。

 

 

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発達障害と分かるまで ①

小3の長男は、妊娠~出産まで、全く問題がありませんでした。

 

3700gオーバーのビッグベビーで、小児科医も太鼓判の元気な子。

第一子ということもあり、あれこれ探りながらの母乳育児でしたが、

ミルクも使いながら2か月ぐらいで完全母乳に移行しました。

 

そうすると、生後3週間で顔と頭皮に痛々しいほどの乳児湿疹が💦💦

小児科医の先生から薬を処方していただき、塗っていました。

 

実は、長男は乳製品&卵アレルギーです。

だから、併用していたミルクの影響もあったのでしょう。

 

この月齢では乳児湿疹は珍しいことではないため、

特にアレルギー検査をすることもなく、発覚は離乳食開始時になります。

 

ありがたいことに、母乳移行後はきれいなお肌になりました😊

 

 

ただ、今思えばですが、

布団(というか夏生まれなのでタオル)を蹴っ飛ばすぐらい、

いつも足をバタバタしていたり、音にとっても過敏だったりしました。

 

赤ちゃんはそんなもの、といえばそんなものですね(・.・;)

 

生後1か月、写真を撮ればいつも足は残像、

足元のタオルやシーツはくしゃくしゃ(笑)

 

とはいえ、このころは別に何を思うでもなく。

そもそも第一子ですから比較対象もなく、なかなか難しい育児をしていて。

なんとなく不安を感じ始めたのは、1歳になるちょっと前くらいでした。

 

かまり立ちまでは順当にきたのに、手を離して立たない。

 

1歳になる頃には台につかまってかなり高速で行ったり来たりするのに

手を離さない、立たないのです。

 

今見返せば、かわいいなぁ~( *´艸`)で済む写真ですが、

当時は悩みまくりました。

 

だって、母子手帳に「いいえ」が並びまくるのですもの。

 

  • 指差しがない
  • クレーン現象(親の手を持っていく)
  • 発語無し、意味の分からない宇宙語
  • 全く意味の分からないタイミングでの癇癪
  • 本を粉砕(破るどころじゃない)
  • おもちゃを使えない……

 

気にしだすと止まらないぐらい、あれこれ目につきます。

 

ネットで調べてみると、真っ先に目につく「自閉症」の文字。

読めば読むほど、その特性が長男に当てはまる…。

 

1歳から3歳ぐらいまでのこのころが、ある意味一番つらかった時期です。

そもそも2歳差の次男の妊娠~産後期間にもあたりますから、

体はつらいし睡眠時間も少ない。

 

1歳半でようやく長男も立てるようになりましたが、

それはつまり、どこへでも行ってしまうということ。

 

めちゃくちゃ嫌がるのをなんとかベビーカーに押し込み、

スーパーで大癇癪起されるのがつらくて行くこともできなくなる。

(ネットスーパーと生協が命綱でした…)

 

そして夫。

今でこそ理解がある方だとは思うのですが、当時はひどかった…。

 

お前がコミュニケーションへたくそでママ友もつくれず外に出ないから、

子どももいつまでたってもしゃべれない。

 

そんな罵倒をしょっちゅう受けていて。

 

ああ……思い出すだけでもつらい(-_-;)

 

 

そんなこんなで、1歳半健診の時期を迎えることになります。

 

 

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児童発達支援センターに通う

今は小学校の支援級に通う長男ですが

就学前は幼稚園や保育園ではなく、

児童発達支援センター」に通っていました。

 

法律的な名称は上記の通りなのですが、

長男が通っていたところの名前は「〇〇こども園」でした。

障害の有無にかかわらず、組織としてよくある名前ですよね。

 

ただ、長男の通っていたこども園は、幼稚園プラスアルファ、という園ではなく

発達に何かしらのある子だけが通う完全なる「児童発達支援センター」でした。

 

明確に診断を受けていないお子さんも通っていましたが、

9割がたが何かしら障害の診断を受けています。

全員、自治体の発達相談にかかるなどして、紹介されてきたお子さんです。

 

児童発達支援センターは地域や組織によっては

通う日や時間を区切ったりするところもあるそうですね。

 

幼稚園に通いながら、週の1日だけは通う、とか。

 

長男の通っていた児童発達支援センター(以下こども園)は、

幼稚園のように、週5日、9時から15時まできっちり預かる園でした。

 

通う目的は「療育」、とはいえ。

 

登園したら靴箱に靴を入れ上履きに履き替える、

登園カレンダーにシールを貼る、

ロッカーにリュックなどの私物を片付ける、

自由遊びをしつつ朝の会の始まりを待つ……などなど。

 

流れを文字に表すと、普通の保育園や幼稚園と同じじゃない?って思いますよね。

 

そう、同じなんです。

 

ただ、明らかに違うのは、対応する先生の数と、

とにかくスモールステップで対応してくれること。

 

先生1人に対し、子どもは2~3人。

保育園では指針で6歳児は先生1人で子ども20人、だそうですが、

全く違う手厚さです。

 

