「歌舞伎(の公演)を見たことがない」という友人に

「もしも興味というか、いささかの好奇心があるのなら…」と水を向けてみましたら、

「そりゃあ、機会があればね」と。


そこで、来月に国立劇場で開催される「歌舞伎鑑賞教室」 が入口としてぴったりだろうと

一緒に出かけることにしたのでありまして。


で、「チケットとれたよ」てなことを伝えたりしておりますときに

「歌舞伎っていうのは昔からの演目を繰り返しやっているけど…」てな話になり、

「でも役者が違うと芝居の印象が変わる」ということは、

「クラシックの音楽も繰り返し、繰り返し演奏されるけれど、

指揮者や演奏者によって違ったパフォーマンスになって、そこに妙味があるのと同じわけね」と

今さらながらに得心したようすでありましたよ。


この友人とのやりとりは読響の演奏会を聴いた後で飲みに寄った席でのこと、

当日の演奏会での印象が先の得心に影響していたのであろうとも思うところでして。


読売日本交響楽団第217回土曜マチネーシリーズ東京芸術劇場

去る3月末でシルヴァン・カンブルラン を見送った後、

読売日本交響楽団が新たに迎えた常任指揮者がセバスティアン・ヴァイグレ。

この5月からお披露目公演が始まり、そのひとつに出かけたのですなあ。


触れ込みは「ドイツ本格派」来る!といった具合。

最近でいうと例えばドゥダメルみたいに若くしてスター街道を突き進んでいるのとは違い、

ドイツ各地にある地域地域の歌劇場のたたき上げで、マイスター制度の伝統のもとに

育ってきたというふう。もはや60に近い(写真ではそうも見えないですが)だけに

たっぷりと確かな伝統がこの人のなかにはあるのでしょう、きっと。


そんなヴァイグレの演奏会、

プログラムのメインがブラームス の交響曲第4番とはお披露目曲としてなるほどと。

多分にプラシーポでもあろうかとは思うところながらヴァイグレが振りますと、

「ああ、ドイツだなあ」という響きで満たされるのですよねえ。

およそ奇を衒うところのない直球のブラームスでありましたよ。


で、こんなときにもしカンブルランが振っていたら…てなことを思ったりもするわけでして、

それはそれで「ドイツ音楽だなあ」というところとは別にきっと何か新しい発見があるような

面白さがあったろうと想像するのですなあ。


されど、両者の違いは違いとして、それぞれに面白く興味深い。

演奏を聴きながら、友人もそんなことを思ったのでしょうか、

さきほどの歌舞伎の話につながるところでもあろうかという次第でありますよ。


と、演奏会の方は、ブラームスの前にモーツァルト のピアノ協奏曲と

ロルツィングの序曲が演奏され…って、浅学にしてロルツィングという作曲家を

初めて知りましたですよ。この人はこの人で劇場たたき上げの人だったようで。


そして、どちらもありそれでもとは違う路線が示されておるなあという印象なのですよ。

公演プログラムの解説によりますと「両親ともに芝居好き。やがて商売をたたみ、

一家で役者の道に入る」とまあ、そんな家でロルツィングは1801年に生まれたそうな。


子役として舞台に立ち、また楽団の演奏者ともなり、劇音楽の作曲もするようになる。

そんなロルツィング最大のヒット作が喜歌劇「ロシア皇帝と船大工」でして、

今回演奏されたのはその序曲なのでありました。


いかにも聴き手に分かりやすく、これから始まる芝居にわくわく感を持たせることをこそ

第一に考えられた曲だけに、ブラームスあたりには「安い音楽」と切って捨てられそうですが、

そのことはともかくとしてこのお話に出てくるロシア皇帝、これがピョートル大帝 なのですなあ。


ピョートルは若い時分、西欧の知識をたくさん身につけたいとお忍びで遊学しますけれど、

これはオランダで造船技術を学んでいたときのお話ということで。

(つまりは船大工をしていたというわけですな)


ピョートルがオランダに関心を寄せていた名残りとして、

実はサンクトペテルブルク という名は(今でこそドイツ風ではあるものの)オランダ風に

「サンクトピーテルブルフ」(今ならシントピーテルブルフというところか)てなふうに

呼ばれていたこともあるようですから。


とまれ、作品は喜歌劇ですから、本当は皇帝とは知らない人たちの勘違いによる

ドタバタなんつう展開があるかもですが、見てみたいものですなあ。

マリインスキー劇場 ででも取り上げませんですかね(笑)。