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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

改定版、集団自決のネタ本「鉄の暴風」のデタラメな内容!

2020-08-07 10:36:58 | ★改定版集団自決

 

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過去ブログ集団自決のネタ本「鉄の暴風」のデタラメな内容!2018-03-18 

を一部編集した再掲である。

              ★

≪自らの思想と言論に責任を持ち、間違っていたら、きちんとそれを認め、出来る限りの事をする、こういう姿勢を、Intellectual Honesty(知的誠実さ)と呼ぶ。

知的誠実さに欠ける人間は、自分の思想的誤りを自分に対しても
ごまかしてしまうため、いつまで経っても、その思想が深化しない。
同じ過ちを何度でも繰り返す。国際派日本人として活躍するために
は、Intellectual Honesty が、不可欠の資質である。≫
(引用:国際派日本人講座http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog008.htm)

                   ◇

沖縄戦の「集団自決」をめぐっては、昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記『鉄の暴風』で、赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ両島の住民に集団自決を命じたために起きたと書かれた。

この記述は、沖縄県史や渡嘉敷島の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。

『鉄の暴風』は初版は1950年に沖縄タイムス編著、朝日新聞社で出版された。

因みに当時、朝日新聞の沖縄事務所は沖縄タイムスの社屋内にあり、その後初版の内容のままで第8版まで沖縄タイムス社が出版した


その『鉄の暴風』の中、で慶良間諸島の座間味島、渡嘉敷島の守備隊長であった「赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ、両島の住民に集団自決を命じたために起きた」と書かれたことが戦後60年に渡り多様な問題を残していく。

この記述は、その後沖縄県史渡嘉敷島(渡嘉敷村)の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。

『鉄の暴風』では「集団自決」を次のように表現している。

恩納河原に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた≫

住民には自決用として、三十二発の手榴(しゅりゅう)弾が渡されていたが、更にこのときのために、二十発増加された。手榴弾は、あちこちで爆発した。…阿鼻叫喚の光景が、くりひろげられた≫

≪座間味島駐屯の将兵は約一千余、…隊長は梅沢少佐…。米軍上陸の前日、軍は忠魂碑前の広場に住民をあつめ、玉砕を命じた。…村長初め役場吏員、学校教員の一部やその家族は、ほとんど各自の壕で手榴弾を抱いて自決した


この記述に疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』(昭和四十八年、文芸春秋)を出版。

座間味島の集団自決についても、生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文研)で明らかにした。

★初版より30年後の1980年、沖縄タイムスは「鉄の暴風」の「明らかな事実の誤り(改訂版の序文)」の部分を削除した改訂版を発行した。

「軍命令による集団自決」と言う誤報はどんどん一人歩きを始める。

「強制連行された従軍慰安婦」と全く同じパターンで教科書にまで載るようになり、沖縄では「日本軍の住民虐殺」のシンボルになっている。

この本をネタ本にして、その頃数多くの「沖縄戦モノ」が出版された。

その中にノーベル賞作家大江健三郎の『沖縄ノート』(岩波新書)があった。

が、『沖縄ノート』はタネ本の『鉄の暴風』が「明らかな事実の誤り」を削除したにもかかわらず、その「明らかな事実の誤り」を訂正する事無く依然として現在でも販売されている。

大江氏が沖縄戦に於ける日本軍の責任の象徴として取り上げたのが、『鉄の暴風』の中で述べられている 『渡嘉敷島の集団自決』だった。

この話を概略説明しよう。

終戦の年の3月、沖縄本島上陸を前に、その南西の沖合にある慶良間列島の中の渡嘉敷島で集団自決が行われた、という事件だ。

当時島には陸軍の海上挺進第三戦隊の130 人が、ベニヤ板の船に120 キロの爆弾をつけて夜陰に乗じて、敵の艦艇に突っ込む特攻舟艇部隊として待機していた。
 
3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものだ。

自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊だったから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっている。
 
10数冊余のこれら沖縄戦の著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を「人」「人面獣心」などと書き、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現した。

当時の資料を列挙すると、こうなる。

1)沖縄タイムス社刊『沖縄戦記・鉄の暴風』

2)渡嘉敷島遺族会編纂『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』

3)渡嘉敷村、座間味村共編『渡嘉敷島における戦争の様相』

4)岩波書店『沖縄問題二十年』(中野好夫、新崎盛暉著)

5)時事通信社刊『沖縄戦史』(上地一史著)

6)沖縄グラフ社『秘録沖縄戦史』(山川泰邦)

7)琉球政府『沖縄県史8(沖縄戦通史)各論篇7』(嘉陽安男著)8)岩波書店『沖縄ノート』(大江健三郎著)

