〝臓器移植〟は、今や一般的に認知されている医療技術。
我が国における心臓移植は、1968年に札幌医科大学の和田寿郎教授によって行われたことは、以前拙ブログにて記事にしました。(↓)
同記事に書いた通り、この移植手術に関しては後日様々な疑惑が噴出し告発に至ったこともあり、日本国内では脳死判定基準が問題になりました。
また1984年には筑波大学の深尾立教授が脳死判定による膵臓・腎臓の同時移植を行いましたが、患者が死亡したことで執刀医らが殺人罪で告発されたことが・・・。
この脳死判定について明確な基準を示した 『脳死臓器移植法』 が施行されたのは1997年になってからであり、それまで日本の臓器移植技術は大きく世界に後れをとったといわれています。
しかし、この脳死判定とは関係なく行える臓器移植があります。
その健常人の部分肝臓を用いる
生体肝移植
が日本で初めて(世界で4例目)行われたのが、今からちょうど30年前の今日・1989(平成元)年のことでした。
執刀したのは、島根医科大学(現・島根大学医学部)の永末直文助教授。(1942-)
死体からの肝移植が世界で初めてアメリカで行われたのは、1963年。 (日本で初めて行われたのは、翌1964年。)
そして生体肝移植が初めてブラジルで行われたのは、それから25年後の1988年でした。
つまり日本では、その翌年に行われたことになります。
この時は肝移植を学ぶためスウェーデンに両額経験がある永末助教授が、先天性の胆道閉鎖症に苦しむ1歳の杉本裕弥ちゃんに、父親の肝臓1/5を切除し移植したものでした。
永末助教授と裕弥ちゃん
この日、まだ手術中の段階でNHKが日本初の生体肝移植手術が行われていることを報じ、以後メディアの報道は過熱。
無事手術は成功しましたが、その後島根医大や永末教授は連日記者会見を開き、裕弥ちゃんの病状と父親の回復状況などを公表する羽目に。
しかしこれがそれまで閉鎖的だった医学界の現状打破のキッカケになったともいえます。
残念ながら裕弥ちゃんは元々病状が重かったこともあり、術後285日後の翌年11月3日に息を引き取りました。
しかし彼の存命中だった1990年8月に京都大学で2例目の生体肝移植が行われ、以降全国に術例は広まり、現在では移植患者の1年以上生存率は80%を超えているとか。
日本の肝移植は現在のところ、生体肝移植が中心で行われています。(↓)
グラフの通り、2015年の生体肝移植は年間400例前後行われているのに対し、脳死肝移植は(増加傾向にあるとはいえ)その約15%程度の60例弱。
その理由は、やはり臓器移植を届け出るドナーの数が少ないこと。
2015年、日本の提供数315件に対し、アメリカはその80倍近い24,980件だったそうですから、その差は歴然。
「でも生体肝移植できれば、それでいいじゃない。」
と仰る方もいるでしょうが、身体にメスを入れるドナーにも、負担がかかるデメリットはあります。
日本人には欧米人と違う死生観・倫理観がありますのでそう簡単にはいかないでしょうが、肝臓だけでなく心臓や他の臓器、角膜など、それを必要としている患者さんの数が圧倒的にドナー登録者数を上回っている現状も認知していただきたく・・・。
もっとも、息子・太郎氏から生体肝移植を受けて生き長らえながら、反日発言を繰り返す河野洋平の醜態を見ると、私は腹立たしくて仕方ないですが。