斎宮 から近鉄で移動し、伊勢市駅にやってきました。
松阪駅 と同じく、JRと近鉄が隣り合ってひとつの駅になっていますので、
伊勢街道を歩いてたどり着くのではない現在の伊勢参りでは、その玄関口と言えましょうか。



式年遷宮も終えて参詣者もひと段落なのか、駅頭は穏やかなものでしたですが、
ともかくこの鳥居を抜けてまっすぐに参道を進んで行けば外宮に到着となるようで。




しかしこの参道、いろいろな店が軒を連ねていて、それがとりどりの建物で。
なんだか江戸東京たてもの園 を歩いているかのようでありましたよ。



と、この左側通行の火除橋を渡ると、いよいよ神宮の森ですな。
ぐぐっと右にカーブしながら奥へと続く長い表参道の先に
外宮と言われる豊受大神宮の正宮があるというわけでして。



ここから先の写真撮影は不可でしたですな。
で、普通はここでさてお参り…となるところでしょうけれど、
今回は「来た、見た、撮った」でお参りは無し。


なんとなれば、斎宮に来たからにはちょいとばかし覗いておくかということで、
内宮に回るつもりが端から無いのですから、外宮にお参りしては
「片参り」になってしまいますので。


ところで、これはいささか後知恵なのですけれど、
「片参りはいけん」と書いてあるのはもっぱら旅行ガイド的なHPばかり。


もそっと由緒正しく「いけませんよ」と理由を述べて諭してくれる記述も見つからない一方で、
伊勢志摩観光ナビにはむしろ伊勢音頭の一節を引いて紹介があったのは
「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と、伊勢神宮に詣でたならば
朝熊岳金剛證寺にも行かないと片参りになりますよということなのですなあ。


もっともお伊勢参りで外宮、内宮と回わるのは切っても切り離せないもので、
どちらだけにお参りするなんつうことは、昔の人にとっては考えもしないことだったのかも。
ですので、外宮、内宮のどちらかだけ参るというのは「片参り」というんだよという感覚も
なかったのかもしれんなと思ったり。


さらには、長い長い伊勢神宮の歴史を辿れば、
外宮が内宮にいつも一目置いて少し控えるといった立ち位置に
甘んじていたばかりではなかったようでありますね。
つまり内宮・外宮の両者は対等なのだと。


先に読んだ中公新書「斎宮 伊勢斎王たちの生きた古代史」 にも触れられていた

「両部神道」の関わりでありまして、ちと該当する部分を引用させてもらうことに。

真言宗では、世界は胎蔵界、金剛界の二つの曼荼羅世界(部)で構成されており、その中心にいる最高の仏が大日如来とする。両部神道では、胎蔵界の大日如来は伊勢内宮、金剛界の大日は伊勢外宮として、両者を対等とするところから「両部」という。

てなふうな対等と張り合う意識があったとなれば、外宮、内宮のどちらが言うでなく
「どちらか一方だけに参るなんつうのはいけん。片参りは縁起が悪いぞよ」てなことが

あったかもしれんなあぁとも。


とまれ、そんな「片参り」の縁起の悪さを信じているのかいないのか、

我がことながらはっきりはしませんけれど、ともかく
「外宮には行った、でも(片参りにならないよう)お参りはしなかったということになるわけです。


所詮はその程度の不遜な輩ですから、正宮の写真撮影は不可と言われますと、
何とか見えるポイントはなかろうかと探してしまったり。
横から廻り込むように歩いてみると、何とかこのような姿だけは撮れましたですよ。
少しばかりですが、きんきらしてるのが見えましょう。



そのまま脇道を歩いていましたら、忌火屋殿(神様のための台所らしい)や御厩があって、
そういえば前にNHKで「2時間でまわる伊勢神宮」なんつう番組を見た時に
このあたりの道を通っていたんではなかろうかと思いつきましたですよ。


まあ、コンパクトに廻ろうとすれば外宮・内宮ともども参拝して2時間でいけるとしても、
次に来るときにはじっくりとあちこちに点在するお社をも巡ることにして、
ここから先は伊勢市の町を歩く方に軸足を移すのでありました。