9)平凡社『悲劇の沖縄戦』「太陽」(浦崎純著)


                   ◇

しつこいようだが、もう一度繰り返そう。

初版より30年後の1980年、今から26年前、沖縄タイムスは『鉄の暴風』の「明らかな事実の誤り(改訂版の序文)」の部分として「軍命令による集団自決」の部分を削除した改訂版を発行した。

しかし30年間も一人歩きをした「誤報」はその歩みを止めることは無い。

沖縄戦で「アメリカ軍は解放軍で日本軍は住民虐殺軍」というスタンスで論調を展開する地元メディアにとって「軍命令による集団自決」何が何でも死守しなければならない大命題であった。

地元学者を総動員して論点をぼかして沖縄の「世論」の押さえ込みに大童。

事実、それが教科書にまで載ってしまうと、地元沖縄在住の人達でさえ「軍命令による集団自決」が誤報であったことを知っている人は少数派であろうし、それを声高に主張する「勇気」のある人は更に少数派か皆無に近い。

地元メディアはすでに「軍命令があったかどうか」は問題でないとか、「集団自決」ではなく「集団死」だとか、「集団死したことが問題」だとかを主張する学者達の意見を掲載している。

「集団自決」問題は当初の論点からどんどん外れ議論は混迷の様相を呈している。

中には「軍命令が無かった」と言う証拠を示せと暴論を吐く人さえいた。

これを世間では「悪魔の証明」と言う。

「無かったことの証明」は、悪魔でさえも証明は不可能である。

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6 コメント

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本日の沖縄タイムス投稿欄 (カウンター58)
2020-08-07 10:23:39

オピニオン面に一般投稿7本(児童生徒の「ぼくも私も」など除く)。

「米軍 重症者出たらどうする」の那覇市・大見昭子さん(85)は、1月5日、2月16、29日、3月18、29日、7月18日に続き今年7回目の掲載。
「公園 犬猫のふん処理に苦労」の那覇市・渡口彦邦さん(82)は、5月10日、6月2日に続き今年3回目の掲載。
「コロナ禍 私たちにできること」の南風原町・喜瀬楓子さん(18)は、今年初掲載。
「島くとぅば 使いながら継承」の伊平屋村・西江邦子さん(68)は、1月29日、3月27日、5月20日、6月9日に続き今年5回目の掲載。
「沖縄の地上戦 現実直視せよ」の神奈川県・豊増耕司さん(78)は、今年初掲載。
「座間味浄水場用地の選定 県の姿勢 住民分断に拍車」の座間味村・宮平賢さん(61)は、今年初掲載。
「逝きし友を悼む」の南城市・川満文男さん(88)は、7月25日に続き今年2回目の掲載。
 
カギカッコは投稿欄における見出し。

Unknown (Kei)
2020-08-07 19:03:09
本当にひどい話ですね。まさに朝日新聞慰安婦捏造の沖縄タイムス版。
ただ違うのは、これは同じ日本人同士で起きた(起こした)日本国内での話というところでしょうか。

嘘をついて遺族年金を結果的に「詐取」したのも同じ県民であるというところも、確かに同じ県民として告発しにくい話だろうと思いました。
もちろん、そういう閉鎖的な社会の足元をみた左翼たちが沖縄二紙を使って徹底的な言論封殺とプロパガンダを行なってきたからこそなんでしょうけれど。。

これを告発した曽野綾子さんの勇気も本当にすごい。
私は彼女の大ファンでしたが、どちらかというと宗教的哲学的テーマの作品が好きで、ましてや沖縄と聞くと、私の政治意識も低かったこともあり、大変申し訳ないけれど、それだけで胸焼けがするような?何かいつも被害者意識で凝り固まっためんどくさい地域、という印象しかなかったのですが、今江崎師匠の記事によってあらためて曽野さんと師匠の勇気に感嘆しているところです。

今でもこの遺族年金を受け取っている県民の方はどのくらいおられるのでしょうね。。
Unknown (SK)
2020-08-07 21:47:43
新聞社って、とんでもないですね。
また、機会があれば、真珠湾攻撃の真実についても、語って頂きたいです。
こちらは朝日新聞出身者がとんでもないことを・・。
手榴弾は、あちこちで爆発した ・・・ 事実は、あちこちで爆発しなかった。不発弾が多かったから親族内で手を掛け合った。殺害は小さい子からはじまったと、生存者の渡嘉敷島・大城正光氏83歳が西日本新聞に証言している。 (坂田)
2020-08-07 23:18:47
でたらめを書いたノーベル賞作家大江健三郎氏の『沖縄ノート』。

