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8月15日、聖母の被昇天の大祝日おめでとうございます!大阪では小黙想会が行わました。

2018年08月15日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 8月15日、聖母の被昇天の大祝日おめでとうございます!
 今日は、大阪では28名の方々が聖伝のミサにあずかり、その後、聖母行列を行いました。とても幸福な一日でした!

 大阪では天主のお恵みによって、8月11日(山の日)から私たちは大阪で黙想の「山」に登って今日の15日まで小黙想会(静修)を行いました。
 午前9時45分ごろからロザリオ、10時半から聖伝のミサ、12時頃から昼食、午後2時と3時から2回の霊的講話、4時から5時まで顕示された御聖体の前での聖時間を過ごしました。毎日、10~15名の方々が参加されました。

 小黙想会の最中ではありましたが、8月12日には、大阪でのミサの直後に聖時間を行い、私は東京に向かって午後5時から告解、6時から聖伝のミサを捧げました。最初は黙想会のために難しいと思っていたのですが、多くの方々のご理解と励ましと協力とでそれが実現できました!お知らせが遅れてしまったにも関わらず多くの方々が参加されました。カトリック信仰に関心を深いお持ちで勉強をしたいという方々も、また初めての方もおられました。天主に感謝いたします!

 東京の聖伝のミサのご報告をいただきましたので愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】

Dear Fr Onoda:

8月12日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 19人(内、子供4人)
女: 16人(内、子供2人)
計: 35人(内、子供6人)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

本当に12日は東京でも主日の御ミサをお捧げ下さいましてありがとうございました。
昨日は夕立とか雷雨の予報があり心配でしたが、護られてよかったです。
神父様はお疲れと思いますのに、ぎりぎりまで信者さんたちとお話され最終(?)の新幹線に間に合われるか心配でした。

この日のお説教を聴くことを特に楽しみにしておりました。善きサマリア人の話だったからです。
私も自分なりに解釈して、確かにこのサマリア人はイエズス様でこの宿屋はカトリック教会に違いないと思っていました。
でもお説教を伺ってもっといろいろなことがわかってうれしく思いました。
私たちは多かれ少なかれ世間と悪魔と肉欲という強盗に襲われて半死半生になっているもののようだという言葉に思わずうなずいていました。
私を愛してくださっている御父が、私をカトリック教会に連れてきてくださり、正しく相応しく御父をお愛し申し上げることができますためこのごミサにあずからせてくださいましたことを、もっと感謝しなければならないと思いました。

特に昨日は私には、神父様の"葡萄酒を傷口に注ぎ傷をキレイにしてくださる"というお話が刻まれました。
その葡萄酒はイエズス様の御血、十字架に架けられて流し尽された御血ですという言葉と共に。

お説教の後、カノンに入ってから、私は主イエズスの流された御血という葡萄酒に傷口を洗われているのだという感覚に落ちているようで、聖なる奥義が内的な深いところで行われていることを垣間見させていただいているのかもしれないと、ふっと感じられました。

言葉で言うのは難しいのですが。

「贖われるということを口にするが、誰かの何かの犠牲によって良しとされるのであれば、その者以外の苦痛による恩恵を受けるのであるから、もう苦しみ傷んでいる当事者はそれ以上何もできないからその者以外が支払う代価をいただくことになる。それは霊魂のなかでおこなわれることで、目に見えず、音もしない。でも確かに霊的なところで何かが執り行われている。」

そんなことを感じる主日のミサでした。強まりゆく朝の光と違い、外の光が弱まっていくなか、霊的な光線はかわらず射し込まれておりました。

帰りに電車で友人と話していたことは、修道女の渡辺和子さんがそれでも決して許せないという人がいたとかいなかったとかと言う話でした。渡辺和子さんは、まだ9歳だったころ居間に父親といると、二・二六事件で陸軍大将の父親が青年将校に襲撃されて自分の目の前で父親が銃殺されるのを見ている方です。18歳の時にカトリックの洗礼を受けて、29歳で修道女になりました。

自分に苦痛を与えた人の救いのために祈るということについて、このところ考えるともなく考えていました。そんななか、「神はある人をだんだん沈んでいく泥沼から救いだすために自分の嫌悪、自分の反感、自分の憤慨に打ち勝つ他の人の犠牲を待っておられる」という文章を読みました。

普通なら無理なことであっても、天主の聖寵が与えられ、できるようになるかもしれません。イエズス様こそはそういった普通の人間が越えがたいことをされたのでしょうが、わたし自身はまだそのことをハッキリと理解するまで至っていません。、

