半田赤レンガ建物

半田赤レンガ建物 にあって、ハーフティンバーの木骨が特徴的なこの部分、
左側のウッドデッキのところにかつては製品運搬用トロッコの軌道が敷かれていたそうな。



その軌道はそのままこの塀の向こうの道路につながりますが、
画像の右から左に向けてゆるやかに下っているのがお分かりになりましょうか。


これを下っていきますと、ほどなくJR武豊線の線路に行き当たるのですな。
下り坂を利用して製造したビールをトロッコで運び、鉄道に乗せ換えて出荷したのでありましょう。
そういう場所だからこそ、工場を建てたということですかね。


と、古くから醸造の町の生産品を運んでいたであろう武豊線は
「明治19年3月東海地区で初めて鉄道して開通した」とのこと。
そもそもは明治にあって日本の東西を結ぶ大動脈・東海道本線の建設資材を

武豊港で陸揚げし、これを輸送することを目的に線路が敷かれたのだそうありますよ。


こうした由緒であることから、JR半田駅には鉄道遺産とも言えるものが存在すると。
何かと思えば、この跨線橋。明治43年(1910年)以来このかた100年以上、使われ続けている。

JRでは最も歴史ある跨線橋ということです。


JR武豊線・半田駅の跨線橋


一方、駅の傍らにはC11蒸気機関車も静態保存されておりました。




また、半田市鉄道資料館なるものもあったですが、
こちらの開館は毎月第1、3日曜日のみ。残念ながら覗くことはできませんでした。



とまれ、このような歴史との関わりを知るに及んで、

帰途はJR武豊線に乗って…と思ったりもするところながら、名古屋へ出るのに

名鉄と比べ、運転本数が少なく、途中で乗り換えを要し、時間も多くかかるとなれば
誠に残念ながら…という次第。まあ、思い付きですのでね。


というわけで、帰路は名古屋鉄道の知多半田駅から特急(!)に乗って。
結構思い付きで出かけた知多半島の旅でしたけれど、思いのほか楽しめたなと思いつつ、
名古屋経由で帰途についたのでありました。





そんな具合に「知多半島常滑半田紀行」にさくっと区切りをつけたところで、
この連休は秩父長瀞方面へと行ってまいります。


夏の暑い盛りには両親を連れてどこへとも行けずじまいでしたので、
昨年、棟方志功 の絵を見たり、浦山ダム に寄ったりしたときに泊まった国民宿舎に
「確かカラオケの設備があったな」と思い出して、少々のお楽しみを提供してやろうかと
考えたような次第です。ではまた、少々のお暇を頂戴いたします。