文庫本まで発刊してもうかった大江健三郎氏が、未だに嘘を書いた謝罪の言葉一つない。

世界の偉人、ノーベル賞作家には過ちを改めざるは過ちなりの人としての美徳精神遵守性矜持がないわけよ。

だからノーベル賞作家の訳よ、初めから『訳在りよん、沖縄ノート』と書いとけっつうの。

著名な学者やノーベル受賞者が史実に私情を導入すると、簡単に史実を捻じ曲げてしまうのが世界の戦争史の反省点だった。

一般人に信認性が在る言動で在るからだ。

そう言う著名な知識人が意図的に在りもしない被害妄想を創造して流布すると、一般人がその原因を『彼奴のせいだ』とする敵愾心を醸成させてしまうことになる。

それが創造する洗脳なのだ。民に敵愾心を醸成させた時点で洗脳が成功したと言う。

その実、沖縄では日本政府と日本軍(=自衛隊)と米軍に対する反発教育と報道が盛んに実施されている。

沖縄では、情緒を基に民情の視線で史実を塗替えることが当り前の様に行なわれてる。

まるで、琉球新報と沖縄タイムスがそうでもしないと存在価値がない如しで在ること。

なお、大江健三郎氏が人として、なりふり構わず堂々と謝るよりも、自身の自尊心を優先させたわけだ、それがノーベル賞作家だ。

知らざるを知らずとなす、これ知るなりとの戒めが大江健三郎氏に一番ふさわしい。

なんだかさ、あてにしていた沖縄県史も信用出来なくなった。県史で嘘を書いたら、どうにもならない。そんな都道府県なんて無いよ。
太田良博は、記者ではなく作家 (安仁屋 正昭)
2020-08-08 08:15:26
太田
戦争観というのは、戦争の体験をした人の当時の物の考えかたとははなれて、後世の人たちがそれをどう見るかという問題ですね。そういう意味では、沖縄戦の哲学みたいなものはまだ確立されていない気がします。事実はかなり集められているけれども、それに対する洞察、物の考えかたは確立されていない。

太田
曽野(綾子)さんがお書きになったもの(『ある神話の背景―沖縄・渡嘉敷島の集団自決』)に対して、あまり本気になって争いたくないのは、事実はこうだ、ああだったという議論じゃしょうがないんですね。戦争全体をどう見るかということが大切なんで、その観点をぬきに沖縄戦を把握することはできないんですね。

太田
観光バスのガイドに感じるのは、ひめゆりの塔にまつられている少女たちの死が、いかにムダであったかという認識を徹底しないかぎり、平和の問題は生まれてこないということだと思うんです。あれが有意義だということになると、平和にとっては意味がない。・・・・

*太田にとっての戦記は、事実を記述するのではなく、著者の戦争観で書くものということなのであろう。*
星氏が暴露『鉄の暴風』 (安仁屋 正昭)
2020-08-08 08:18:05
渡嘉敷島 
海上特攻隊   鉄 130人
        糺す 104人 t
整備兵     鉄 120人、
        糺す 隊長 木林明中尉以下 55人(最多時80人)m・t
防衛隊員    鉄 70人
        糺す 屋比久孟祥 以下60~70人 m・t 
朝鮮人軍夫   鉄 約二千人
        糺す 斉田重雄少尉 以下兵13人・軍夫210人 m
通信隊員    鉄 若干名
        糺す 基地隊 西村市五郎大尉以下約60人・通信隊約20人(整備兵を合わせ最多時161人)」m・t
特攻艇     鉄 米軍の斥候がみとめられた日の朝まだき(3月25日)赤松隊は渡嘉敷50隻・阿波連30隻にエンジンを取り付ける
        糺す 渡嘉敷に特攻艇は無く、渡嘉志久69隻・阿波連30隻出撃準備を整えたがエンジンは取り外しするものではなく、もともと設置されていた。  m・t
赤松隊長    鉄 隊長は陣地の壕深く潜み動かず
        糺す ①赤松隊長は、第32軍司令部に出撃許可を取るものの、途中から現れた大町大佐と出撃をめぐり議論になった。
②干潮のためリーフ各所に露出延々五時間余を要し東天既に黎明近く白昼編隊を組んで敵機動部隊の中をベニヤ製の攻撃艇が沖縄本島に到着すること不可能となり、(j)慶良間海峡が敵艦で封鎖されたため、 大町大佐が舟艇の自沈を命じた。m
米軍の上陸   鉄 3月26日 AM6時頃トカシク・阿波連・渡嘉敷より米軍上陸
        糺す 米軍上陸は27日、渡嘉志久、阿波連、留利加波よりAM9時頃 t・m

