現代は即時的な情報がどんどん提供される世の中になっていると思っていたところが、

どうやらやっぱりそうとばかりは言えないのだな…と、今さらながらに。


大雨をもたらした台風19号が過ぎ去って、天候的には回復し始めてようやく

はっきりした被害のようすが伝わるようになるのですよね。


取り敢えずのところ相模川は持ちこたえのかなという気がして

昨日は相模原 のお気楽記事をUPしてしまったものの、その実、

その相模原市では大きな土砂災害が起こってしまっていたのであるとは。

また、あちこちで河川の氾濫、堤防の決壊も起こってしまっていたとは。


そんなこんなで大雨のことを反芻したりもするわけですけれど、

ふと思い至ったのは「水が無くなる」ということはないのであろうか?ということでありました。


海水が温められ、蒸発して雲になり、これが陸地にも雨を降らせる。

地上に落ちた水は紆余曲折を経て流れを作り、川を経て海へと戻る。


まさに先日、東京都水の科学館 で見た映像のとおりなのですが、

地上に降った雨は森林に保水されたりしますし、

はたまた湧水となったものを人が(ミネラルウォーターに加工して)飲んだりもしますですね。


つまり、海から生じた水の総量が海に帰るわけではない。

となると、いかに海が莫大な水量を誇っているとしても、そしてヒトの目から見て

いっときの雨がどれほど多かろうと水の総量的には微々たるものであっても、

それが地球上に水が出来て以来ながぁい年月にわたって雨が繰り返されたとしたらば

水が減るということはないのでありましょうや?


よくよく考えれば、森林に保水されたものはやがてこれも雲になり、循環する。

また、ヒトや動物が飲んだ水は「消費された」と思うものの、

実は汗とか尿とかと形を変えて体から放出される。


これで帳尻が合うとすれば、地球上の水の総量は(いかにも水らしい)液体の形ばかりでなく、

固体(氷とか)や気体(水蒸気とか)の形であるものを全部ひっくるめて安定している、

てなふうに考えればいいのでしょうかね。


「使えば減る」と考えるのは普通にある発想で、

夏場にはダムが干上がりそうだから節水を!てな話が伝わると

「水が無くなる」てなふうにも思ってしまうところながら、

実際にはダムが満々と湛える水は、別のところで別の形にもなって

総量としては安定的に存在するというなのでありましょうか。


ミクロ的な局面では水不足といった事態が生じても、

地球規模的で常にバランスがとれているとすれば

(仕組みは分かりませんけれど)これはこれですごいことだなと思うのですね。


一方で、「使えば減る」というのは水にも当てはまっていて、

それでも減らないのは使われた分の水が新たに誕生していると考えることも

できなくはないような。何しろ水は水素と酸素で出来ているのですから。


ですが、水素と酸素があるからといって勝手に水が出来てくるわけでもないですよね。

地球誕生の物語の過程で、何らかの作用があって水が、海が出来た。

それと同じ作用がどこかで今でも生じていて、水が増産されているとも考えにくく…。


ということで、水は安定的にその総量を保持し、循環して変わることがない。

絵に描いたような再生可能の物語であるわけですが、

やっぱりその安定性の理屈が分からない…。


おそらくは小学校、中学校の「理科」の教科書でもめくってみれば

分かるところなのかもしれませんけれど、またネット検索でもひっとするかもですが、

「なぜなんだろう?」に対して即座に答えだけを探すのでなくして、

ああでもない、こうでもないと(知識を持つ人には時間の浪費にしか見えないでしょうが)

考えをめぐらしてみる、そのこと自体は悪いことではないようなあと思ったりするのでありました。


と、(いささか付けたりめきますけれど)各地の復旧がいち早く進むよう、

しばらくは水の循環の中で雲になり雨になりという部分がほどほどでありますように。