訓 戒 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

皆さんにも、学校で聖徳太子の偉業のひとつとして

 十七条憲法

 

があったことを習った記憶がおありになると思います。

 

これが制定されたのが、今から1,400年余り前の今日・604(推古天皇12)年4月3日といわれています。

その根拠は、『日本書紀』・『先代旧事本紀』の推古天皇十二年四月三日の条に

〝夏四月丙寅朔 戊辰 皇太子親肇作憲法十七條〟

と記されているから。
(皇太子が
厩豐聰爾皇子すなわち聖徳太子のこと。)

 

         

 

しかし十七条憲法という固有名詞は憶えていても、その中身についてご存知の方は少ないはず。

そもそも学校で習った方が殆どいないでしょうし・・・。

そこで今日は、その中身についてご紹介したいと思います。

原文と現代語訳を以下に併記しますので、ちょっと長いですが是非ご一読をお願いします。

        ◆     ◆     ◆     ◆

 

一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。

第一条 〝和〟を最も大切なものとし、争わないようにしなさい。
人は仲間を集め群れを作りたがり、人格者は少ない。
だから君主や父親に従わなかったり、近隣の人ともうまくいかない。

しかし上の者が和やかで下の者も素直ならば、議論で対立しても自ずから調和する。そうなれば何事も成就するものだ。

 

二曰、篤敬三寶。々々者佛法僧也。則四生之終歸、萬國之禁宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤惡。能敎従之。其不歸三寶、何以直枉。

 

第二条 心から三宝を敬いなさい。三宝とは仏・法理・僧侶である。
生きとし生けるもの最後に行き着くところは、どこの国でも究極の宗教です。どの時代でも、どんな人でも仏教を尊ばないものは無い。
人間に悪い者は少ない。良く教えれば正道に従う。
仏教に帰依しないで、曲がった心を正すことはできない。

 

三曰、承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆臣載。四時順行、萬気得通。地欲天覆、則至懐耳。是以、君言臣承。上行下靡。故承詔必愼。不謹自敗。

 

第三条 天子の命令を受けたら必ず恭しくしなさい。
天子は天なり。 臣下は地なり。
天は地を覆って、四季が順調に経過し、万物の霊気が行き渡る。
地が天を覆うことを望めば、道理が崩れる。
それで天子の言葉に臣下は従う。 天子が道理を行えば臣下はなびく。 ゆえに天子の命令を受けたならば、必ずそれに従いなさい。
そうしなければ、やがて国家社会の和は滅亡する。

 

四曰、群卿百寮、以禮爲本。其治民之本、要在禮乎、上不禮、而下非齊。下無禮、以必有罪。是以、群臣禮有、位次不亂。百姓有禮、國家自治。

 

第四条 政府高官や一般官吏たちは、常に礼を基本としなければならない。 人民を治める根本は、礼にある。
上に立っている者が礼法を守らぬと下の者の秩序は乱れ、下の者が礼法を守らねば必ず罪を犯す者が出てくる。
群臣たちが礼法を守れば社会の秩序も乱れず、庶民たちに礼があれば国全体が自然に治まるものだ。

 

五曰、絶饗棄欲、明辨訴訟。其百姓之訟、一百千事。一日尚爾、況乎累歳。頃治訟者、得利爲常、見賄廳讞。便有財之訟、如右投水。乏者之訴、似水投石。是以貧民、則不知所由。臣道亦於焉闕。

 

第五条 役人は饗応や財物への欲を捨て、訴訟を厳正に審査しなさい。
庶民の訴えは1日に千件もある。 1日でもそうなら、年月を重ねたらどうなるか。
だが現状は訴訟に携わる者は、賄賂が当たり前となり、賄賂を受けてから申し立てを聴くありさまだ。
財力ある者の訴えは石を水中に投げ入れる如く簡単に受け入れられるが、貧しい者の訴えは水を石にかけるようなもので聞きいれてもらえない。 このため貧しい者たちはどうしていいか分からない。
このようなことは役人の道に背くことだ。

 

六曰、懲惡勸善、古之良典。是以无匿人善、見-悪必匡。其諂詐者、則爲覆二國家之利器、爲絶人民之鋒劔。亦佞媚者、對上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆无忠於君、无仁於民。是大亂之本也。

 

第六条 悪を懲らしめ善を勧めるのは、古き良き教えである。
そのために人の善行は隠すことなく公にし、悪事は必ず正さなければならない。

こびへつらい欺く者は国家を覆す恐ろしい武器となり、人民を滅ぼす鋭い剣である。
またこびへつらう者は上には好んで下の者の過失を言いつけ、下に向かうと上の者の過失を誹謗する者である。

彼等は天皇に忠義心がなく、人民に対する仁徳も持っていない。

これは国家の大きな乱れの元となる。

 

