アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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プレカリアートの主戦場

2019年06月08日 20時00分15秒 | 当ブログと私の生い立ち
川崎殺傷事件に農水次官の息子殺し。いずれも引きこもりの息子が事件の原因みたいに言われているが、私は違うと思う。生まれ落ちての引きこもりなぞ誰もいない。それまでの生育歴の中で、家庭や学校、職場で受けたハラスメントがきっかけで、人は引きこもりになるのだ。
 
川崎殺傷事件の容疑者は、両親の離婚を機に伯父夫婦宅に預けられた。伯父夫婦宅には既に実の兄と姉がいた。兄も姉も有名私立のカリタス小学校出身だった。それに対し容疑者は公立の中卒で、身なりも兄姉よりは見すぼらしかった。
学校でも虐められて就職にも失敗し、引きこもりになった挙句に、優秀な兄姉も通っていたカリタス小学校の児童に恨みの矛先を向け、スクールバスの停留所で通り魔殺人に至ったのだ。
大量殺傷事件を犯した後、容疑者は自殺してしまう。伯父夫婦は警察の事情聴取には応じたが、容疑者の遺体引き取りは拒否したそうだ。伯父夫婦にとって容疑者は厄介者でしかなかったのだ。
 
一方、東京・練馬の農水次官による息子殺しの事件では、引きこもりになった息子が父親の次官に暴力を振るっていた。その暴力に耐えかねた父親が、息子も川崎事件の容疑者みたいになるのを恐れ、息子殺害に至ったものだ。
息子は母親に厳しく躾けられ、私立の進学校に進学した。しかし、そこで虐められ受験競争からも脱落し、アニメーターを志すようになった。
しかし、そのアニメすら母親から蔑まされた事をきっかけに、両親に憎悪を向けるようになり、父親との喧嘩の後、父親に殺されてしまったのだ。
この事件の場合は、暴力を振るったのは息子で、両親はむしろ被害者だった。しかし、両親が周囲に息子の事を一切語らなかった事から、農水次官の経歴に傷が付くのを恐れ、息子の存在自体を疎ましく思っていた事は想像に難くない。そういう意味では、息子もまた、出世第一主義の両親の被害者だったと言える。
 
私はこの2つの事件のニュースを観て、これは世間が言うような引きこもりによる事件なんかではなく、むしろ毒親(子どもに悪影響を与える親)が引き起こした事件だと直感した。私も毒親育ちなので、何故そんな事になったのか、手に取るように分かるのだ。
私の父親も学業優秀で、進学校から大阪府庁に入り、それなりに出世した。次官まで上り詰める事は出来なかったが、出世第一主義で、経歴に傷が付くのを極力怖れていた所なぞも、くだんの農水次官と非常によく似ている。
 
事件の後も、ニュースのコメンテーターが相変わらず的外れなコメントをしている。あるコメンテーターなぞは、川崎のスクールバス襲撃事件容疑者に対して、「引き取ってくれた伯父夫婦がいただけでも幸せだと思わなければならない」と訓示を垂れていた。練馬の農水次官による息子殺害事件についても、「川崎事件みたいになる前に息子を殺してくれて良かった」みたいな意見も決して少なくないそうだ。ダウンタウンの松本人志に至っては、「不良品同士で殺しあってくれ」と言い放つ有様だ。
「親が育ててくれ、農水次官の場合は有名進学校まで進学させてもらったのに、息子は勝手に引きこもりになって、両親に恩を仇で返した」と言うのが、これら識者の意見だ。
 
私はそれを聞いて非常に違和感を感じた。「普通の愛情とニセモノの愛情の区別も付かないのか?」と思った。
普通の親なら、息子がアニメーター志望だと知ったら、その志望が叶うように応援するものだ。その上で、失敗しないように、失敗しても出来るだけ早く立ち直れるようにフォローするのが、本物の愛情だ。役人もアニメーターも同じ立派な職業なのだから。息子の人生は息子だけの物で、親の物ではないのだから。
 
それに対し、息子の希望を頭から否定し、親が望む出世コースに無理やり乗せようとするのが、ニセモノの愛情だ。一見、息子の将来を心配しているようで、実際は息子の事なぞどうでも良く、親自身の出世や経歴に傷がつくのを恐れているだけなのだ。本当に息子の事を思うなら、息子が変な差別意識を持ってしまったり、人格にゆがみが生じるリスクも考慮せずに、息子に出世コースを無理強いしたりなぞはしない。
 
