トーキング・マイノリティ

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映画ボヘミアン・ラプソディ その①

2018-11-24 21:10:20 | 映画

 この作品は既に先週のレディースデーで観ている。しかし、フレディ・マーキュリーの命日である今日に記事にすることにした。生きていれば今年72歳を迎えていたし、没後27年目で伝記映画が上映されたことに長年のファンは感無量の思いだろう。フレディの伝記映画企画は以前からあったし、一時はフレディ役にサシャ・バロン・コーエンが予定されていた。
 だが、制作過程でコーエンとクイーン側との相違があったらしく、コーエンは結局降りている。私的にはコーエンが嫌いなので、映画がお流れになったことは惜しいが、この時はホッとさせられた。2016.4.11付のネットニュース「ブライアン・メイ、サシャ・バロン・コーエンの発言に反論」だと双方の言い分が食い違っているが、元から嫌な野郎のコーエンならさもありなん…と感じた。

 これほど公開が待ち遠しかった映画は久しぶりだった。「魂に響くラスト21分―、その感動に涙が止まらない」というコピーは大げさだが、一応は涙対策で当日のアイメイクは控え目にし、大き目のタオルハンカチを用意して映画館に行く。はじめに使われるのはどの曲?ライブシーンは大丈夫?と大いに期待して。
 配給が20世紀フォックスなので、会社のロゴと同時に流れたテーマ曲がギター演奏だったが、ブライアンの演奏か?映画の冒頭はフレディがライヴエイドの大舞台に臨むシーンなのだ。車で乗り付けたフレディがアリーナに立つ処で、一転してストーリーは過去の時代になる。この時流れた曲は「愛にすべてを/Somebody To Love」、この名曲がトップだった。



 しかし、フレディの後姿を見た時の感想は、「あれ、首毛がない!」。毛深い胸毛がトレードマークのフレディはもちろん首毛も濃く、クイーンを現役で聴けた世代にも関わらず、私がフレディを敬遠していたのは総て胸毛が原因だった。フレディを演じたラミ・マレックにも胸毛はあったが、やはりフレディよりは薄い。
 何も濃い体毛まで再現しろとは言わないが、先ずこれで違和感を覚えた。それにしても、慣れとは恐ろしい。かつてはフレディの毛深さにドン引きしたのに、胸毛の薄さに物足りなくなるとは。今ではフレディがこの世に戻ってきたら、あの胸を思い切り撫でまわしたいと思っている。

 さらにフレディの目の色も違っていた。ダークブラウンの強い目が印象的なのに、マレックはグレイがかった目。これには体毛よりも違和感があり、せめてカラコンを入れろ!と言いたくなった。虹彩の色が薄いと眼光はソフトになりがちだが、もしカラコンを入れたとしても、マレックにあの目力が出せたのか疑問だ。細かいことを言えば映画のブライアンも碧眼(実際はヘーゼルブラウン)になっていたが、こちらには特に何も感じなかった。

 メンバーによく似た容貌の役者を集めたのは確かだし、彼らもメンバーのしぐさを見事にマスターしていたことは判る。ただ、コアなファンには、4人とも挙って実物よりルックスが劣る、と感じた人が多かったのではないか?見れば見るほど、やはりイミテーションなのだと痛感させられ、ストーリーが進行するにつれ違和感がますます強まっていった。
 そんな中で実物よりダンディとなっていたのがマネージャーのジム・ビーチ。フレディの両親役もよく雰囲気が出ていて良かった。バンドメンバーの妻たちまで登場、こちらも雰囲気が似ていたのは笑えた。

 チラシには、「複雑な生い立ちや、容貌へのコンプレックスを抱える孤独な若者だったフレディ」の一文がある。しかし、この解説にも異論を唱えたくなる。出自がパールシーであっても、家庭環境は複雑には程遠かったし、それほど容貌にコンプレックスを抱いていたとは思えない。さすがにあの歯は生涯気にしていたらしく、“出っ歯”という日本語だけは知っていたという噂まであるのだ。
 しかし、歯以外では自分は完璧だ、と公言したこともあったし、歯を矯正しなかったのは、それによって声が変わることを恐れていたという見方もある。無名時代から友人には恵まれていた方だったし、孤独な若者の設定は無理があろう。

 映画には脚色が付きものであり、この作品にも事実ばかりか時系列的にも違う点が幾つもあった。創作?と感じた個所も少なくなく、ストーリー的には問題なしでも、やはり気になる。
 バンドメンバーに出会う前、空港で働いていたフレディが“パキ”と言われるシーンがあった。これはパキスタン移民への蔑称に他ならず、フレディが“パキ”呼ばわりされたことはあったかもしれない。
 しかし、出自を問われて生涯「ペルシア人」と名乗ったフレディの性格から、“パキ”呼ばわりされて黙ってはいなかったのではないか?インタビューや伝記などから、無名時代でも寸鉄人を指すことを言っているのだが。

 バンドメンバーやメアリー、最後で最愛の恋人だったジム・ハットンとの出会いも、実際とは違っていたことを指摘するレビューも幾つかあった。コアなファンには既知であっても、若い方や特にファンではない来場者は知らないだろう。
 クイーンの母体となったバンド「スマイル」のボーカル、ティム・スタッフェルは、バンドに見切りをつけて脱退しているが、ティムとフレディは同じアートスクール出の友人同士だった。そのためブライアンとロジャーはその縁でフレディと知り合っている。

 メアリーはフレディと交際する前、ブライアンと何度かデートしていたし、彼女とフレディの出会いもブライアンの紹介だったのだ。メアリーとブライアンの仲が友人以上にならかったのは相性もあろう。ブライアンはその前に知り合った教員養成学校の女学生クリッシーと真剣に付き合うようになり(二股)、彼女がブライアンの最初の妻になった。ブライアンも売れない頃は教師のバイトをしている。
 フレディとジムの出会いは後者の手記『フレディ・マーキュリーと私』に描かれている。出会いはロンドンのゲイバー、一緒に来ていたパートナーが小用に立った時、声をかけてきたのがフレディだった。以上の件は映画とは関係ないが、スターの私生活を詮索したがるのがおばさんの悪癖なのだ。
その②に続く

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QUEEN FOREVER展
Made In Heaven/フレディ没後20年目


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