朝比奈隆指揮大阪フィル ブルックナー第7番(1975.10.12Live)ほかを聴いて思ふ

音楽が生ものであり、また生き物であることをあらためて思った。
1975年の、大阪フィルハーモニー交響楽団の欧州ツアーにおけるブルックナーの交響曲第7番のいくつかの演奏記録を聴いて、舞台に立つ度に朝比奈隆の解釈が凝縮され、同時に自由を獲得していく様子に感動した。どの演奏も一期一会であり、優劣はつけ難い。
そこにはまさしくブルックナーの音楽を心から愛した朝比奈の神髄があった。

・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調WAB.107
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1975.10.12Live)

10月12日、有名な、聖フローリアン修道院・マルモアザールでの一世一代の記録。

第1楽章:アレグロ・モデラート(22:49)
第2楽章:アダージョ(25:01)
第3楽章:スケルツォ(09:33)
第4楽章:フィナーレ(14:03)

先にマイクの配線を終わっているウィーン放送局の技師の意見でも、反響は十二分であるとのことなので、重複の木管各二本をはずすことにして、ようやくワグナー・チューバほか八本のホルンを含む全員の配置が出来上がった。早速練習、暖房もない石の部屋の空気は刺すように冷たいが、天上のものと形容するほかない豊麗な反響に包まれて全曲を通す。この交響曲の随所にある数小節に及ぶ全休止や曲に特別な表情をつけるフェルマータ休止をいくらゆっくりと休んでも、前の和音はじょうじょうと広間の中にただよっている。いつも私の長い休止をいぶかっていた楽員の顔にもなるほどと微笑が浮かぶ。
「楽は堂に満ちて」
朝比奈隆「楽は堂に満ちて」(中公文庫)P184

朝比奈によるリハーサル時のドキュメントがものをいう。実際本番の演奏は、実に朗々と、天国的な響きを醸し、全宇宙を包み込むほどの大きさをもって前進するのである。第1楽章アレグロ・モデラート終了後に思わず出た聴衆の拍手は、当日の演奏の感動を見事に表すものだ。続く第2楽章アダージョは、筆舌に尽くし難い、地下に安置される棺に眠る作曲者への安息の歌だ。

・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調WAB.107
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1975.10.20Live)

そして、10月20日、西ドイツのランダウは州立フェストハレでの記録。

第1楽章:アレグロ・モデラート(22:11)
第2楽章:アダージョ(23:05)
第3楽章:スケルツォ(09:32)
第4楽章:フィナーレ(13:59)

クライマックスとなる前半2つの楽章のテンポが速めに設定される。当然ながらホールの響きがデッドな分、演奏の粗は露わになるが、朝比奈の基本解釈は変わらず、引き締まった造形が素晴らしい。

極めつけとなるのが、10月26日、オランダのフローニンゲンはオースターポート大ホールでの記録。聖フローリアンでは会場の都合により止めていた木管の倍管を復活させたことが、この日の演奏に箔をつけているといえる。それはもちろん長いツアーによって磨かれたオーケストラの技術的安定(第1楽章冒頭などは幾分疲れの表情を見せるが)と、朝比奈と楽員のより緊密な信頼関係がもたらした成果である。

・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調WAB.107
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1975.10.26Live)

ちなみに、10月27日付の新聞評には次のようにある。

朝比奈は全人格をかけて暗譜で指揮棒を振った。
終わったあと、朝比奈は私にこのような交響曲は「“私なしに”指揮されなければならない」と語った。即ち本物のブルックナーである。私達はこの第7交響曲を他の幾人かの有名な指揮者によって聴いたが、今回のように優れたものはなかった。

(ハインツ・ヴァリッシュ)
ALT219ライナーノーツ

第1楽章:アレグロ・モデラート(21:55)
第2楽章:アダージョ(23:35)
第3楽章:スケルツォ(09:36)
第4楽章:フィナーレ(15:21)

音楽に溢れる緊張感と愉悦が美しい。実に独断と偏見だが、ブルックナーの第7交響曲は、朝比奈隆の解釈が随一。

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