将校会議     鉄 3月27日 地下壕において将校会議
         糺す 27日には、舟艇用の壕以外は無く、後に(28日ころから構築開始)構築したものも横穴であり、地下壕ではない。赤松隊の壕は全て個人用として掘ったもの、本部壕と呼べるものは造られていない。一番大きな隊長の壕は幅が1,8M高さ1,6M奥行きが4Mほどである。 (舟艇壕高さ2m幅3m奥行き12m 舟艇:幅 1.8M 長さ 6M)m
     
知念少尉     鉄 悲憤のあまり慟哭
         糺す 知念氏は 全面否定している
自決命令     鉄 赤松隊長が自決命令を出す
         糺す 自決命令は 赤松隊長からも、軍からも出ていない
手榴弾      鉄 用意された手榴弾32発、追加20発合計(52発) 
         糺す 不明
自決者人数    鉄 329人 
         糺す ①渡嘉敷村の慰霊碑の記録では 315人 m・t
           ②渡嘉敷村役場の記録によると一般住民288人防衛隊員42人計330人
迫撃砲による死者 鉄 32人
         糺す 不明
生存者      鉄 渡嘉敷民126人・阿波連民203人・前島民 7人(計336人) 
糺す ①渡嘉敷村役場にも記録無し、
②1973年3月31日発行(手書き)沖縄戦被災者補償期成連盟の沖縄戦生存者に対する慰籍料要請調査資料 によると 494人
           ③当時の戸籍では1,377人あるものの当時島に残っていた住民は半数前後。
住民投降説得   鉄 古波蔵村長が米軍の指示で住民を投降させる
糺す 郵便局長 徳平秀雄が米軍の指示で住民を投降させようとした(8月12日)。
住民の集団投降  7月13日  70人
糺す 住民の投降は8月13日で古波蔵村長以下約300                                                            人 
  
ビラ撒布     鉄 ポツダム宣言の要旨ビラで米軍機により撒かれる  7月15日
糺す ポツダム会談での合意に基づいて、アメリカ、中華民国および英国の首脳が、昭和20年(1945年)7月26日に大日本帝国に対して発したもの。そもそも15日に撒きようが無い。陣中日誌には8月15日敵飛行機より散布とある。
防衛隊員の投降  鉄 7月17日
糺す 防衛隊員は住民と共に 8月13日に投降
赤松隊の投降   鉄 7月19日 
糺す 8月17日 木林中尉・知念少尉・吉田軍曹・白崎伍長が軍使として出発
8月18日 赤松隊長以下11人協定書を米軍に持参する
赤松隊長、知念少尉等が8月23日に米軍と協定、無条件降伏の調印。隊長と副官・以下二名は、他の隊員等の投降まで人質的な立場で止まる
全ての隊員が投降したのは8月26日、宇久校長と数人の教員、女子青年団、少年合わせて10数人の住民が共に投降する。 
日米会議     鉄 投降に関する日米の会議は 国民学校で行われ、校長の宇久氏が民間人で唯一参席
糺す 国民学校の校庭で行われた会議の参席者は、赤松隊長・知念少尉・太田軍曹・(橋一等兵?)の4人で、宇久校長は参席していない。C・T

座間味島
                             
特攻艇      鉄 座間味12隻
         糺す 座間味100隻  
         鉄 阿嘉  7隻~8隻
         糺す 阿嘉 100隻
自決命令     鉄 忠魂碑前に住民を集め玉砕を命じた

糺す このような証言は村史にも、他の証言集にも無い S
自決の手段    鉄 村長はじめ役場吏員、学校教員の一部は各自の壕で手榴弾によって自決した。
糺す 産業組合の壕は原因不明とされているが、座間味村史の証言から読み取れる状況証拠(宮里美恵子・宮里米子・長田一彦)よれば、盛秀助役の放った銃弾により亡くなっているものと思われる。校長はじめ教員の壕は内川の壕であり、手榴弾が1個だけだった。 S
自決者人数    鉄 52人 その他の犠牲者をあわせて 約200人
糺す 1978年1月25日発行 沖縄戦と平和教育には座間味島自決者171人「観光コースでない沖縄」にもあり
座間味村史(1989年) 通史編には産業組合壕59人、座間味だけでも200人近い自決者とある。
秘録 沖縄戦記(1969年)には自決者283人 戦死者 約500人
2008年3月27日 琉球新報には 約250人とあり
梅澤少佐     鉄 朝鮮人慰安婦らしき二人と不明氏をとげた。
         糺す 梅澤氏は現在も健在である。

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