今週の『ドラHOT+』は、放送前日に急逝された高木守道さんの追悼や、アメリカで自主トレを行ってきた根尾の特集など放送してくれてました。




オープニング。

(スタジオ)
峰竜太「非常に残念なニュースが入ってきました。皆さんご存じの通り、選手・監督として長年にわたってドラゴンズを支えてこられた高木守道さんがきのう(1月17日)急性心不全でお亡くなりになりました。あらためてご冥福をお祈りします。きょうは立浪さんにも来ていただいてるんですが、びっくりしましたよねぇ」
立浪和義「はい、まだまだ元気で長生きされる方だと思っていたので、本当にびっくりしましたね」

峰「きょうは高木さんに関して、皆さんにいろいろと見ていただきたいと思います」
宮武アナ「走攻守すべてでファンを魅了した高木守道さん、まずはその輝かしい功績を振り返りましょう」




(VTR)
きのう急性心不全のため78歳で亡くなった高木守道さん。地元・岐阜県出身。1960年に県立岐阜商業高校からドラゴンズに入団すると、3年目からレギュラーに定着し、走攻守3拍子そろった二塁手として活躍。代名詞となった華麗なバックトスでファンを魅了しました。

権藤博「打球が飛ぶと、さりげなくボールの下に行っているっていう。そういう動きの天才プレーヤーですね」

1974年にはリードオフマンとしてチームを牽引。ジャイアンツのV10を阻止し、ドラゴンズの20年ぶり2度目のリーグ優勝に貢献しました。

(優勝直後)
アナ「守道さん、どう?」
高木「あーありがとうございます。うれしいですねぇ」

鈴木孝政「大変な騒ぎだったっていうこと、それとベテランの方が号泣してるわけですね」
スタッフ「高木さんも?」
鈴木「あ〜一緒ですね。われわれと別枠っていうか、違う世界に居る人が泣いてましたからね」

1980年に現役を引退するまで、プロ通算21年間で2274安打、236ホームラン。3度の盗塁王、ベストナインに7度輝くなど、その活躍から“ミスタードラゴンズ”と呼ばれました。

引退後はドラゴンズの守備コーチや2軍監督を歴任したのち、1992年に監督に就任します。印象深いのは就任3年目の1994年。

(19年3月取材)
高木守道「(当時の球団代表から)今年で終わりなんだから、残りゲームは頑張ってくれということを言われたんですよ。よし、それじゃあ残り試合をとにかく、私がゲームを投げないように」

この年限りでの退任がささやかれる中、9月から10月にかけて破竹の9連勝で首位のジャイアンツに追いつき、シーズン最終戦・10月8日を迎えました。今や伝説となったジャイアンツとの同率での最終戦。勝てば優勝の『10・8決戦』です。

ジャイアンツに惜しくも敗れたものの、死力を尽くしたプレーの数々は、悔しさとともに多くの感動を呼びました。

(19年3月取材)
高木「こんな悔しい思いはないんで、来年またやりましょうということを選手が言ってきてくれましたからね」

2度目の監督就任は2012年。

(就任会見)
高木監督「いろんなファンの方に頑張ってと声をかけていただきましてですね、これは何としてもやらなきゃいけないという思いがどんどん強くなっております」

ファンの期待を背に70歳からの歳登板。監督としての優勝は果たせませんでしたが、その熱い思いはファンの胸に刻まれました。

2006年にはその輝かしい功績が認められ野球殿堂入り。野球人として残した高木さんの足跡は、これからも色褪せることはありません。

権藤「ずっと生き続けるぐらいの天才だって思ってましたからねぇ。二度と出てこないですね」

鈴木「本当に急ですから。(かける言葉は)やっぱり『お疲れ様でした』でしょう。すぐ生まれ変わって野球やると思いますよ。そんな気がします」

高木守道さん 心よりご冥福をお祈りいたします




(スタジオ)
峰「私も現役時代のプレーを見させていただいてるんですけど、権藤さんもおっしゃってましたけど、あの守備は天才っていうことが言えるんじゃないでしょうかねぇ」
宮武「あらためて高木守道さんの偉業を整理していきます。プロ通算21年で2274安打、236ホーマー、そして369盗塁を記録しました。7度のベストナインに輝き、3度のゴールデングラブ賞、そして3度の盗塁王にも輝きました。本当に華々しい成績ですよね。そして現役引退後は2度の監督に就任し、94年にはあの『10・8決戦』を指揮し、指導者としても存在感を残されました」

