衣紋掛け | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日はある野球選手の没後3周年にあたるのですが・・・タイトルだけでそれが誰か分かった方は、かなりのプロ野球通というか巨人(もしくは日ハム)ファンのはず。

それは巨人のV9に貢献したサウスポー、


  高橋 一三 投手

       
 

終戦直後の1946(昭和21)年に広島県府中市に生まれた高橋投手は、北川工業高校(現・県立府中東高校)に進学しエースとして活躍し、イイところまで勝ち進むも甲子園に手は届かず。

しかし彼の手の大きさに巨人の木戸美摸スカウトが惚れこみ、1965年ジャイアンツに入団。

 

いきなり4月に1軍デビューを果たしますが、5月の広島戦で2者連続ホームランを浴び即二軍落ち。

1年間ファーム暮らしを余儀なくされますが、本人は後に 「若い時に地獄を見たおかげで、現役で19年飯を食えた」 と、この挫折の経験が自らを奮起させたと語っておられます。

翌1966年から右バッターの外角に鋭く曲がり落ちるスクリューボールを身に着けて1軍に定着した彼は、1969年には22勝5敗・防御率2.21の好成績で、最多勝・最高勝率・沢村賞・ベストナインと多数のタイトルを獲得。

以後5年連続2ケタ勝利を挙げ、1年下の堀内恒夫投手と共に巨人9連覇の立役者となりました。

 

しかし1974・75年の2年間で8勝しか挙げられなかったことで、76年には張本選手との複数トレードで日本ハムへ。

巨人時代の本格派から技巧派に変身した彼は、途中腰痛に苦しめられながらも先発ローテーションの一員として活躍し、1981年には14勝を挙げてチーム19年ぶりのリーグ優勝に貢献。

 

       


1983年に引退するまで現役19年、通算成績167勝132敗12セーブは、ご立派。

ただし通算奪三振が本人の目標としていた2000に僅か3つ足りない、1997。

 

これが相当悔しかったようで、引退後も三振を奪う夢に苦しめられたそうな。

 

その気持ち、昔同じくピッチャーをやっていた私にはよぅく分かります。
 

現役引退後は巨人・日ハムの投手コーチ、巨人二軍監督を歴任。
西崎幸広・柴田保光・武田一浩・内海哲也らチームのエース級を育て上げました。

2009年からは山梨学院大学硬式野球部監督に就任し、学生を鍛え上げていましたが、2014年に体調を崩し辞任。

 

        


療養を続けておられましたが、2015(平成27)年7月14日・・・心不全により、69歳でこの世を去りました。

若い頃一緒に遊び歩いていた堀内投手が〝悪太郎〟と言われ叩かれたのに対し、高橋投手が全く批判されなかったのは、非常に謙虚かつ実直な人柄で周囲から好かれていたから。

指導者にはうってつけの性格だったのでしょう。

あと10年は生きて野球界に貢献して欲しかったです。

身長178cm・体重78kgというサイズと、〝衣紋掛け〟と渾名がつくほどのいかり肩だったところが現役時代の私と全く同じでしたから、非常に親近感があるピッチャーでした。

その豪快なフォームが、あの 『巨人の星』 の星飛雄馬のモデルだったという〝左のエース〟のご冥福を、あらためてお祈り致します。

 

 

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