今日は、選手でも指導者でも、また球団経営者でもないのに野球界の発展に大きな貢献をした人物、
ヘンリー・チャドウィック
Henry Chadwick
の命日・没後111周年にあたります。
写真を見ても、ピンとこない方が殆どだと思いますが・・・実はこの方、
野球黎明期にルールや試合・個人成績の記録法を考案し、アメリカでは〝野球の父〟と呼ばれているのです。
チャドウィックは1824年にイングランド南西部のエクセターで生まれました。
兄も後に社会改革者となった優秀な兄弟は、ヘンリーが12歳の時に両親共々アメリカのブルックリンへ移住。
20歳の時ヘンリーは記者となり、ブルックリンのロング・アイランド・スターという雑誌にスポーツ記事を、またニューヨーク・タイムズにクリケットの記事を書き始めます。
ちょうどその頃ベースボールの原型がアメリカで出来上がったのですが、イングランド人でクリケットを熟知していたことが後の彼の野球に関する貢献につながりました。
なぜなら、そのクリケットのスコアカードを参考にして、現在でも新聞・雑誌等で利用されている〝ボックススコア〟を考案したから。
1876年頃のボックススコア
と同時に、これまた現在でも選手の成績・活躍度の目安となる『打率』や『防御率』の計算方法も編み出したといわれています。
24歳の時にバージニア州議会議長の娘と結婚した彼は、1850年代に野球規則委員会のメンバーとなり、1858年に完成した初期の公式野球ルールの編纂に尽力。
1860年代には数年にわたり野球の年次ガイド “The Beadle Baseball Player ” を編集・出版。
更にプロ野球のナショナルリーグが創設されて間もない1880年代前半には、友人のアルバート・スポルディングが監修していたナ・リーグ公式ガイドの編集も行いました。
※スポルディングに関する過去記事は、こちら。(↓)
現在でも出版されているガイドブックや選手名鑑の原型も、彼が作ったんですネ。
まさに野球発展を側面から支えた功労者・・・1908年4月20日に83歳で天に召された彼が、それから30年後に野球発展功労者としてアメリカ野球殿堂入りを果たしたのは、当然と言えましょう。
新聞等で野球の試合結果やボックススコアを見る時は、是非彼の名を思い出してください。
亡くなる前日まで試合結果を気にしていたという、筋金入りの野球ファンのご冥福をお祈り致します。