人気blogランキングは? CHIKOの「神聖降臨」は…私のせいである。
 私が「女の平和」などと屁理屈をつけて背を向け、捨て置いた時でさえ、聖女のように貞操帯すら必要のない女だった。
 だが、「私の修復不可能な過去」を認めざるを得なくなったCHIKOは、冷静を装うようにして何とか自らを宥めはした。けれど、「細胞の隅々に刻まれている、あなたの心は、消そうたって消せやしない」という瑕疵は、脳髄の決して拭い去れない奥深いところで、蜷局を巻くように澱み、刻印されたTattooとなって、今も残り続けている。
 「CHIKOさんに言いたい」と、何度も電話をしてきた「定かな顔を持たない女」は…搦め手を使って、時を見はからったように、私の母に「get pregnant 」だと告げた。
 当然、ハニートラップの目論見はなかったから、どうして欲しいという気持ちはなかっただろう…ただ、せめて「罪と罰」のような形で私との関係性だけは明らかにしておきたいと、女はきっとそう思ったに違いないと、なぜか私にはわかる。
 母は、動転したまま、CHIKOの側に立つことを宣言しておかなければと、女からの電話を、密かな事実を明かすように電話してきた。
 「わかりました、お母さん、でも、そんな女性の言うことをそのまま信じてはいけません。第一、KIMIは、ほらここに、私のそばにいるんですもの、心配なさらないで…」
 CHIKOは、降って湧いてきたその事実を、毅然と否定した。
 確かに、「不安定に作為的な均衡」ですらない状況になっている。だが、その女との距離感を正確に認識さえすれば、絶対的にCHIKOは優位である。この私を、このままここに、繋ぎ止めておきさえすれば、なんとか切り抜けられる…。そこまでは極めて冷静に分析できた。だが、ほんのわずかな時の経過とともに、CHIKOの生理はそんな風にはいきはしなかった。
 それまでの私の言動の不分明な謎を全て解き明かすような具合に、一気に変調をきたしてしまった…それが「神聖降臨」の豹変だ。
 そう、その挙げ句の果て、私自身をまるごと、子宮の最も近い傍に、果てしない時とともに監禁し、私がいかに意志しようとしたところで、身動きすらままならないように拘束した。「そこは、あなたが唯一、今、生きていられる場所なのよ」…と言わんばかりに…。
 それからというもの、私の不用意な発言が、子宮壁に微かな揺れを伝えようものなら、CHIKOはたちまち sensitive な化学反応を起こす。
 なだめ、話題を変え、背をさすり、いかなる懇願をしたところで、万事休す、絶体絶命、 どうしようもなく、打つ手などありはしない。だから、私は、CHIKOの「神聖降臨」のアタックを幾度か受けたところで、時の経過に一縷の望みをかけて待つ以外はないと悟ったのだ…。
 私は、それをある種の諦観…もしかして、この温かくもある安寧はとてつもない幸せを手に入れた瞬間の継続に他ならないのかもしれない…今は、ただ宿命として受け入れざるを得ないのだと…。
 恐らく私は、やがて、CHIKOの胎内に懸命にはりついたままドットとなり、ブラックホールに飲み込まれ、消滅するのかしら…。
 いや、そんなことになる前に、CHIKO自身が、私を内包したまま、もろともに消え去ることだってできる。
 私のいないCHIKOは、もはやCHIKOではない。
 CHIKOのいない私は、もはや私ではない…。Avenue Montaigne Christian Dior PARIS

