思い通りにならない女の魅力 あさきゆめみし 大和和紀 | [ridiaの書評]こんな本を読んだ。[読書感想文]

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唐突にあさきゆめみしネタ。

 

氷室冴子本の感想記事を書きたいと思っていたら、いつのまにかあさきゆめみし。

 

まあわかりますよね。

「なんて素敵にジャパネスク」「ざ、ちぇんじ」からの「あさきゆめみし」

当然の脱線ですわ。

(なにが当然)

 

 

あさきゆめみしにはたくさんの女性が登場します。

 

むかし(小学生の頃)は紫の上が好きでしたが、今はそうでもありません。

大人になって結婚もして、ってなると、紫の上の不自由さは耐え難いんですよねー

 

年齢や立場やタイミングで、どの女性が好きか変化するのがあさきゆめみしだと思います。

 

男性はろくなヤツがいないけど!

 

マシそうな男性を思い起こそうとしたら、源の典侍(げんのないしのすけ)の恋人の修理の丈夫(すりのかみ)くらいしか浮かばなかったわ。

若い頃の頭の中将はアホ可愛くて憎めないけども。

どいつもこいつも…

 

 

 

光源氏に翻弄される女君のなかで、光源氏とくっつきはするものの、まったく光源氏の手に負えなかった人がいます。

(朝顔、空蝉、玉鬘は逃げたから除外)

 

 

 

 

それが六条の御息所、朧月夜、女三の宮。

 

別のベクトルで好きなように生きた女たちです。

 

 

 

 

 

六条の御息所

 

 

怨霊でお馴染みの怖い年上のひと。

教養にあふれた才色兼備の貴婦人で誇り高く、愛と情と嫉妬で生霊も死霊も飛ばすパワフルな女性です。

 

子どもの頃はただの悪役にしか思えませんでしたが、噛みしめるほどに味わい深いみごとな女人だということがわかってきました。

 

尻の青い小僧だった光る君が背伸びして憧れた大人の女で、女のあらゆる美徳と悪徳を一身に持っている。

 

光源氏の初代正室の葵の上もですが、素直に甘えられないツンデレさんなのね。

そこをうまく引き出して甘やかせてあげれば、あんなに荒れ狂うことはなかったと思う。

 

光源氏には、この稀代の女性を受け止める器がなかった。

素敵な女性だということはわかっていたけど、いい女すぎて重かったんですね。身分も高いし賢いし美しいし、人生経験も豊富で人脈もあって、勝てるところがない。

だから嫉妬深いBBA(おばさん)ってことにした。

名馬を乗りこなせずに暴れ馬にしちゃったみたいな、そんな情けなさを感じます。

 

六条の御息所は愛の多寡で光る君に負けたと思ったようですが、あらゆる意味で敗北したのは光源氏だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朧月夜の君

 

 

 

政敵の娘。

ロミオとジュリエットでいうジュリエットの立場の女の子です。

 

だけど許されない立場だからってメソメソしません。

「あら、イイ男。タイプだわ」と思えば共寝するし、陰口たたかれようが自分のやったことを恥じたりしません。

つらいときは涙も流すけど、泣いたらまっすぐ背を伸ばしてしっかりと前を向いて歩き出します。

 

その時々の自分の心に正直で、常にベストをつくす。

奔放だけど潔い女性です。

 

カッコいいけど頼りにならない男(光源氏)にいつまでも頓着せず、誠実な男(朱雀帝)を選び大切にするリアリストでもある。

「朧月夜ちゃん可愛いなー でもなあ…」とグダグダしていた光源氏とは人間の格が違います。

 

まさに朧月夜にしくものぞなき、なのでございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女三の宮

 

 

 

柏木に襲われるまで意思の薄いお人形みたいな美少女、という扱いでした。

不自由を感じないで生きていたからすべてに鷹揚で、ぼんやりしているといえばそうだし、上品で淑やかと言えばいえる。

 

そんな女三の宮、光源氏の最後の正室です。

結婚とはいえ光源氏は保護者、親代わり。光源氏も藤壺の宮の面影を感じられない女三の宮には興味がなかった。

 

それがNTR(寝取られ)たとわかった途端に燃え上がる嫉妬と執着。

光源氏、ダサい。

若かりし頃はイケメン無罪でオラオラだった光る君ですが、ぴちぴち10代の女三の宮にとってはただの中年男。

フィルター無しのリアルな姿はマザコンでロリコンで自己中なおっさんでしかありません。

安全無害な保護者でいるならまだしも、愛してもいないくせに自分は愛されたいだなんてちゃんちゃらおかしいわけです。

 

玉鬘(養女)とは違って光源氏と婚姻しているので関係はあったでしょうが、おそらく生涯誰も愛さなかったんじゃないでしょうか。

無理矢理関係を持たされた柏木のことも政略結婚の光源氏のことも。

 

流されるままに、身体と状況につられて情を感じてしまう女性の多いなか、流されるようで微動だにしない意思のつよさに胸打たれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

こうしてみると、3名ともに高貴の生まれですね。

 

光源氏は帝の御子という生まれなのに源氏(臣下)におとされたことをずーっと根に持ってコンプレックスにしていたひとなので、身分の低い女君の方が気安かったんだろうなと思います。

 

 

 

 

 

 

追記:

むかーしは六条の御息所の言う通り「より多く愛したものが負け」説を採っておりましたが、アラフォーの現在は「愛せたもの勝ち」なんじゃないかと思います。

 

また気が変わるかもしれませんが。

いまはそんなかんじ。

言いたくなったので敢えて追記。

 

 

 

 

 

 

 

 


 




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