そして、靴をしまう、という動作ひとつとっても、

 

靴を脱ぐ、

靴を持つ(できれば1足揃えて)

運ぶ

下駄箱に入れる…

 

などのステップがありますよね。

そのひとつひとつができたらすかさず褒める。

え、こんなことでほめていいの!?と、

最初は目から鱗のことばかりでした。

 

気がつくと、それも身についてるからすごい。

 

そして、朝のあるあるかと思いますが、

癇癪を起こしていても、色々と工夫しながら手を添えたり、

手伝ったり、時には抱えて連れて行ってくれたり(笑)

 

長男は感覚過敏からか、上履きを履くのを嫌がって年少児はほぼ裸足で過ごしていましたが、ちょっとでも足を入れればすかさず褒める、を繰り返していただき、1年ほどで履けるように。

リュックも背中の感覚が嫌だったのか背負いませんでしたが、

これは半年ほどだったかな。

 

一度見につけばしっかりとこなすのも、発達さんあるあるかも?

 

今は小学校で、しっかりランドセルを背負って登校し、

下駄箱にきっちり靴を片付け上履きも履く。

ロッカーも(あれこれ突っ込みがちではあるものの)ちゃんと自分の場所にしまいます。

 

それもこれも、こども園できっちり療育を受けたからだな、って感謝しています。

 

 

このこども園には本当にお世話になったので、今後も

こんな療育を受けましたよー、とか、

こんな風に過ごしてましたよ、って話を書きたいと思っています。

 

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発達障害から神経発達症へ

開設時にブログタイトルを考えるとき、とりあえず「発達障害」と入れよう。

 

と思ったものの、

最近使われるようになったという「神経発達症」の方がいいのか悩み、

とりあえず併記しています。

 

神経発達症はまだ耳慣れない、というのが正直なところですが、

医師が精神疾患の診断基準に用いることが多いといわれる、

DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアルにおいて、

訳語を「神経発達症」とすることに決まったのだとか。

 

なので今後は、

診断名や書籍なども含めて、神経発達症が主流になっていくのでしょうね。

 

大きな転換といえるのが、「Disorder」の訳語が「障害」から「症」へと

変わったことだと思います。

 

たとえば今、学習障害と呼ばれているものは「限局性学習症」と名前が変わるそうで。

 

悲しい話ですが、学習障害だと「気合で頑張れ!」となるか、

「障害があるから無理だね!」ってなりがちかと思ってます…。

 

一方、限局性学習症だと、あくまで「限局性」であり、

学習全てに障害があるわけではない、と症名に表れてる。

これは大きな変化だな、と。

配慮を求める際にも、わかりやすい症名だと感じます。

 

 

ただ、病気なら治る、と思われちゃったら、また違う話なんですよね。

(余談ですが、発達障害を治す!みたいなのは信じてません)

 

長男の場合、神経発達症、及びそれに伴う軽度(中度?)知的障害、となるのかな、なんて思ってみたり。

そう、障害がないわけではないんですよ、長男は。

 

たとえは不適切かもしれませんが、ダウン症認知症のように神経発達症というワードが一般に受け入れられ、個人ごとにさまざまな症状があり、場合によっては障害が伴うことが広まるといいなぁと思っています。

 

今がまさに、過渡期なのかもしれないですね。

 

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長男の今(小学3年生 支援級)

発達障害の長男は現在、小学校の支援級知的クラスに在籍しています。

 

小学校は各学年3クラスほどの、中規模校、といっていいのかな。

とある田舎の住宅街にある、おんぼろ校舎、昔ながらの小学校です。

 

支援級は知的と情緒、それぞれ2クラスずつ。

支援級の定員はクラス8人ですが、ほぼ定員。

ただ、基本的に国語・算数のみ支援級、残りは普通級で受けるため、

クラス全員が支援の教室に揃う、ということはなかなかありません。

 

そんな状況でも、長男はほぼ全ての時間、支援級にいます。

転導性が高すぎて気がそれるとアレコレいたずらしがちなうえに、

一斉支持も通りにくいため、集団での授業が難しいからです。

他の支援級に在籍する児童が普通級でうける理社や図工、音楽の課題なども、

支援級担任の先生と個別にやっていただいたりしています。

 

国語、算数はほぼ学年通りの進行。

特性もあってか、単純記憶は抜群、計算も学年以上の力を出します。

 

ただ、さすがに文章量も多くなってきた3年生、長文読解に難がでてきて、

ちいちゃんのかげおくり 」は心情理解が全くでした。

 

あの悲しく切ない話を、棒読み音読される虚しさったらなかったわ……(;'∀')

 

 

理社についても、できる範囲でドリルをこなし、テストをしています。

 

 

そんな長男、実は、入学から1年以上、全ての時間を母の私が全て付き添っていました。

今はだいぶ減って、朝の会と帰りの会に付き添うぐらいかな。

 

このあたりは、いつかまた書いて残しておきたいなぁ…。

 

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