 成田からそのまま六本木のオフィスに立ち寄ったCHIKOは、待ち受けていたエレベーターの前で、チラリと私を見たけれど、すぐさま駆け寄るHIROを受け止めるようにハグし頬に小さなキスをした。
 しばらく会わなかったCHIKOは、ちょっと挑戦的ですらある身のこなしをして私に背を向けると、Avenue Montaigne をしっかりとした目的を持って歩く足早のパリジェンヌのように、HIROの手をとりスタスタと六本木交差点に向かって歩き始めた。
 細かい刺繍の施されたオフホワイトのワンピースの裾が、足首をキュッとくるんだ小さな幾何学模様が描かれた黒いストッキングを見え隠れさせるように軽やかに揺れる。
 小柄だが均整の取れた体躯を支える子鹿の足先のようなピンヒールが、リズムをとるように歩道に打ちつけられ、微かな心地良い音を、コッコッコッと響かせる。
 ついぞ見たことのないようなCHIKOの後ろ姿が、すっかり冬の陽の落ちた雑踏の中で、ネオンに彩られるように際立ち、私は、パリの香りを含んだ風の流れに先導されるようにCHIKOを追った。
 パリからの電話で指示してくれたとおりの、オーバーオールにデニムジャケット、ブーツ姿のHIROと並んで歩く母子は、ファッション誌を飾るグラビアのようにスタイリッシュで、周りから微笑ましい視線を浴びている。
 もちろん、急いで私もその脇に回り込み、HIROの手を取って、ファミリーを演出することはできただろう。いや、それはちょっと嘘っぱちの理想像ではないかと、私は、CHIKOとの関係を思いかえし、躊躇した。
 これから幸せな晩餐をとらなければならない時間をどんな会話で繋ごうとしているのか、きっとぎこちないことになってしまいそうだと、柄にもなく心配し始めていた。
 ロアビルの裏手に当たる方向へなだらかな坂道を下りていくと、今日、予約を入れておいた中華レストランがある。JULIYA MASAHIRO
 店主の次女は、テレ朝のワイドショーで組んでいたチーフディレクターと2年ほど前、赤坂のホテルで華燭の典をあげた。その披露宴の司会を頼まれた縁もあって、私は番組の打ち上げに使ったりして融通のきく店になっていたのだ。
 私の六本木は、一世代上の「六本木族」や「キャンティ」に集まったホキたちにとっての六本木には遙か遠く及ばないけれど、それでも、TVの世界に入って彷徨った一時代を象徴する多くのドラマを描いてきた「場」ではあった。

 「パパ、パリはママの街だって…ほら、ママもおかしいよね…パパ…」
 HIROがふり返って、私の気持ちを見透かしたように、ちょっと首をかしげると、不思議そうな表情を作って言った。その愛くるしさに、いつも私は情けないほど打ちひしがれる…なんて自分勝手な父親なんだ…。

 「KIMI、私たちは、やがてパリに住むことになるのよ。…覚えているかしら。足が棒のようになるまで日がな一日過ごしたルーヴルを出た時、あなたは、ちょっとはしゃいでしまった私に、やさしく微笑んでくれたわね…そしてね、そのシャイな笑顔を打ち消すように言ったのよ。ボクはあまり美術館は得意じゃないってね…でも私には、ルーヴルって、パリを研ぎ澄ましたようなものなの…そこで費やされる時は決して失われることはないわ…私の心に永遠に存在し続けるって言ってもいいくらいにね。…だから、いつまでもあなたと一緒にルーヴルにいたい…一生かかったって尽きないくらい、いっぱいの絵や彫刻やいろんなアートに出会えるのよ。そんな名残惜しさをひきずりながら、チュイルリーから、セーヌの橋を歩いて渡ったのよ…サンジェルマンのカフェに行くのにわざわざ遠回りしたわ、自慢じゃないけど、パリは私の方が先輩よ。どうしても、あなたとセーヌの岸辺にそって歩いてみたかったの。私って変かしら…変と言えば、あなたの方よ、あなたは、パリでも決まって カプチーノ…そう、ローマからフィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィアと二人で旅したときに、バールでやみつきになったのよねカップッチョに…シナモンの香りだけでなく、その響きがとても好きよ。でも、あなたは、ヴェネツィアの運河から少し路地を入った小さなレストランで、とても不機嫌になったのね…未だにそのワケがわからないわ…あなたは、ときどき訳もなく、心ここに在らずって…陥ってしまう…」
 CHIKOのリズミカルな声が、私の体を包み込むように、とめどなく響いてくる…。
【PHOTO:JULIYA KODAMA】
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