身体や心だけでなく、霊のうちにも、苦しみ・傷みがあります。

ミサから流れでる聖寵は、それを受け取ることもできるし拒否して受け取らないこともできるのだと思います。自由な撰のなかに霊的な命はあるのだと思います。表面的な物事の進行の影には霊的な命の流れがあって、それは目に見えず聴くこともできずしかと感じることもできなかもしれない。でも、確かにあるもの。それがカトリックで2000年来守られてきたミサであり、その霊的な命の流れをとどめ置くことができないまでに変質されたものからは受けられないような恵み(聖寵)なのかなと思いました。

ミサのなか、霊的に葡萄酒が注がれて傷口を洗い清めてくださるということを黙想させていただきまして、ありがとうございます。

もう一つ思い出されることは、石の石板に刻まれた旧約の律法と違って、新約の律法は肉の心に刻まれているというお説教でした。肉の心は、痛みや苦しみに敏感です。天主として無限の深さの鋭敏さを持つ心が傷つけられるときその痛みはどれほどでしょうか。その代償の価値は計り知れないことでしょうと思いました。

いつもは何も感じることなく知らぬ間に受けているかもしれませんが、なんだか昨日はこのようなことがあれこれ浮かび、神父様に少しお伝えしたく思いました。

また、油を塗るということは、堅振の秘蹟のこととつながると話してくださいましたことについてです。先週の公教要理では、堅振によって聖霊の七つの賜物がいただけることの深い意味を、至福八端との関係を使って、よくわかるように例を挙げてお話しくださいました。とてもよいお話をありがとうございました。

私は長いあいだ、"聖霊"さまとは、どういう御方かをよくわかっておりませんでした。そもそも初めの地点で、聖霊の恵みを受けるということは、聖霊刷新運動のなかでおこなわれているセミナーを受けてから聖霊の満たしを受けることを意味しているように、周囲から誘われ続けていました。私が洗礼を受けた時は、ちょうど日本で聖霊刷新運動が始まりだした時だったのです。私の意志と関係なくその聖霊刷新カリスマ運動は、カトリックの信仰を受けたいと望む私の周囲にあり続けました。聖霊の満たしを受けると、その人の信仰は深くなり祈りも深まりますと誘われたものでした。異言や預言や奇跡をする力や種々の特別のカリスマをいただく人もいますよと。

どうして聖霊は三位一体の御方なのに、教会の秘蹟とは別なルートでしか信者に恵みを与えないというのか不思議でした。私の場合、堅振は洗礼と同時に司教でない神父様が与えてくださっていたので、堅振の秘蹟により聖霊の七つの賜物を与えられるのですという話を聞いたことがなかったのです。その状況のなかで、まるで聖霊の満たしを受けないと聖霊の恵みが与えられないとでもいうかのように聞こえて、不安に感じることもありました。でも、私はなんだか嫌でした。

ところが、先週の堅振のことの公教要理の講話を受けた後、私は最初から続くこの堅振式のやり方でカトリックの秘蹟をそのまま行い続けていたなら、カトリック信者は聖霊刷新カリスマ運動に惑わされることがなかったのでは? と気づきました。カトリック教会は、最初から、完全な信者となるために、聖霊とその賜物を豊かに受ける秘蹟をしっかりと保持しているのだと教えられましたから。ただそれが、通常通りおこなわれなくなってしまっていたのです。そう思ったら、びっくりしました。 プロテスタント化されてしまったミサから受ける恵みが希薄になってしまっているところを、悪い霊に付けこまれたのかもしれません。

伝統的な堅振式が行われるような教会で歌われるのはグレゴリオ聖歌ですが、カリスマ運動ではグレゴリオ聖歌が歌われることはないでしょう。もしかしたら歌はとっても重要なファクターでしょうか。

そうことに気づいたら、ようやく長いあいだ悩まされ続けていたことを、ちゃんと整理できたように思います。でも何か間違っていたらどうか教えて下さい。聖霊の満たしを受けず、昔からのやり方の堅振式で堅振をうけるように小野田神父様のもとに導かれて、本当に良かったと思います。

今度の19日のデ・ガラレダ司教様の堅振式で、堅振を受ける方たちのためにお祈りをしています。またわたし自身のためにも、いただいた堅振の効力が保たれますように、常に新たに効力が増しゆきますようにと願いたいと思います。周りの人をも、カトリック教会というホテルに連れて来れますように働くことができればと思います。いつも小野田神父様がお勧めくださいますようにマリア様にお取り次ぎをお願い致します。

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