農水次官一家の愛情も、そんなニセモノの愛情だった。母親はアニメーターという職業を蔑み、父親も蔑んで周囲に息子の事は一切語らなかった。彼らにとっては、役人になり出世する事が第一で、息子はその顕示欲を満たす道具でしか無かったのだ。愛したのは息子ではなく自分の経歴だった。
川崎のスクールバス襲撃事件の場合も同じだ。伯父夫婦は地元では名望家として名が通っていた。息子はその経歴に傷を付ける存在でしか無かった。だから実の兄姉とは扱いに差を付けていたのだ。
 
私の実家も農水次官の家庭と非常によく似ている。私は3人兄弟の次男として生まれた。他に兄と妹がいる。私は未熟児として生まれ、体力が無かった所為か、子どもの頃はよく虐められた。勝気な母親は、そんな私に対して、「何故やり返さないのか?」とよく憤慨したものだ。
父親も、最初は父親似の息子だと可愛がってくれたものの、やがて反抗期になり、父親と些細な事で喧嘩してからは、「こんな計算も出来ないのか」と殴られるようになってしまった。
 
私は中学生になると、次第に政治に目覚め始めた。地元の堺泉北コンビナート公害反対運動の影響もあって、共産党や社会党、新左翼などに次第にシンパシーを抱くようになった。父親は、そんな私を更に疎んじるようになる。
やがて大学生となり、文学部の史学科に進学した私は、史的唯物論やマルクス経済学の本も読むようになる。幼少期に受けた虐めも、学歴差別や経済格差によるもので、階級支配による差別が無くならない限り、虐めも無くならない。それを大学で学んで、初めて私を苦しめていた物の正体が分かった時の感激は今も忘れられない。
 
しかし、そんな私に対して、父親はどういう態度を取ったか?府庁の共産党員に勧められ、嫌々取らされた「しんぶん赤旗」を、私には読ませないようにした。もう大学生で、どんな新聞を読もうと個人の自由なのに。そして、どんな本を読んでいるのか、私の留守中に一々詮索するようになった。その手法たるや、まるで今の中国の情報統制と同じだ。
いつぞや、地元中学の虐め事件で、事件の隠蔽を図ろうとする校長・教頭に抗議する教組のビラが私の実家にも投函され、虐め事件の事が食卓の話題になった際も、親父は教職員組合をアカと詰るばかりだった。それを諌めた私が「民主教育」という言葉を口にしただけで、それに異様に反応し、いきなり激昂する始末だ。
 
その後、私は父親の薦めで一時期、教職の道に進む事になる。地理や歴史が好きで、史学科に進学した私に対して、「史学科では教師になるしかない」というのが父親の見立てだった。私は、そんな親父の思惑とは別に、当時テレビ放映されていた金八先生や熱中時代のドラマに魅せられ、私も武田鉄矢や水谷豊が演じるような教師になりたいと思い、私立高校の社会科常勤講師になった。
 
その私立高校は、当時は組合もないブラックな職場だった。私はそこで意に添わぬ生活指導の教務まで持たされ、生徒の服装チェックの為に、毎朝校門に立たされた。封建的な職場で、新米教師は毎日お茶汲みするように言われた。
私はそれに反発するかのように、社会科(政治経済)の授業で、いきなり憲法9条や有事法制の解説を始めた。
しかし、教科書の漢字もまともに読めない低学力校で、いきなりそんな授業をした所で、空回りする事は目に見えている。私も、自分の価値観を一方的に子どもに押し付けているという点では、父親と同じだった。
 
一年限りで教師を辞めた私は、先輩の薦めもあって生協に就職する事になる。暮らしと平和を守る為に、食料品や雑貨の配達だけでなく平和運動にも取り組んでいる生協は、まさに私にとっては打って付けの職場だった。少なくとも当初はそう思われた。
しかし、民主的な職場だと思われた生協も、内部では軍隊式の規律で運営されていた。共同購入の配送では1コースに何十班も持たされ、帰って来ても組合員拡大や利用高アップの目標を達成するまでは、深夜になっても帰る事が許されなかった。勿論、全てサービス残業だ。
私は支所の商品管理担当(倉庫係)に物流センター勤務と、配送業務には直接関わらなかったので、目標達成のノルマや配送事故の総括会で上から詰めまくられる事は無かった。しかし、それでも虐めにもあったし、最後は人減らしの中で終電間際までサービス残業で働かされた。その中で、「このまま生協にいたら過労死させられる」と思い、生協を退職した。
 
保守的な父親は、そんな私に対して、最初はなんとか出世街道に引き戻そうとした。生協に就職して一年目の、これから仕事を山ほど覚えなければならない私に、再び教員採用試験を受けさせようとしたのだ。それも私に直接言うのではなく、母に泣き落としさせて。「あんたが受験しなければ私がお父ちゃんから叱られる」と母に泣きつかれ、教員採用試験の受験だけはする事にした。そして日曜日の受験日に、わざと白紙答案書いて出してやった。
大阪府庁勤務のコネを生かして府教委に手を回していた父親も、白紙答案では下駄の履かせようもない。それで、私の意志が固い事を知った父親は、ようやく私に干渉するのを諦めた。
 
