映画の原作に「実話に基づく…」てなものが増えましたなあとは以前にも申したところですけれど、

それによって大づかみの歴史の流れからはこぼれちてしまっていたようなことに目が留まる、

そんなこともままあるわけですね。


例えばアメリカで起こった南北戦争 に関しては、

南部は奴隷制度を温存したいと考え、北部はこれに反対し、

国を二分しての大内戦が展開された…てなふうにいってはざっくりしすぎですが、

そんなようなことを世界史の授業でやったりしたわけです。


ところが、その後にあれこれ知ったことには毎度驚かされるような始末でして、

だいたい南部と北部の境目がどのあたりにあったのかということさえ知らずにいたのですから。

そんなこともあって、しばらく前にはアメリカ南部 のことを本で読んでみたりもしたものです。


いろいろな見聞によっていろいろなことが補われていくとして、

このほど見た映画「ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男」でも

「ほうほう」と思ったものなのでありました。


ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男(字幕版)

原題は「FREE STATE OF JONES」、ジョーンズ自由州とでも言いますか。

南部軍脱走兵や逃亡黒人奴隷などのコミュニティーをまとめ、

自分たちを守るためには武器を取ることもやむなく武装化するも、

暴徒化するというよりはミシシッピ州の一定エリアを制圧して「ジョーンズ自由州」と命名、

誰もが「神の子」であることをもって平等という、ある種理想郷のようなところを作り出したと。


史実からすると、確かにニュートン・ナイトという人物は実在したものの、

(ちなみに映画ではマシュー・マコノヒー が演じおりますよ)

コミュニティーの実情はよく分かっていないようすが、

動きとしてこういうことがあったとは言えそうですね。


しかしまあ、脱走兵という言葉にはどうしてもネガティブな印象があるようでして、

もちろん前提になっている「戦争」というものを肯定的に見ているわけではないんですが、

脱走するにもそれぞれに理由があり、ナイトのコミュニティーの面々も一様ではないながら、

自分の住まっていたところが南部地域だから南部軍に徴兵されるとはいえ、

アメリカ連合国(南部諸州にとっての国ですな)の戦いには義を感じないという者もいたようで。


何となれば、奴隷制維持の戦いに勝ったとして得をするのは

大きなプランテーションを持つ大地主たちであって、庶民にどれほど関わりがありましょうか。

しかも(映画の発端に出てくるエピソードとして)奴隷をたくさん保有する地主の息子ほど

徴兵を免れるという制度まで出てきた日には「いったい誰のために戦ってやっているのか」と

思ったとしても不思議はないでしょうなあ。


アメリカの奴隷制度は、白人層内に貧富の差があることの目くらましとして、

下層白人には「まだ自分たちの下に奴隷がいる。自分たちは最底辺じゃあないのだ」という

(何ともネガティブな)自己肯定感を与える効果があったわけですよね。


実際に映画「それでも夜は明ける」 で見たような、下層白人が黒人奴隷をいたぶる姿などは

日常的にもあったのでしょうけれど、誰かに対する優越感でもって自己肯定するような、

そんな意識から離れていた人なれば、白人も黒人も貧しい者同士でいがみ合ってどうする

てな考えを持つ人があっても不思議ではないように思います。

(もちろん今だから言えることだとも思わないではありませんが)


とまれ、南北戦争の南部だからといって奴隷制維持の一枚岩ではなかった。

まあ、冷静に、また後世から見ればそうであってこそ「そうだよなあ」とは思うものの、

単に歴史の上っ面を撫でて通り過ぎるだけは気付かないことはあるわけで、

またそうしたことに目を向けさせてもらえたなと思ったものでありました。