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イタリアの悲劇

2020-11-25 22:10:24 | 読書/ノンフィクション

 タイトルでコロナ禍に見舞われているイタリアの惨状と思った方が多いだろう。しかしこれから書くのはコロナ以前のイタリアの社会問題であり、『逆襲される文明 日本人へⅣ』(塩野七生 著、文春新書1140)に載っているコラムのタイトルをそのまま借用した。本末には初出は文藝春秋2013年11月号~2017年9月号とあり、「イタリアの悲劇」は2番目にあるので、文藝春秋2013年12月号に掲載されたのだろう。
 但し内容は日本とさして変わりなく、イタリアでも深刻な経済危機が起きていたことを初めて知った。2013年頃のイタリアの社会情勢が伺えるので、コラムの冒頭から紹介したい。

消費が冷えこむとは、かくも恐ろしいとは知らなかった。イタリアはこの二年、厳しい緊縮政策のおかげで深酷な不況にあえいでいる。
 かつてのイタリア人は、家族べったりと笑われるくらいに、家族を大切にする国民だった。だから、親が子を殺したり子が親をめった切りにしたりするような事件は、ほとんどと言ってよいくらいに起らなかったのである。政府は信用しなくと家族は信用するという感じで、国旗も、赤白緑の三色旗のうえにファミーリアと大書きされたものであるべきと言われていたくらい。それが今では、親と子や夫と妻の間に起きる家族内の殺生沙汰が、連日のように報道されるようになった。

 失業者、短期の非正規、もともとからしての未就業者、といういずれも安定した職がないということでは共通している人々が、二十代に留まらず四十代にまで広まったからで、この人たちが狭い家の中で顔をつき合わせるがゆえに増えた現象なのである。それで家庭内殺生も、貧しい家にばかり起る。

 学校を出たら就職し、親から離れて独立し、クリスマスや夏のヴァカンスのときだけ家族全員が顔をそろえる、というのがイタリア人の生活だった。それが、クリスマスでも夏休みでもないのに、家族は常に顔をつき合わせる状態になってしまったのだ。子供が小さい頃は、同居していても占有する空間ならば小さいから、狭い家でも気にならなかったにちがいない。それが四十男や三十女になっては、しかも職がないので稼ぎもなしとなっては、気にさわる存在になるのは当然である。
 それに、普通の人間にとって自尊心を維持するのは、職を通じてなのだ。それを拒絶されたのを忘れるために麻薬に走り、ゲーム賭博に手を出すようになる。それに要するカネは、親にせびるしかない。

 以前からイタリアには「カッサ・インテグラツィオーネ」という名の機関がある。辞書では「労働組合の給与補填基金」と訳しているが、足りなくなると国家から補填しているからで、実態は国による失業中の給与補償機関である。景気が悪化すると経営者は従業員はここに入れる。反対に上向くと従業員を呼びもどすので、景気悪化中は労働者をプールしておくのが、この基金のもともとの目的だった。
 かつては日本の労働法学者たちが大変に褒めた制度だが、私はその頃からすでに、経営者のモラルハザードになると見ていたのである。それでも右肩上がりの時代は、まあまあ機能していた。ところがそうでなくなった今、この基金に送られても呼びもどされる可能性無し、が常態化しつつある。しかも、いつまでも「カッサ」にいられる保証はない。

 大企業に何十年も勤めてきた父親が、今や「カッサ・インテグラツィオーネ」中。母親は、夫が失業するとは思っていなかったので専業主婦のまま。大学まで出した息子は、就職氷河期の犠牲になって職が見つからない。未就職がつづいていると、経験者を求める求職からも遠のくばかりで、もうハローワークにさえも足を向けなくなった。
 同じく大学を出た娘は教職を望んでいたのだが、正規がなく非正規。毎朝二時間もかけて地方都市に行き一日二時間の授業を週に二日引き受けているのだが、それでもらう給料では独立などは夢。

 これが、イタリアの労働者一家の、悲しいまでの現実である。口にしたちょっとした言葉が言われた側を深く傷つけるようになる。かつてイタリアの殺人は恋愛沙汰で起こっていたのが、貧しさと将来への不安と自分もふくめた人間全般への怒りで起るようになってしまったのである。そしてこの悲劇の原因は、イタリアの企業が労賃の安い国に行ってしまったためにイタリア内の職が減少したこともあるが、イタリアの事情によるところも大きいのだ。
 消費が冷えこむことによる弊害は誰にでもわかるが、イタリアではそれが、財政の健全化を最重要視した故の増税と、それを厳密に実施するうえでの税務の警察化によって起ってしまったのである……(17~20頁)

 長く引用したが、ナナミスト(塩野七生ファン)でも私はイタリア史やイタリア情勢には特に関心はなかった。イタリア人と言えば底抜けに陽気、景気が悪くとも思い切り人生を楽しむ国民性というステレオタイプ型のイメージが強く、コラムで紹介された社会問題があることを知らなかった。
 その種のイメージも、何かとイタリアを称賛しつつ日本を貶しつける文化人による影響が大きい。最近日本のメディアにやたら登場する、タイムスリップものの風呂漫画で知られるようになったYなどが典型だが、この手合いはイタリアの問題点にはまず触れない傾向がある。イタリアの諸問題も指摘する塩野さんとは好対照だが、メディアが好むのはYの様な“イタリア通”である。

