全学連 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

学生運動・・・今年還暦を迎える私より年上の方にとっては懐かしかったり、あるいは忌まわしい記憶として残っているかもしれません。

日本においては、大正デモクラシー時代に始まり、戦後GHQや政府による弾圧により一時沈滞化しましたが、1947年に入って進んだインフレによる授業料の高騰や物価上昇に対する反対運動として徐々に復活し、全国の大学に授業料不払い運動が広がりました。

その活動の中心的役割を果たすこととなる


 全日本学生自治会総連合

略して〝全学連〟が、全国の大学・高専145校・代議員250人が集結して結成されたのが、今からちょうど70年前の今日・1948(昭和23)年9月18日のことでした。
(※結成大会はその後3日間にわたって東京第二師範・早大・東京商大に場所を移動しながら行われました。)

この時選出された初代中央執行委員長は、東大の武井昭夫氏。
副委員長は早大の学生で、書記長は東大の学生が選出され、以後東大・早大は全学連の拠点となりました。

この時の大会スローガンは


 ◆教育のファッショ的植民地再編反対

 ◆学問の自由と学生生活の擁護

 ◆学生アルバイトの低賃金とスキャップ反対

 ◆ファシズム反対、民主主義を守れ

 ◆青年戦線の即時統一

 ◆エログロ文化排撃、民族・文化を守れ

 ◆学生の政治活動の完全な自由

 

と、てんこ盛り。

 

学生が授業料の値下げを訴えるのは分かりますが、このスローガンは明らかに政治活動・反政府活動を目指すもの。

それも道理で、当時の全学連には共産党が深く関わっていたから。

1948年末時点で全学連の
加盟校は266、構成員は22万人超を数えました。

 

1955年以降は共産党批判派(新左翼)が主流となった全学連は、1960年代には激しい安保闘争を繰り広げ国会前などでデモを敢行。

    

学生運動として最も激しかったのが、1969年1月に全共闘(全学共闘会議)と新左翼の学生が起こした『東大安田講堂事件』でした。

※同事件に関する過去記事は、こちら。(↓)

 

 

この事件前から全学連はその活動過程で組織が分裂しており、また1970年代に入って全共闘や赤軍派など過激派による暴力・殺人事件により、学生運動は衰退することに。

2012年には、東京大学教養学部学生自治会が所属する全学連から脱退しています。

しかし現在においても、全学連は革マル派系・日本共産党(民青)系・中核派系・革労協(現代社派)系・革労協(赤砦派)系と5分派に分かれているものの、組織としては残っています。

今年4月に国会前で反安倍政権抗議集会があった際は、こんな旗が登場しましたし。

       

ただ、この旗を持っていたのは学生ではなく、高齢者のOBだったという話もありますが・・・。

最近の若者はスマホ等でネットから様々な情報を取得していますから、昭和時代の学生のように新聞やテレビの捏造・偏向報道に惑わされることは殆どないとは思います。

が、大学生のお子さんやお孫さんを持つ方は、こんな時代遅れの組織に関わっていないかどうか、念のため確認した方がよろしいかと。

 

 

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