東海道線と並び、神奈川県と東京都心を結ぶ通勤・通学路線として混雑することで有名な
横須賀線
一般的には東京駅と久里浜駅を結ぶ路線の総称として使われていますが、厳密には大船駅-久里浜駅間23.9kmの路線のこと。
この横須賀線が大船駅-横須賀駅間で開業したのが、今からちょうど130年前の今日・1889(明治22)年6月16日のことでした。
同線は、もともと海軍の軍港都市・横須賀への輸送路線として開業されたため、円覚寺の境内を横切るなどかなり強引な用地買収を経て敷かれたとか。
そして1925年には全線が電化され、その5年後には東京駅-横須賀駅間でも電車運転を開始。
戦前の二等車には海軍高官の他、逗子・鎌倉などの比較的裕福な家庭の子女が東京への通学に利用し、女中などの付添人と共に乗車。
しかも着席位置が指定席の如く決められていて、乗降口からの位置関係による序列も存在したといいますから、驚き。
そして大東亜戦争が始まると、国内の鉄道路線が軒並み不要不急として休・廃線となり金属供出に協力させられる中、逆に横須賀線は1944(昭和19)年に久里浜まで延伸。
軍事上の重要路線として特別扱いされました。
そして戦後は軍事目的での利用はなくなりましたが、高度成長期に入ると通勤路線として東海道線と共に通勤路線の大動脈に。
15両編成の車輛は通勤時パンパンとなり、1980年には東海道貨物線を利用して旅客船を複々線化。
更には総武線快速の直通運転や成田エクスプレスの乗り入れ、また湘南新宿ラインとして山手線の渋谷・新宿・池袋駅を通って東北本線への直通運転を行うなど、年々路線は拡充しています。
もっとも、そのおかげで他路線の電車が止まると巻き添えを食うケースも増えましたが・・・。
さて横須賀線というと、私(のような昭和世代)が思い浮かべるのが、クリーム色とブルーのツートンカラー…通称〝スカ色〟車両。
これは国鉄が発足した1950年に、東海道線にグリーンとオレンジのツートンカラーに塗った80系電車が登場したのを受けて、海沿いを走る横須賀線に白砂と青松をイメージしたブルーとクリームに塗った70系電車が採用されたから。
最近はジュラルミンの近代的というか無機質的な車両に代替わりしているので、昭和世代としては寂しい限りですが・・・。
個人的には横浜まで行った時などに何度か利用した横須賀線ですが、そこから先は乗ったことがありません。
いつか終点の久里浜まで行ってみたいものです。
もちろん、ラッシュアワーは外して・・・。
【余 談】
今から51年前の同じ日・1968(昭和43)年6月16日に、この横須賀線上り列車が大船駅手前に差し掛かったところで、車内の網棚に置いてあった荷物が爆発し、死者1名・負傷者14名を出す爆破事件が起きました。
犯人は当時25歳だった男性で、犯行動機は交際していた女性にふられた腹いせに、彼女が通勤に利用していた横須賀線内に爆弾を仕掛けて電車を止め、彼女が新しい恋人と会えないようにしたかった・・・という、実に身勝手なもの。
犯人には死刑判決が出され、事件から7年半後に執行されました。
横須賀線・・・いや電車をご利用になる方は、網棚の不審物にご注意を!