 日本でも家庭内の殺生沙汰が報道されることは珍しくなくなった。私の住む宮城県仙台市でも自宅に放火し、家族を死傷させた疑いで先月逮捕された男がいた。事件が起きたのは昨年12月25日だが、画像付きで取り上げたニュースサイトもある。
 犯人はこの家に住む三男(24)で、大学卒業後も職に就かず、居候状態だったため家族とトラブルになっていたらしい。しかも住所が青葉区吉成、我家からも近く何ともやりきれない思いになる。昨年10月には財政の健全化を最重要視した故の増税も行われており、日本だって悲劇なのだ。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
犯罪の経年傾向 (mottom)
2020-11-26 09:26:35
イタリアの情勢は知らないので一般論としてですが、犯罪の経年傾向を社会情勢と結びつけるのは難しいものがあります。

例えば、日本における凶悪犯罪や少年犯罪は戦後から一貫して劇的に減少しているわけですが、報道からはそんなイメージはないと思います。

また、それらは犯罪白書や警察白書などの統計を見ればある程度分かりますが、家庭内の犯罪はそれでも実態は分かりません。

>かつてのイタリア人は、家族べったりと笑われるくらいに、家族を大切にする国民だった。
>政府は信用しなくと家族は信用するという感じで、

これが意味することは、(少し前までの日本と同様に)家族内の問題は家族内で処理していたということです。
すなわち、最近までは家族内の犯罪は表に出ていなかっただけ、なのかもしれません。
(イタリアの情勢は知らないので、可能性としてですが。)
Re:犯罪の経年傾向 (mugi)
2020-11-26 22:06:20
>mottom さん、

 貧すれば鈍するの諺があるとおり、経済状況が悪化し収入源となれば、犯罪が激増せずとも減少することはないと思います。

 仰る通り、日本における凶悪犯罪や少年犯罪は戦後間もなくの方が多かったのです。たまに凶悪犯罪は起きても、全般的には減少している。しかし報道は殊更凶悪犯罪を強調するのです。

 但し家庭内の犯罪は未だに実態が解明できないし、家族内の犯罪は表面化しにくい。かつて日本は子供を大変大事にすると言われた国ですが、最近では虐待事件が頻繁に三面記事に載る有様。最近になって家族観が変わったというよりも、昔から行われていて表に出ていなかっただけなのかは判りません。

 イタリア情勢は私も知りませんが、塩野さんのコラムはメディアでのイタリアのイメージとは正反対なので印象的でした。
Unknown (鳳山)
2020-11-26 23:47:18
私もステレオタイプのイタリアイメージを持ってましたが、どこの国も違った実態があるんですね。勉強になりました。
鳳山さんへ (mugi)
2020-11-27 22:29:14
 イタリアに限らないですが、メディアに登場する海外通がステレオタイプの情報を垂れ流すので、その国の実態が分からなくなるのです。特に女にはこの類の文化人が多いですよ。それを真に受けて渡航したら大変なことになる。
ステレオタイプのイタリアイメージ (motton)
2020-11-30 10:06:47
ステレオタイプのイタリアイメージって「マフィア」では無かったのかな(^^)
首相だったアンドレオッティやベルルスコーニ…

矛盾はせず、
家庭的で=政府の言うことをきかず
陽気で人生を楽しむ=他人の迷惑を気にしない
という裏返しです。ヤクザと同じです。
(良いことだけであることは、絶対にありません。もしそうなら皆がそうなっているはず。)

日本で言えば、大阪の"みなみ"。共に古くから商業や運送業が発達しているので似ているのでしょう。
Re:ステレオタイプのイタリアイメージ (mugi)
2020-11-30 21:37:50
>motton さん、

 仰る通りイタリアの著名組織としては、「マフィア」がダントツでした。日本では最近ニュースにならないのですっかり忘れていましたが、マフィアと繋がりのない首相など考えられないし、アンドレオッティやベルルスコーニに至っては、マフィアのドンが首相を兼ねた印象です。

 塩野さんのエッセイによれば、映画制作をするにせよマフィアを通じないと難しいようです。マフィアと通じていれば撮影もスムーズに行くとか。それがイタリア社会なのでしょうね。

 古くから商業や運送業が発達している所では文化圏を問わず似てくるのでしょうね。対照的に近代になって人口や産業が拡大した都市でも「マフィア」は集まってきます。福島県郡山市はかつて「東北のシカゴ」と呼ばれていて、仙台よりも治安が悪かったのです。
Unknown (牛蒡剣)
2020-11-30 23:56:34
マフィアとつながりのない例外がムッソリーニらしいですね。彼がマフィアを叩いたおかげで法治
と中央集権が進んだという人もいますね。
これと鉄道が時間通り来るようになった。(今は
どうなんでしょうか?)この点が功績だという人も。

 彼の孫が国会議員だというのもこういう面を評価する国民がそれなりにいるということなんでしょう。

ちなみにマフィアの名所シチリアではww2の連合軍の上陸作戦でアメリカ軍にマフィアが協力したりしてるんですよね。
牛蒡剣さんへ (mugi)
2020-12-01 22:01:06
 ムッソリーニのマフィア嫌いは徹底していて、彼の時代にはマフィアは鳴りを潜めていたそうです。鉄道の他に郵便もきちんと届くようになり、庶民は歓迎したのは書くまでもありません。現代のドイツさえ鉄道が時間通りに来ないので、イタリアは推して知るべしでしょう。

 塩野七生さんによれば、イタリアの民衆はムッソリーニを愛人共々殺して広場に逆さづりにしたくせに、その後は彼に同情的になったとか。彼の孫が国会議員になっているのだから、やはり根強い人気があると思います。

 ww2の連合軍の上陸作戦でアメリカ軍にマフィアが協力した際、アメリカマフィアの大物ラッキー・ルチアーノも協力していましたよね。ノルマンディー上陸ではフランスのマフィア、ユニオン・コルスの協力が必要でした。ユニオン・コルスの名を知ったのは歴史書ではなく、小説『ジャッカルの日』で。