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てらまち・ねっと



 今日は、「甘くみていたら、実際はとても苦しかった『腰骨からの切開生検』のこと」(昨日のブログ)を書く。
 私のガンの原発巣は前立腺にあり、それが骨に90スポット(2月検査)と多数の転移をしているという診たて、それが私の身体の状況。
 ガンの性質や悪性度の特定には「組織を採取」して分析するのが現代医学。
 しかし原発巣のはずの前立腺の4月の針生検(4か所)では見つからなかった。理由は2月からホルモン療法という治療をすでに始めているから、という推測がされてきた。

●≪前立腺生検≫ 今回も、入院の3日目に前立腺の12か所に針を刺して組織をとった。
 それでも、医師らは、「今回も見つからないかもしれない」というスタンス。それが、もうすでに原発巣にはガンがないから、ならいいけど・・・
 ともかく、私のガンの対処には、「多数の骨転移」の悪化や発生しうる痛みや骨折を防ぐ、これが課題と位置付けられる「セカンドオピニオン」の時の医師の話(その医師は今の主治医)。

●≪骨生検の理由≫ それで、骨転移しているガンの性質や悪性度を知るために「骨からもガン組織を採りたい」ということ。今は、遺伝子レベルでの治療ができる場合もあるという話もあった。だから私の希望でもある。
 主治医が整形の医師に骨からの生検を依頼したら、断られたと2日目に話があった。どうも、針生検は困難、という評価だと推測する。
 そこで主治医も骨から採ること断念する、という。私は、再度、求めた。・・・・その2日目の夕方、しばらくの時間の経過後、主治医がまた病室に来て、腰から組織を採ることで再度依頼してみる、との提案をしてくれた。
 ともかく、やっと実現した骨生検。

●≪病院の施設≫ 入院5日目となる20日(金曜日)。前日夕方の整形の説明では、明日退院してもらっていい。ということなので「手術」は気楽に考えていた。
 手術のために自分の部屋を出たのは金曜日の15時45分。
 手術棟に入って、たくさんの部屋や設備、スペースがあり、しかも新しいのに驚いた。だいぶ先の方に歩いて行った時、「この辺りができたのはいつ頃?」と質問すると「3年前」とのこと。・・・最新の設備のようだ。

●≪手術台の上から一人称で≫ ・・手術台の上に乗って横になると、身体に測定具などをいろいろと取り付けられ、手や足も固定されていく。
 頭に浮かんだことのまず一番は、初めての当事者、一人称で手術の最後までを認識できるという、超レアなことなんだということに気づき、そのことへのワクワク感。
 実際、これまで全身麻酔で4時間の手術とか、2時間の手術は経験している。が、手術台の上で麻酔をかけられてからは何も認識していない。今回は、手術部だけの局所麻酔だから、良くも悪くも流れを記憶できるだろう。

 テレビや映画で、手術室や執刀医、上から眺めるスペースなど、手術室の様子が「2人称」「3人称」的に映像化された画面を「視聴者」「傍観者」としてみているのが私たちの常。全く違う世界、体感、雰囲気を肌で感じることができたことは幸せだった。同時に、なんと、痛い手術だったことか・・・・私でも、「いいから、もうやめて」と言いたくなるようなタイミングもあった。
 猛烈に痛かった。途中で「もうやめて」という人も少なくないだろうなぁと思いながら、「痛い、痛い」と叫びながらの時間だった。

●≪手術開始時(16時)≫ 手術台の いろんな準備の後、腰の腸骨からの「切開生検」は、手術開始時(16時)の手術台の上での関係者全員への確認説明で「1時間」とされた。「出血(の予測?) 100㏄」。
 しかし、実際には正味2時間近かった。
 自分の部屋を出て、部屋に戻ったのは18時半。予定「1時間」を大きく超える長い手術になった。

