録画していた「ダークサイトミステリー」の「“ひかりごけ”の衝撃〜現代の私たちの物語〜」(9月3日放送)を見た。武田泰淳の「ひかりごけ」は20年以上前に読んでいるが、感銘しなかったため内容の大半は忘れた。以下は番組サイトでの紹介。
―あなたは極限状況で生き延びるため、他人を犠牲にしますか?それとも他人を生かすため、犠牲になりますか?映画化・舞台化などで有名な、戦後文学の問題作「ひかりごけ」(作・武田泰淳)。遭難し洞窟に閉じ込められた4人の男。飢餓のなかで迫られる究極の選択とは?
またこの作品と似た状況が発生した、「アンデスの奇蹟(きせき)」事件とは?不安に囲まれる現代社会、人間が生き延びようとすることで背負う罪と、心の闇に迫る。
武田の「ひかりごけ」は、昭和19(1944)年5月に発覚した「ひかりごけ事件」をモチーフにして描かれている。ひかりごけ事件の解説で次の箇所は興味深いと感じた。
「刑法に食人に関する規定がないため、釧路地裁にて死体損壊事件として処理された」
「船長による食人の話は口伝えで広まったが、新聞報道は行われなかった。裁判記録は廃棄され、捜査記録も戦後発生した火災により焼失したことから、事件の詳細が知られることはなく、逆にさまざまな憶測が流れることとなった」
武田の「ひかりごけ」が退屈だったのは、人類史では飢饉のために食人が度々発生していたし、強調するまでのものではないと感じたから。
「人間が生き延びようとすることで背負う罪と、心の闇に迫る」などの宣伝も馬鹿げているし、深刻ぶり道徳を振りかざしたければ、食人の歴史を調べてからにしろと言いたい。
江戸時代は度々飢饉が起きており、特に天明、天保の大飢饉での東北の被害は凄まじかった。天明の大飢饉では餓死した人間の肉を食べ、人肉に草木の葉を混ぜ犬肉と騙して売ったという記録がある。
十数年前だったと思うが、歴史セミナーに参加した私の叔母は江戸時代の飢饉の惨状を聞かされたという。天明か天保なのかは確認しなかったが、餓死者の遺体を塩辛にして食べた村まであったそうだ。飢餓でも痩せていない村人を不審に感じた人の通報もあり、村の人肉食が発覚する。
村に出向き、問い詰めた役人に対し、男たちはおいおい泣きながら罪を白状する。これに対し女たちは涙一つこぼさず、役人をにらみつけ、役人に食って掛かったとか。叔母の話から男と女の違いが伺えて忘れ難い。
wikiには武田は東京帝国大学文学部支那文学科に入学するも、左翼活動を繰り返し、逮捕・拘束・釈放後に大学を中退したことが載っている。「中国文学研究会」を設立したこともある男だから、中国での食人史は熟知していたはずだ。「ひかりごけ」を書いた武田のこの経歴をNHKでは触れなかったのは書くまでもない。
wikiのカニバリズムには世界各国の食人が詳細に解説されている。飢餓で止む無く人肉を口にしたのは世界中で見られるが、戦時下でも食人事件が起きていた。第1回十字軍でのマアッラ攻囲戦(1098年11-12月)もそのひとつで、マアッラ(現シリア)を占領した十字軍兵士はムスリム市民の死体を躊躇わず食べ、犬まで口にしたという。新大陸でも白人は原住民の子供を焼き肉の様に焼いて食べたことがあり、基本的に異教徒は人間ではないのだ。
「アンデスの奇蹟」事件とは、ウルグアイ空軍機571便遭難事故での奇跡的な生還を指す。全乗客45名のうち29名が死亡したが、16名は72日間に及ぶ山中でのサバイバル生活の末に生還する。但し生存者は遭難中に食人を行い、これが生存者に対する世間の心無い好奇の目を集めることになった。
世間が注目したのは報道が原因だった。多くの報道が興味本位で生存者の食事をクローズアップし、気味の悪い写真と見出しの扇動報道が溢れる。一面トップで生存者たちの人肉食に焦点を合わせた記事を発表した新聞まであったという。
「アンデスの奇蹟」の救いは、南米社会では影響力の強いカトリック教会が生存者を全面的に支持したこと。教義に照らしても死者の肉を食べたことは罪に当たらない、というのだ。
対照的に生存者が1名のみだったひかりごけ事件生存者は、悲惨としか言いようがない。「船長の心情」は痛ましいとしか感じられないし、船長が自殺未遂を繰り返したことを番組で初めて知った。
