子供の頃から病院に慣れ親しんでいた私は
いまだに病院がそんなに嫌いではない。
特に大きい病院。
※最近の大きい病院はホテルみたいですごかったけど
私の中の病院は昔ながらの総合病院ね
受付があって、売店があって、
いろんな人が行き来をしていて、
外来病棟と入院病棟の様子の違いや、
脳外科、内科、婦人科。。
それぞれの雰囲気を子供ながらに感じていた。
大前提にそれがあってなんだろうけど
小学生の時に
『お医者さんになりたい!』
と言ったことがある。
それを聞いた父親が
『おーそれはすごいな〜✨ 夢は医大(偉大)だ』と
笑えるか笑えないか判定の難しいギャグをかましていたのを覚えている笑
患者さんに問診をしたり、血圧を測ったり、
検査をしたり、お薬を出したり、
そんなことにも興味があったのだとは思うけど、
『私もなる!!!』と言ったときの1番のきっかけは、
漫画である←
大和和紀さんの『菩提樹』という漫画です。
その中のコレ!
早坂先生のこの一言に心の奥底から感動して
『私もお医者さんになりたい!!!』と家族に宣言したのです。
すごい夢だな〜と父親に言われて、
え?すごいの?と思うくらい
お医者さんになるのが難しいとかも知らなかった時代の、お花屋さんになりたいと思うのと同じくらいの感覚で。
その夢は3日で終わったのか、
その後、中学でも高校でも医者になるような選択をしたことがない笑
でもこの日のことをよく覚えている。
医者は単なる人体の修理屋ではなく
人間が人間らしく生きるための補助者であると心得てほしい
小学生ながらに、それがめっちゃ刺さるほど
母の病気を通じてそういうことを感じていたんだろうなと思うし、私がそう思うくらいに、母の先生がそうしてくれていたんだろうな。
もしかすると興味のベースがそこにあったからこそ
その後に人と深く関わるような仕事をしてきたのかもしれない。
そして
生命力の不思議さと気高さ
それは本当に母が見せてくれた
こう書くと美しいもののように聞こえてしまうかもしれないんだけど、
現実は全くそんなことではなく、
『もう勘弁してよ!!』と泣いたり怒鳴ったりすることの方が多くて。
だけど、生きる力?生きようとする力?
っていうのは、本当にお医者さんの想像を超えるところにあるんだろうなと
毎回目の前で見て思ってきた。
だから私はあんまり
お医者さんに言われることを頭からは信じません笑
何度危ないと言われただろう。。
その度に復活する母親を見て
『この人は死なないんじゃない?
もしかして不死身なの?』
って、姉と笑ったことがあった笑
※あ、念のために加えておくと、
私たちも小さかったけど、母も若かったのです。
40代〜50代だったから単純に体力もあったんだと思います。
お医者さんになりたい!!という
小学生の頃の私の志はお医者さんとは違う形で
今も進行中なのかもしれない笑
子宮推命の鑑定をしています↓