生協退職して数年後に、私は今の運送会社に転職し、業務請負先の某大手スーパー物流センターで働く事になった。非正規雇用なので月収は生協時代の3分の2ほどしかない。私の勤務先も、世間の目からすれば、常に人手不足に悩まされるブラック企業でしかない。
私はそこでも色々あった。虐めやパワハラも受けた。しかし、そんな職場でも、何がきっかけで幸いするか分からない。
私の場合は、職場環境の悪化を機に、個人加盟の労働組合に入り、会社とサシで団体交渉に臨んだ事がきっかけだ。団交そのものは散々な結果に終わったが、これを機に、次第に物怖じしない人間に変わっていった。
 
そうすると不思議な物で、やがて仕事でも評価されるようになり、味方に付いてくれる人も増えていった。幾ら民主的と言われる職場でも、内部が腐っていたらブラック企業と同じだ。逆に、幾らブラックだと言われる職場でも、自分自身が変われば周囲も変わる。それは、もし私が順調に出世街道を歩んでいたら、決して出会わなかったであろう、貴重な経験だった。
 
しかし、私がそんな経験を積んでいる事も知らない親父は、兄妹が結婚して独立し、お袋も亡くなり、実家で親父と2人きりになった私に対して、再び干渉して来るようになった。昔は教職への道を押し付けて来たが、今度は結婚を強要するようになった。
実家の近所に住んでいるというだけで、まだ付き合った事もなく顔も知らない整体師の娘さんと、いきなり「結婚しろ」と言って来たのだ。その娘さんは目が不自由だ。私がその方を支え切れる自信も無かった。それ以前に、全く見ず知らずの人と、いきなり「結婚しろ」と言う事自体が異常だ。幾ら何でもそれは論外なので、「何故そこまでしてまで結婚に拘るのか?」聞いたら、「あほう、お前もう年幾つだと思っているのか?」と抜かしたのだ。
 
阿呆なのは一体どちらか?別に何歳であろうと、独身や非正規であろうと、そんな事で人間の値打ちが決まる訳がないだろう。どんな人間にも基本的人権はある。皆んな平等に自由に生きる権利がある。
親父に対しては他にも言いたい事がある。私の事を「ただのんべんだらりと生きてきた」と何度も言うので、社内表彰された事を言ったら、「たったそれだけしか、お前には自慢する物がないのか」と抜かしたのだ。
親父にとっては出世が全てなのだ。息子の幸せよりも、息子の出世で自分に箔が付く事の方が大事なのだ。教職の道に異常に拘ったのも、決して息子の将来を案じたからではない。自分の経歴に傷が付くのを恐れたからに過ぎない。
 
はっきり言って、ブラック企業でも労働組合に入って団体交渉も経験した私の方が、社畜の人生しか知らない親父よりも、よっほど人生経験豊富だと思っている。下手すれば私も川崎や練馬の事件と同じような事をしていたかも知れない中で、犯罪に転落する事もなく、むしろここまで人生を挽回できたのだから。別に褒めて欲しいとは思わないが、少なくとも貶されなければならないような覚えはこれっぽっちもない。遂に私は親父と衝突し、実家を出る事になった。
 
しかし、親父は何故それほどまで出世や結婚に拘るのか?その理由も何となく分かってきた。
それは、この日本においては、まだまだ「家父長制」の名残りが残っているからだ。「家父長制」と言っても今の人はピンと来ないかも知れない。そういう人は、NHKの朝ドラ「まんぷく」の中で、ヒロイン今井福子の母親が、ことある毎に「私は武士の娘なのに(あなたと来たらもう…)」と愚痴る場面を想像して欲しい。このように、ひたすら家柄や出世に拘るのが、家父長制下における家族の姿だ。
 
それに対し、映画「万引き家族」に登場する家族は、まるで正反対だ。親父は失職して万引き稼業。妻も実は子どもをさらって育ててきた。祖母も独居老人という事で支給された年金を詐取して家族を養っていた。妹は風俗店のイメクラに勤務。果ては夫婦で共謀して、亡くなった祖母の遺体を自宅の庭にこっそり埋め、年金を引き続きだまし取ろうとする。それがバレても、ケガで入院中の息子を放ったらかして自分達だけ夜逃げしようと図る。
そんなトンデモな家族でありながら、他方では捨て子を拾って家族同然に育てようと必死になる。そうして、皆それぞれが健気に助け合って生きようとしていた。
 