峰「立浪さん、こうして見ますと、高木さんの功績というのは大きいですね」
立浪「体がちょうど自分と同じぐらいなんですけど、ホームラン236本、また盗塁もできてね、長きにわたってドラゴンズを引っ張って、歴史をつくってきてくれた方ですよね」
峰「そのあとにミスタードラゴンズを継いだ方が立浪さんですからね」

峰「立浪さんはいろんな目標にしてた、例えば数字とかはあったんですか?」
立浪「数字はなかったんですけど、特に監督・選手の関係でやらせてもらったときに、ちょうど自分がセカンドにコンバートされたときでしたし、ホントにセカンドの名手ですから、見る目がすごく厳しくなりましたよね。

印象に残ってるのが、サードゴロが冒頭になったとき、『オレはダイレクトでキャッチするんだ』と、セカンドからカバーに行ってですね。いつもそういう気持ち、いつか捕ってやろうと思ってカバーリングに走っていたというのを言われたことがあってですね、それが今でもすごく鮮明に頭の中に残ってますね」

峰「監督としてはどんな監督でした?」
立浪「口数とか言葉数は少なかったんですけど、ホントに野球に対して熱い方で。思い出に残るのは『10・8』で、負けると監督がいろんなことをそのあとに言われたんですけど、実際にやってるのは選手で、あそこでもし勝っていれば、また高木さんにいい思いをしてもらえたのかなと思いますね」

峰「あのときは高木さんも、選手から『もう1年やりましょうよ』って言われたのは、その人柄というのもあるんでしょうね。このあいだ殿堂入りのパーティーがありましたけど、そのときに高木さんとは何か会話は?」
立浪「挨拶に行かせてもらったときに、すごくお元気で、食事もたくさん食べられてたっていうことを聞いてましたから、本当にびっくりですね」
宮武「本当に急だったんですね」

峰「ドラゴンズだけではなく日本の球界にとっても本当に大きな方が亡くなられました。ご冥福をお祈りしたいと思います」


先週のドラゴンズ振り返り。

(VTR)
(宝塚市にて)
山本拓実「笑かして笑かして、緊張するから(笑)」

山本 新成人の誓い

晴れ着姿の女性たちに囲まれているのは…。

スタッフ「緊張した?」
拓実「緊張しました!あんまりこういうことないんで」

地元・兵庫県宝塚市で成人式を迎えた山本拓実投手。

――20歳を迎えたら何をしたい?
拓実「お酒が飲みたいです。(登板後)『あ〜きょうも頑張った〜』っていうのを味わいたいです」

そんな山本投手、年明けには母校・市立西宮高校で自主トレを行いました。この高校では初のプロ野球選手。県内有数の進学校で、野球の強豪校とは全く違う練習環境です。

拓実「年明けの最初はここでやりたいなと思ってるんですよ。ナゴヤ球場に比べたらそんなにいい環境ではないので、高校のとき思い出すというか」

初心を忘れずプロ3年目に挑みます。

拓実「最低条件として、1群に1年間いることは絶対なんですけど、先発を自分はやりたいと思ってるので、規定投球回に達した上でふたケタ勝利っていうのは、ひとつ目指してる数字ではあります」


梅津 2年目に不安なし!

大学時代の同級生、ベイスターズの上茶谷投手と自主トレを行っているのは梅津投手。去年は自主トレ中に右肩に違和感を覚え出遅れたことから、肩の可動域を広げるトレーニングでケガの予防をしています。

梅津「去年とは違い、どこにも不安がない状況でトレーニングとか野球の練習ができてるんで、すごくいいスタートが切れてるかなと思います。まずは1年間ケガをしないで投げ切ることと、その先にふたケタ勝利ができればいいなと思います」


吉見 アメリカから完全復活目指す

一方、再起をかけるベテラン吉見投手はアメリカ・ロサンゼルスでファイターズ金子投手と自主トレ中。トヨタ自動車時代の先輩である金子投手に誘われ、アメリカ流のトレーニングメニューに取り組んでいます。

心酔しているという先輩から刺激を受け、完全復活を目指します。


小笠原 笑顔で「全力」

そして、ここ名古屋でも多くの選手が自主トレをしています。小笠原投手はとにかく笑顔。年末年始にドミニカ共和国のウインターリーグを視察しました。

小笠原「向こう(ドミニカ)の選手たちは、いつクビを切られるか分かりませんし、そんな中でもすごく楽しんでたので、僕らもそうやってやらなきゃいけないのかなって」

去年手術を行ったケガから解放され心機一転。キャッチボールから全力をテーマに笑顔でトレーニングに励みます。

小笠原「向こうの人たちのキャッチボールってすごく力強いボールがたくさんあったので、もっと上のステージに上がるには、そこからやっていかないといけないのかなと思って取り組んでます」