●≪カメラと画面≫ 私から左側大きい画面があって、自分のおなかが映っていた。カメラがあって「カメラで全部記録しています」という。が、メガネは外されているので、ほとんど、手術カバーの青色と自らの肌色部分しか判別がつかない。
 私が画面を見ていることにぎづぃたその場全体の監視役らしき年配の女性が「後で見ることもできるかも」と説明。
 私「個人情報で請求すれば出るでしょうね」。
 ・・その人は一瞬、固まったふう・・・「どうだったか、調べておきます・・」
 ・・・(その後。手術中に気が付いたが、画面が私に見えない向きである180度反転の状態にしてあった)

●≪ワクワク ドキドキ≫16時過ぎに手術が開始されて、右側の「時・分・秒」を数字で表す時計が「0」から動き出した。
 切開予定位置に麻酔の注射が打たれていく。おなかのそのあたり(骨盤の右端部分)であることはよくわかる。
 何本も続く。 
  医師「痛いですか?」   私「麻酔針を刺す痛さ」・・・
  医師「では切ります」
 しばらくして、ちょっとわずかに焦げたような匂いが漂ってきた。
 電気メスで切開しているのだろうか・・・
 そのうち、
   医師「では・・・」  
 と骨盤の厚い骨に穴をあける作業が始まった、らしき。

 ★≪私の基本姿勢≫ なお、この手術に臨む患者としての私の基本姿勢は、痛かったらすぐに「具体的に痛いと意思表示する」こと、と決めていた。なぜなら、前日の執刀医の同意書にかかる説明のとき、 「切開部の右腰あたりの痛みがしばらく続くこともあり得る・・」「2週間ぐらい、右足がしびれることがある」とのことだったので、生検で神経を損傷されて、そんな二次被害を受けてはたまらないから・・・痛みを素早く表現することと事前に決めていたわけ・・・

●≪強い痛みの連続≫ 始まって、最初の段階で、右足の前側上部にしびれが走った。
 私「痛っ!」  「右足上部にしびれが走ってます」
 医師「はい」  医師はその神経がどこにつながるかは熟知しているようだ。

 ドリルのようなビイーンという鈍い回転音。
 右のタイマーの数字を見ると7分ぐらいだった。

●≪イタイ イタイ≫ 骨が、削られていく振動が右の腰の端部分に入ってくる。
 どう考えても (考えなくても) とてつもなく気持ちの悪い音、身体への振動の伝わり・・・
  私「痛っ! 尾骨の方に響いてます」 
  医師 「そうですか」
 
 医師は、そのあとも、速やか、かつ、丁寧に私の痛みの申告・叫びに反応してくれる。
 つまり、すべて想定内の患者の痛み、なのだろう。

  私「痛っ! おなかに響く」    医師 「そうですか」
  私「痛った---! ドリルの先端が鋭く痛い」    医師 「そうですか」
  私「痛った! 骨盤が痛い」    医師 「そうですか」
  私「痛った、たった! 」    医師 「そうですか」

 いったい何度、声を挙げたろうか。
 声の大きさも変えて痛さを伝えたつもり。
 なぜなら、私が考えるに、執刀医には作業の先頭部が骨の中なので、神経などはほぼ見えていないだろうから、痛さ表現で、手術の後遺症の発生を防ぐしかない、それがベッドに固定された私に可能な唯一の表現、対処法だから。

 ともかく、ドリルのような回転音、続いて鈍く重く骨へ食い込んでくる圧迫・刺激。
 骨だから、痛みがないことも少なくはない。

●≪終わったと思ったら、まだ半ばだった≫
  私のおなか部分の上で作業している二人の医師、私から言って右手側の医師が執刀医。
  医師 「硬いね」  助手「そうですねえ」
 ガンが転移し、かついま悪さを発揮しているところは 軟らかい という 基本認識で進んでいることは私も認識している。その軟らかいところが、骨盤の腸骨の厚みのある中を削っても なかなか出くわさない、そんな雰囲気がこちらにも伝わってくる。
 医師 「ここは、ちょっとだけやらかいかなあ・・」 助手「そうですねえ」

 医師 「硬いね」  助手「そうですねえ」
 
 30分ほど過ぎて、執刀医が、来ていた泌尿器科の(若い医師に)
 「ホルマリン漬けの標本は何本にしますか・・・」 「どうしたらいいのか・・・(略)」
 「2本? 1本 ?」  「1本 で」 
    執刀医 「じゃあ1本 で」 手術のサポート看護師「はい、わかりました」  と(私には見えないけど)、調整して1本 を渡した模様。

