ちょいと前のEテレ「らららクラシック」では作曲家アントニオ・サリエリを取り上げておりましたなあ。
よもやゲームのキャラクターとしてサリエリが取り上げられ、それが故に知名度急上昇中とは知りませなんだ。
アニメのみならず、日本のゲームもまた「クール・ジャパン」とやらを牽引しているとなりますと、
サリエリが世界的復権を果たす日も近いということになりましょうか。
何しろサリエリといえば、今でもモーツァルトの暗殺者として記憶されることも多いところかと思いますが、
これが全くの流言飛語の類であって、サリエリは音楽史における独墺史観のスケープゴートにされたのでもあろうかと。
そのあたりは先の番組でも触れられていたところですけれど、一方で「サリエリはいい人だった」という紹介もあれこれあり、
その中のひとつにウィーン楽友協会の設立に携わったことが挙げられておりましたですね。
一般的には楽友協会大ホールがウィーン・フィルの本拠地として知られるばかりかもしれませんけれど、
ドイツ語原語では「Musikverein」というこの協会、どうやら音楽家たちの相互扶助団体でもあるような。
でもって(と、ここからサリエリの話からは離れますがが)、ドイツには「Kunstverein」という芸術家団体が
地域ごと、あちらこちらにあるということで。
現在進行形で活躍するアーティストの団体ということになりますので、
その展覧会はなかなかにとんがった作品展示になったりもするところでして、
一度フランクフルト芸術協会の展覧会を覗いてみたところ、かなり付いていきにくいものであったなあと。
まあ、それはたまたまで毎度毎度付いていきにくものばかりではないと思いますが、
ともあれ、ドイツのクンストフェラインを意識して設立され、「美術の研究活動、展示活動を行う美術館」が
東京・国立市内にあるということで、出かけてみたのでありました。
JR中央線国立駅から徒歩20分、同じく南武線谷保駅から徒歩18分という不便な足回りながら、
個人的には自転車圏内、たどり着いてみれば全くの住宅街に溶け込むように、美術館はありましたですよ。
「宇フォーラム美術館」とは名前からしてユニークですなあ。
開催中であったのは「山口俊朗・秋山秀馬 展」、当然にしてお二人とも(年齢はともかく)現在進行形の作家で、
ともするとこうした作家さんたちの発表の場はギャラリー、画廊であったりする(作品販売も目的としている)ところですが、
クンストフェラインを模しているだけあって、ここは純然たる発表ための場所を無償で提供しているのであるとか。
とまあ、そのようなコンセプトの美術館で2人展を見てきたわけですが、前者が絵画的な平面作品、
後者が立体造形(平面的なものもあるものの)、それがひとつの空間の中にコラボ感をもたらしているような。
とことんひとりの作品で囲まれてしまいますと、息の抜きどころか無い気がしたものですので。
山口作品は「層を重ねる」がキーワード。
和紙の上に、ぼぼ?均等に細かく切った塩ビシートを貼り並べ、その上に絵の具を撒いている(ように思える)。
そして、さらに塩ビシートを貼り重ね…という作業から生まれる作品は、幾層かのレイヤーがあると透けて見えるのですよね。
絵画でも塗り重ねがあるということでは「層を重ねる」ことに代わりはないのでしょうけれど、
それはレイヤーの最上位がどう見えるか、どう見せるかのために行っていることでしょうから、
敢えて「層を重ねる」こと自体を意識させるようにはなっていないのではなかろうかと。
山口作品はそれ以外の絵画にも幾層かのレイヤーがあることに(今さらながら)気付かせてくれますし、
気付きは何も絵画に限らない。例えば(と、また極端に飛躍しますが)人間もまた幾層かのレイヤーが存在することを
意識することになったりもするのでありますよ。
物理的に人体には表皮から内側に向けて層があるということはもちろん、
精神の面でも「こいつはひと皮剥けば、人が変わる」とか「仮面の下の本当の姿」とかいう言いようがあるように、
ヒトというレイヤーの最上位(表面というべきですかね)が「見せたい自分」であったり「取り繕っている自分」であったり、
そんなこともあるのではないですかね。
一方、秋山作品は石や樹皮という自然素材を計算づくで配置したものでありましょうか。
計算づくと言いましたのは多くの作品がきれいな螺旋を描き出しているからでありまして。
美術館に出かけて作品を見、「きれいだな」、「美しいな」(この両者が異なる意を含むものであることは措いておいて)と
思うことままあることながら、それを理屈っぽく説明しようものなら興が醒めてしまうことにもなりがちかと。
されど、先日、遠藤貝類博物館で見た巻貝の描き出す螺旋形などは自然の造形であって、
理屈とは別世界のようでありながら、実は見事に数学的な理屈どおりの巻き具合だったりするのですよね。
確かフィボナッチ数列でしたか。
と、こうしたことはいわゆる絵画世界と関係がないかというとそうではなくして、
古典的な絵画で「黄金比」が意識されていた例は山のようにありますよね。
このあたりのことは「ドナルドのさんすうマジック」(子ども向けと侮れませんな)で教えられたりもするところです。
いささか話はずれましたけれど、秋山作品はこうしたことを思い出させたりするわけですが、
面白いのはかかる螺旋をそも自然の造形物(石や樹皮)で行っているということ。
自然と人工との境界線意識が揺らぐというと大袈裟ですが。
まあ、そんなことを考えつつ展示を見て回った「宇フォーラム美術館」でしたですが、思いがけぬ発見がもうひとつ。
予て国立市に住まっていたとは聞き及んでいたものの、作家・山口瞳のお宅は美術館のすぐそばだったのですな。
先に美術館から谷保駅までは徒歩18分と紹介しましたですが、山口は夜な夜な?散歩しつつ、駅まで出て、一杯ひっかける、
そんな生活を送っていたのですなあ。そんなところから『居酒屋兆治』は生まれたということでありますよ。