根尾の武者修行に密着。

(1月2日 セントレア)
根尾昂(19歳)。秘薬のプロ2年目へ、向かった先は…。日本からおよそ9000キロ、アメリカ・ロサンゼルス。大阪桐蔭高校の先輩・平田選手とともに自主トレを行った。

根尾「1年間やってみて足りなかった部分っていうのを、もっともっと追い求めながら」

ルーキーイヤーは1軍出場わずかに2試合。シーズンを終えると去年11月に台湾での武者修行。現地を訪れた立浪和義に語ったのは2年目への強い決意。

根尾「この1年間を通してやってみて、コツコツやり続けて、付いたときに勝負できるなっていう自信というか、そういう確信みたいなものはあるんで」

そして新たな挑戦。ロサンゼルスでは充実の日々を過ごしていた。根尾昂の2020年が始まった。


今月、根尾がいたのはアメリカ・ロサンゼルス。平田が行っているロサンゼルスでの自主トレに今年から加わった。

根尾「去年は春の自主トレでケガをして、キャンプに入れなかったですし。より集中できる環境を考えて、平田さんにお願いして。『だったらこっち来いよ』って言っていただいたんで」

平田「僕自身も高卒1年目のオフっていうのは何をしていいか分からなかったし、同じ高校を卒業している後輩として特別に思ってるところはあるので、何か助けてやれることはないかなと思って誘いました」

このトレーニング施設では体の使い方を論理的に学ぶことができる。

根尾「こうなるからこうなるっていう、その理論づけであったりとか、例えば可動域があっても、それが(動きとして)出せないからパフォーマンスが上がらないのであって、っていう根拠がしっかり明確になっているので」

メニューを組むのはNBA選手などトップアスリートのトレーニングも手掛ける新垣トレーナー。特に意識をさせるのが『呼吸』だ。

新垣トレーナー「僕が呼吸の指示を出す理由っていうのは、まず体をニュートラルな状態に戻す。その上でしっかり肩関節、股関節を動かしましょう。それから可動域のエクササイズをするっていう感じで」

さらに最先端の技術もフル活用。肉体的にもかなりの負荷がかかる。

根尾「基本は下半身重視で、特にお尻の部分を重点的にやっているので。体重増加もそうなんですけど、筋力をもっと高めていけたらいいなと思ってメニューを組んでもらってます」


トレーニングで感じたことを踏まえ野球の練習が行える。ここロサンゼルスで自主トレを行うメリットだ。フリーバッティングでは体の使い方を意識してバットを振る。

根尾「飛ばすだけだと意味がなくなっちゃうので、何で飛んでるか?というところであったり、どうやったら飛ぶか?っていうのを考えながら。タイミングもそうですしスイング軌道もそうですし、秋のキャンプからずっとやってるんで、特にそこは」

1年目を終えオフから取り組んだのはバッティングフォームの改良。構えたときの手が体の正面に位置するようになり、スムーズにテークバックが取れるようになった。そしてロサンゼルスで取り組んだのは、効率的に体を使い遠くへ飛ばすこと。これが2年目の飛躍のカギだ。その先に待つのは台湾で語った、根尾が目指す選手像。

根尾「僕のイメージは立浪さんのようなツーベース。そこがいちばん今の自分が目指すところなのかなっていうのは」

2020年が始まり、遠く離れたロサンゼルスで充実の日々を送った根尾。そして秋から取り組む外野守備。球界屈指の名手・平田から全てを吸収すべく取り組んだ、その全貌は次週明らかに。

平田「僕はまだ根尾のことはライバルと思ってないので。ライバルになってほしいですね」




モコ感想:高木守道さんの現役時代はかすかにしか分からないんですが、ものすごく遠い距離をバックトスで送球するシーンはすごいですね。荒木コーチが抜くまで球団記録だった盗塁や、場合によっては長打もあったバッティングと、まさに3拍子そろったセカンドだったわけですね。

体調が急変したのだそうで、僕も速報が出たときはとても驚きました。ドラゴンズも少しずつですが変化の兆しが出てきたところなので、もう少し見守ってもらいたかったですが残念です。ご冥福をお祈りします。

そして根尾。平田は素晴らしいライトですけど、いかんせんケガが多くて、1年間フルに出られたシーズンが少ないのが玉にキズです。そしてセンター大島は平田のさらに2歳年上ということで世代交代が迫りつつあるタイミングなので、根尾には頑張ってほしいんですよね。

もちろん外野一本に決まったわけではないのですが、負担の少ない外野でバッティングに集中してもらいたいという気持ちも個人的に強いので、果たしてどうなるか楽しみです。
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