 そうこうしているうちに、
 執刀医 「ぼぼ だね」   助手「そうですね」
という会話をしていたので、実質の骨採取作業はこれで終わりかと思った。タイマーを見たら「47分」ほどだった。
 たしかに、あとの縫いや整理を入れると手術は、「予定1時間」はピッタリのところ、と納得。

 医師 「出血は?」  手術の看護師「5㏄ から・・10㏄弱です」

●≪急遽、2か所目も 「腸骨稜」あたり≫
 「腸骨稜」を上から押すと足方向にビリビリと痛く響くポイントが2か所ある。
 私 「痛い!!」 というと
 医師 「そうでしょうね」 とお見通し、と感じた。ああ、ここからも骨をとるつもりなんだとすぐに理解した。

 ・・あと、「痛い」の悲鳴の繰り返しは同じなので  ・・・(略)・・・

 これでいいでしょう、の医師の声。タイマーの表示は1時間40分あたり。
 手術の看護師「出血 27㏄」

 縫合が終わって・・片付けが始まった。
 手術の看護師「検体は1本にしますか、2本にしますか?」
 医師 「ちょっと そのままにしといて」

 おおむね終わって医師は「検体は1本にしといて」

 私は医師に 「何針縫ったんですか?」 と尋ねた。
 医師 「5針位です」
 
●≪帰り道≫
 病棟からベッドが来ていて、手術台に横付けされた。
 医師が「自分でそちらに移って」というので、うん、うんと、身体を移動した。

 手術前、歩いていた廊下をベッドで天井を見ながら部屋へ移動する。
 右側には執刀医がいて、ベッドを押している。左は看護師が押している。
 手術棟から病棟に入るあたりで
 医師 「あっ、歩いてきてもらってよかったのに」
 私 「今、もう歩いていいんですか。そういえば最近は、何でも、早めに歩く、という考えですね」
 看護師 「いや、ベッド持ってきたんだから、ベッドで行ってください」
 医師 「明日からはいっぱい歩いて」

 ということで・・3人で病棟へ移動していく。
 私 「執刀医が、部屋まで運んでくれるんですか。名大はすごいですね。」
 医師 「女子医大は違うんですか?」
 私 「2回、手術したけど、執刀医が来たのは、次の日、その次の日・・」
 医師 「ここでは、みんなそうですよ」
 私 「ここはフレンドリーでいいですねぇ」

 そんな、いろいろと会話しているうちに10階の自室について、また、自分で、自分のベッドに移動。

●≪術後≫
 その日の夜も、次の日つまり土曜日に退院したけど患部の痛みは全くない。
 翌日の朝、痛み止めのロキソニンが3日分(1日3錠まで)を渡された。 
 退院時刻ごろにさらに、も30回分(1日3錠まで)が出された。執刀医が、あんなに痛がっていたから、術後の痛み日数が長引く可能性を心配してくれたのだろうと容易に想像できる。

 が、手術部の痛み止めは、手術以降、何も使っていない。手元に薬はあるけど、使わなくて済んでいる。
 72時間経過した今も、今までも、まったく痛みはない。
 あの苦痛はいったい何だったのか・・・と思えてくる。

 しいて言えば、2日目の公園散歩のときや帰宅したとき、両足と肩の筋肉が張っていたかったこと。これは、考えてみると、あの苦痛の声を挙げていたタイミングは、身体が当然の反応として「筋肉を突っ張らせていた」はずだから、その著しい筋肉疲労が翌日に残った、と理解すると納得できた。

 ということで、報告は今日はここまでにしておく。
 夕方になる先ほどは、10日ぶりにウォーキングしてきた。
 術後はシャワーは1週間止められている。考えてみると、水曜日の前立腺生検の前に点滴を付けられて以降はシャワーを浴びることもできなかったから、5日ぶりのシャワー。述部は保護してのんびり浴びた。
 
 なお、昨日11月22日の私のブログへのアクセスは「閲覧数4,369 訪問者数1,246」。

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