アンデスの奇蹟、ひかりごけ事件双方の生存者を苦しめたのは記者や作家などの言論人である。センセーショナルな記事や作品で注目を集め、食人を糾弾する言論人だが、同じ目に遭えば連中こそ躊躇いもなく人肉を口にするだろう。己の行為については徹底した隠蔽を図り、発覚すれば口舌の限りを尽くして自己弁護する輩だと私は見ている。
私も極限状態に追い込まれれば、生き延びるため他人を犠牲にするだろう。東北人の私の先祖には、江戸時代の飢饉で食人した村人がいたのかもしれないのだから。
これに尽きるますよねえ。
ひかりごけの同時期、茨城県民も他人事ではないのですが極限飢えを経験し大規模な食人が行われた
ニューギニア戦線のほうがそういう意味では悲惨ですねえ。20万人中2万以下しか返らなかった戦場ですから。本によっては「その場から有機物がすべて消えた」なんて記述があるくらいの状況。ちなみにニューギニアに投入された3個師団のうち一つは茨城師団なんです。(51師団)
間接的ですが、(祖父のからの又聞き 祖父は近衛師団でニューギニアには行っていない。玉音版クーデターには巻き込まれてますがw)サルの肉と称して食べていた人の話とかを聞いたことがあります。
何が正しいかを線引きしないのが正しいのでしょう。
ところで、生物には自身の生存より子孫の繁栄を優先する本能(親の無償の愛)があるのですが、飢えた場合は子を食べます(さすがに交換して食べたと言いますが)。
子が自立できていれば、自身を食わせるでしょうが、そうでないなら(幼い子だけでは生き延びれないから)自身が生き延びて新たな子を作る方がよいという判断です。
こういうのも、何が正しいかを線引きしないのが正しいのでしょう。
御祖父様が近衛師団だったとは命拾いしましたよね。玉音版クーデターでは危なかったにせよ、ニューギニア戦線に投入されるよりマシだった?私の母方の祖父も近衛師団でしたが、結核を患って終戦前に死去しました。
記事を書いた時、何が正しいかを線引きする考えは全くありませんでした。仰る通り何が正しいかを線引きすれば、個人も社会も混乱してしまいます。
その意味で番組サイトにある問いかけは無責任ですよね。極例を持ち出し、「不安に囲まれる現代社会、人間が生き延びようとすることで背負う罪と、心の闇に迫る」等と事件と現代を絡めている。
戦時下の日本人及び日本社会の異常性を強調する目的だろうと単純に見ていたのです。武田が大陸で従軍した話は紹介しても、東京帝国大学文学部支那文学科に入学、「中国文学研究会」を設立したことをネットで知りました。
さすがに人肉と知らされては食べるのに抵抗があるのでサルの肉と偽って人肉を食べていたということです。
ちなみに茨城部隊て本土決戦要員以外は大別
して14師団(ペリリューで玉砕)33師団(
インパール 親族でも死者あり)51師団
ニューギニアとハズレくじ率が極めて高い素敵な
土地です。ほんと爺様は運がよかったです。
なお仙台師団はガダルカナルのあとインパールの後のガタガタのビルマ戦線の後始末をさせられたので宮城県民もなかなか運が悪いです。
wikiで見たら仙台師団とは第2師団と呼ばれたそうですね。ガダルカナルでは7000名を越す損害を出し、ビルマ戦線の後始末をさせられたことを河北新報ではまず取り上げません。映画にもなった八甲田雪中行軍遭難事件では宮城県出身の兵士は48名、うち生存者は2名のみです。
ニューギニアやビルマで戦った皇軍兵士の名誉のために言うと、確かに一部極限状態で生き残るために人肉食をした者もいたそうですが、そういう人間は異常に脂ぎっているのですぐ分かったそうです。そして仲間から排除され孤立しました。
大半の兵士が餓死したということは、いくら極限状態でも仲間の兵士の死体(敵兵でも同じ)は食べられないという人としての矜持があったという事だと私は思います。
仰る通り大半の兵士が餓死した背景には、極限状態でも仲間の兵士は口にできないという矜持があったゆえでしょう。餓死以前に極度な栄養失調に陥ると発病しやすくなるそうで、病死も多かったと思います。