小学生のころに切手集めをしていたとは何度か触れておりますが、
それを通じて結構知識(どれほど有用かは別として)を得た気がしますなあ。
国立公園シリーズの切手を通じて、
日本の国立公園はどこにあるかてなことが記憶されていったりしたのでして、
「国立公園」と「国定公園」とがあって「違いは何ぞ?」と思うも、
国立公園の切手には写真が使われ、国定公園の切手いには絵が配されて、
その当時の単なる印象ですけれど、国定公園より国立公園の方がステイタスが高いのだろう…
てなことを考えたりしたものです。
もちろん写真であるか、絵画であるか、どちらが上も下も無いわけながら、
それぞれの公園の特徴的な風景などを表して、どれほど行きたくなるかという点で
小学生にとっては写真の方がその気にさせるものだったということでありましょうか。
その後には、東山魁夷 の絵を見て信州の御射鹿池 を訪ねたりもしてますから、
絵画のインパクトも決して劣ってはいないと思っておりますが。
さて、日本の国立公園は「アメリカ合衆国で生まれた国立公園の理念や手法を取り入れ」て
設置に動き出したそうでして、「国立公園」なるものの啓発活動のために
「候補地を絵画で紹介する国立公園洋画展覧会」なるものが昭和7年(1932年)に
開催されたのだそうでありますよ。
その後に追加されたものも含めて80点となっている絵画による国立公園シリーズ。
これを展示する展覧会が東京・小金井市の「はけの森美術館」で開催中でしたので、
ちょいと覗きに行ってまいりました。
北は北海道の知床国立公園やら支笏洞爺国立公園やらから展示は始まりましたですが、
見始めて早々に思惑違いに行き当たったといいますか。
心持ちとしては国立公園に選ばれるだけの風光明媚さが揃い踏みと思い込んでいたものの、
昭和初期に「当時を代表する洋画家たちに絵画制作」を委嘱したという作品群は
著名作家(初めて知る名前の方も数多おられましたですが)であるがゆえに
それぞれにキャラの立った個性で芸術作品を作り上げているのですな。
観光ポスター的なところとは制作の姿勢からして全く違うわけです。
ですので(と言っていいのかどうかわかりませんが)例えば摩周湖を取り上げた一枚では
「幻想的でロマンティックな」という勝手な思い込みに真っ向勝負を挑まれた感じて
暗色を多用した厳しい姿がそこに描かれている。確かにこれも摩周湖の姿なのでしょう。
他にも上信越高原国立公園の清津峡を描いた一枚は、
確かに柱状節理の岩壁で有名な景勝地ではあるところながら
画面の4/5くらいは岩壁で埋められ、峡谷らしさは最下段の水の流れで偲ぶばかり。
おそらく画家としては幾何学的な自然の情景に魅せられて一点突破を図ったものと思います。
ただ、これは柱状節理そのものを見に行きたい気にもさせる点で良い方でしょうけれど、
日光国立公園に含まれる塩原温泉 の渓流を描いた作品は、画面のほとんどが
河原に転がる大小の岩石で占拠されているのですなあ。
もともと清津峡のような特徴がなければ、
渓流を描いてこれがどこであるかを見る側に察知させるのは難しいことと思いますけれど、
作者には端から「見る側の場所探し」には関心が無いのでありましょう。
本来的にそうしたことは作者の側からすれば当然であって、描かれた作品がどこかでなくして
作品が何を与えるかみたいなところにこそ関心があるのでしょうから。
芸術家の姿勢としてはごもっともながら、
おそらくは委嘱した側の意図は違ったんではないですかね…と思うわけです。
とまあ、こんなふうに書きますと、制作意図に合わないことをもって否定的に見てきたと
思われるやもしれませんですが、実はそういうわけでもないのでして。
実は「塩原の渓流」を描いたのは猪熊弦一郎ですけれど、
作品を見て「塩原?」と思う一方で、その目のつけどころに「猪熊さん、やるなあ」とも。
ごろごろした大岩や小石がおびただしく折り重なるそのようすは
もはや場所が塩原かどうかはともかくとして、不規則に反復されるリズムの揺らぎを見るよう。
今回見た中ではいちばん印象に残った作品でもあるのですから。
まあ、かように二様の楽しみ方があるとも言えるこの展覧会、
中部山岳国立公園より西側は、そっくりまるごと展示替えの後期展で展示されるとのこと。
そちらには小磯良平や坂本繁二郎らの作品も登場するそうですので、
できれば後期展も覗いてみるといたしましょうかねえ。