どちらが、より人間的な家族か?後者の「万引き家族」の方が、より人間的であるのは明らかだ。実は江戸時代以前の日本では、こんな家族の方が一般的だった。幾ら「武士の娘」と強がった所で、武士階級自体が当時の人口の1割にも満たなかったのだから当然だ。
「万引き家族」の例が極端だと言うなら、漫画「じゃりン子チエ」の家族を引き合いに出しても良い。およそ経歴や家柄とは無縁の、こんな家族が一般的だった。
 
それが何故、農水次官やうちの親父みたいな家庭ばかりになってしまったのか?明治時代以降に、国家による支配機構の末端に家族が組み入れられていったからだ。その中では、家督(一家の財産)相続権を持つのは家長(世帯主)の父親だけだ。だから「家父長制」と言うのだ。父親から家督を相続できるのも長男だけで、女や次男坊以下の男は一人前の人間とは認められていなかった。家族の中にも厳然と身分制度があったのだ。
 
その身分制度の頂点に天皇がいた。そうして、政府の進める富国強兵政策を下支えする兵士や貧農、貧しい労働者の供給地として、家族が支配機構の末端に組み込まれていったのだ。今も回覧板の形で残る「隣組」が、その名残だ。親父が経歴や体面にばかり拘り、私にひたすら恭順を強いようとしたのも、国家による家族支配の中では、そうしなければ非国民として後ろ指をさされかねないからだ。
 
主戦場」という映画がある。慰安婦問題を取り上げた映画だ。その中で、「テキサス神父」と呼ばれる右翼の米国人が、日本の右翼に媚び入って、米国にある慰安婦像に紙袋を被せる場面が出てくる。私はそれを見て確信した。これは慰安婦だけの問題ではないと。
 
奴らが紙袋を被せて存在自体を無き者にしようとしたのは、別に慰安婦だけではない。ハンセン病患者も、戦争遂行の足手まといとして、隔離され断種手術が強行された。そして、反戦平和を唱えた者だけでなく、特攻・玉砕を忌避した者も、アカや非国民と呼ばれ、片っ端から豚箱にぶち込まれた。その挙句に、学童疎開以外は空襲下でも避難を禁じられバケツリレーを強要された。だから、何十万人も空襲で焼け死ぬ事になったのだ。
 
その戦争の犠牲と引き換えに、戦後、ようやく日本国憲法が施行され、基本的人権や男女平等、8時間労働制もやっと認められるようになった。ところが、21世紀も佳境に入ろうとする今頃になって、再び日本を戦前のような国にしようとする勢力が、またぞろ台頭しつつある。
そいつらは、日本国内では「慰安婦なぞいない。あれは唯の売春婦」だと言いながら、韓国には「もう賠償金は払ったではないか」という理屈で抗弁する。「慰安婦なぞ最初からいなかった」と言うなら、最初から賠償なぞする必要も無かった筈だ。ところが韓国や米国にはそこまで言えず、「賠償は済んだ」としか言えない。これだけ取って見ても、そいつらの主張が、いかにその場しのぎのご都合主義で、歴史の検証に値する代物でないか分かろうと言うものだ。
 
憲法改正を巡る安倍政権の主張も同様だ。普段はあれほど憲法改正を叫びながら、いざ解散総選挙になった途端に、憲法改正の主張は後景に退けられ、消費税増税や教育無償化の是非に争点がすり替わる。しかも、消費税増税すると今まで言っておきながら、選挙では増税凍結を主張する厚かましさだ。そんな「争点隠し、争点そらし」で議席を掠め取っておきながら、選挙が済んだ途端に「増税も改憲も認められた」と居直るのだ。
 
そんな詐欺まがいの安倍政権であるにも関わらず、支持率が6割に及ぶのは何故なのか?安倍に逆らえば非国民と呼ばれるのを恐れているからだ。だから、増税凍結や教育無償化が方便に過ぎない事を国民も薄々感じながらも、「長い物には巻かれろ」で安倍政権を渋々支持しているのに過ぎないのだ。
 
その犠牲になるのは一体誰なのか?慰安婦やハンセン病患者だけではないだろう。ごく僅かの最低賃金引き上げと引き換えに、タダ働き合法化(高度プロフェッショナル法案)を強行可決され、定年延長と引き換えに「公的年金や生活保護にばかり頼るな。私的年金や投資にも金をつぎ込め。ダブルワークもやって死ぬまで働け」と強要される大多数の国民だ。そんな事態を前にして、経歴や体面ばかりに拘って一体何になる?そんな下らない事に拘るよりも、むしろ、そんな下らない事で人を差別したり差別されない世の中にする事の方が、よっぽど大事で必要な事ではないか。
 
引きこもりも、その中でこそ初めて解放されるのだ。そんな世の中を作る事こそが、私の人生最大の目標である。そして、その夢を実現する場こそが、私の主戦場である。
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