森高千里さん不朽の名曲「渡良瀬橋」を私が初めて聞いたのは、二十代の頃の事ですからかなり昔の話になります。
当時、私は新橋にあるスナックに通いつめており、この歌を聞いた時、なんだか言霊に触れたような気がしてとても感動した事を今でも覚えています。
渡良瀬橋ってどこにあるんだろう、店の女の子に聞いたところ、彼女もよく知らなかったようで、もしかして日本にない、つまり空想の川橋なんじゃないかしらといい加減な返答をしたのを真に受けていた私でした。
これはルビコン川のような意味なのかな、勝手に空想した私でした。ルビコン川というのは、共和政期ローマにおいて、属州ガリアとイタリアの境界になっていた川なのですが、巷間、ルビコン川を渡ったという成語が有名ですね。これは後戻りの出来ないところまで来てしまったという意味なのですが、このルビコン川を渡るという成語は、私が学生時代、大学の犯罪学の授業で教授が犯罪者の心理状況を説明するのに比喩的に使っていたものです。つまり、犯罪を犯すというのはルビコン川を渡るようなもので、やむにやまれず悩みに悩んだ末に一歩進んでしまったという事を説明したかったのだと思います。
渡良瀬川とルビコン川を混同したのは私くらいかもしれませんが、ちょっと忘れられない思い出があるんですよね。
当時隣の職場に40代後半、とても奇妙な上司世代の男性がいたのです。十年位前までは普通のサラリーマンだったのですが、離婚して、それから自分の両親を立て続けに亡くし天涯孤独の身になった頃から奇妙な病気にかかったという噂を聞いていたんですよね。
実情はよく分かりませんが、噂だと少しづつ己が精神から感情がなくなっていく病気だとか時間と空間の意識が消えていく病気だとか、周囲は怖いもの楽しさのように散々不気味感を呷るような話をしていたものです。
確かに、鬱病的兆候はあったし表情が暗くて怖い感じはありましたが、ユーモアがあって根はそんなに悪い人じゃないと思っていた当時の私でした。
仮に浜口さんとしておきますが、その浜口さんが突然心身の限界を理由に退職する事になったのです。五十を前にして何をする気なのかなと思っていたら、どうやら遠く三重県の海の見える街で独り暮らしを始める事にしたそうで、ここでも散々噂が立ったものです。夜の海の監視員、つまり自殺者やら危険な遊びをする若者を監視するだとか海女のストーカーをしているらしいとか、いずれにしろ東京からは遥か遠くに引っ越すことになったのは事実でして、退職前に親しい人たちで一席送別の会を持とうという話になったのです。
しかし、送別会に集まったのは、私を含めて四人の男性だけでした。浜口さんも含めて五人で新橋烏森口の中華料理店で別れの宴を持ったのですが、浜口さんとても上機嫌で幸せそうだったのが今でも目に浮かぶものです。
そして二次会。当時、私が通いつめていたスナックに行くことにしたのです。
浜口さんオハコの「上を向いて歩こう」から始まって、次に私が最近覚えたばかりの森高千里さんの「渡良瀬橋」を歌い出した時です。浜口さんに異変が生じたのです。
「なんじゃ、こりゃ。」
レーザーディスクに唖然とした表情で奇声をあげる浜口さんでして、歌い終わった私に、こんな事を口走ったのです。
「懐かしいなぁ。渡良瀬橋って、俺の故郷なんだぞ。八雲神社って、家族でお参りに行ったことあるんだよ。」
ええっ、その時まで、私は渡良瀬橋というのはてっきり空想上の橋だと勘違いしており、やはり浜口さんはルビコン川の畔のような犯罪者の異世界で生まれた人間だったのかと思ってしまったのです。
しかし、彼は初めて私たち四人に自分の本当の生まれ故郷の話をしだしたのです。
渡良瀬橋というのは、栃木県足利市を流れる渡良瀬川にかかる橋の一つであり、浜口さんは十八歳まで家族三人でその橋の近くに住んでいたというのです。夕日が綺麗な街という歌詞には涙が出そうになる程懐かしくなったと語るわけです。
その晩、少し寂しい送別会でしたが、親しい男四人に送られて浜口さんは大喜びでした。三重県での今後の謎の生活については最後まで語らずじまいでしたが、最後に皆でもう一回「渡良瀬橋」を合唱してはお開きとしたわけです。
その後、浜口さんの消息は一切不明で今どこで何をしているのかもわかりません。ただ、最後にそのスナックで謡った「電車に揺られて この街まで あなたは会いに来てくれたわ♫」というフレーズが今でも耳朶に残っているものです。
しかし、日本歌謡史における純文学作品のようなこの歌、今では栃木県足利市の渡良瀬橋傍に歌碑まで出来ているのだそうですね。
写真で見ましたが、最後、「二人で歩いた街 夕日が綺麗な街」で締めくくられており、一度行ってみたいなと思っているところです(^^♪
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