七曰、人各有任。掌宜-不濫。其賢哲任官、頌音則起。姧者有官、禍亂則繁。世少生知。剋念作聖。事無大少、得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此國家永久、社禝勿危。故古聖王、爲官以求人、爲人不求官。

 

第七条 人にはそれぞれの任務があり、任務をまじめに実行し、その権限を乱用してはならない。

賢い者が任にある時は称える声が起こる。 
だが、悪賢い者がその任につけば、災いや戦乱が起こるものだ。
世の中には、生まれながら何でも知っている者は少なく、聖人も心がけて努力し初めて聖人となる。
事の大小にかかわらず、適任の人を得られれば必ずよく治まる。
時代の動きに関係なく、賢人が出て治めれば、豊かでのびやかな世の中になる。
聖人や賢人により国が治められる時、国家は安泰に栄える。
そのため昔の聖王は官職に適した人を求めるが、人のために新しい官職を設けたりはしなかった。

 

八曰、群卿百寮、早朝晏退。公事靡盬。終日難盡。是以、遲朝不逮于急。早退必事不盡。

 

第八条 全ての官吏たちは、朝早くから出仕し遅くに退出しなさい。
国家を運営する公務はいとまがないものだ。

一日中務めても、全部を終えてしまうことは難しい。

このため朝遅くに出勤したのでは緊急の用に間に合わないし、早く退出すれば必ず仕事を残してしまう。

 

九曰、信是義本。毎事有信。其善悪成敗、要在于信。群臣共信、何事不成。群臣无信、萬事悉敗。

 

第九条 信(真心・誠実)は人の道の根本である。
何事にも信がなければいけない。
善とか悪とか、成功とか失敗とかの成否は、すべて信の有無にかかっている。
群臣共に信あらば、どんな事も達成できるだろう。
群臣共に信がなければ、どんな事も悉く失敗するだろう。

 

   

                 国立国会図書館・蔵

 

十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、詎能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。、我獨雖得、從衆同擧。

 

第十条 心の怒りをなくし、憤りの表情を棄て、他の人が自分と違っても怒ってはならない。

人それぞれに心があり、それぞれに思いや願いがある。

相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。

自分は必ず聖人で、相手が必ず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。

これが良いとか良くないとか、誰が定め得るのだろう。
互いに賢くもあり愚かでもあり、それは耳輪には端がないようなものだ。
相手が憤っていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかと恐れなさい。
自分はこれだと思っても、人々の意見を聞き、一緒に行動しなければならない。

 

十一曰、明察功過、賞罰必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿、宜明賞罰。

 

第十一条 官吏たちの功績や過失を判断し、賞罰を必ず行わなければならない。
近頃、褒賞は必ずしも功績によらず、懲罰は罪によらない。政務にあたっている官吏たちは、賞罰を適正・明確に行うべきである。

 

十二曰、國司國造、勿収斂百姓。國非二君。民無兩主。率土兆民、以王爲主。所任官司、皆是王臣。何敢與公、賦斂百姓。

 

第十二条 天皇の代わりに諸国で政治を行う官吏の国司や国造は勝手に人々から税を取ってはならない。

国に2人の君主はなく、人々にとって2人の主人などいない。

国内全ての人民にとって、天皇だけが主人である。

天皇から任命され、政務にあたっている官吏はみな天皇の臣下である。

どうして臣下の者が正規の徴税と一緒に、人々から私的に徴税することが許されるものだろうか。


十三曰、諸任官者、同知職掌。或病或使、有闕於事。然得知之日、和如曾識。其以非與聞。勿防公務。

 

第十三条 いろいろな国家の官職に任命された者たちは、自分の職務内容をしっかりと理解しなければならない。

突然の病気や出張などで自分の仕事ができない者もいるだろう。

その者がいない時は急遽その職務を代わりにしなければならないこともある。

また、その者が職場に戻ってきた際、すぐに仕事の引き継ぎをできるよう常に意思の疎通が大切だ。

担当者不在のため知らない、などと公務を停滞させてはならない。

 

十四曰、群臣百寮、無有嫉妬。我既嫉人、々亦嫉我。嫉妬之患、不知其極。所以、智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以、五百之乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治國。

 

第十四条 官吏たちは、嫉妬の気持ちを持ってはならない。

自分が人に嫉妬すれば、人もまた自分に嫉妬するものだ。

嫉妬の憂いは限りがない。
そのため、自分より優れている人がいると喜ばず、才能が勝っていると思えば嫉妬する。
それでは500年経っても賢者に会うことはできず、1千年の間に1人の聖人が出ることを期待することすら困難である。
聖人賢者と言われる優秀な人材がいなければ、国を治めることはできない。

 

十五曰、背私向公、是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同、非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云、上下和諧、其亦是情歟。

 

第十五条 私心を捨て公務に専念することは臣(役人)たるものの道である。
およそ人に私心がある時、他の人に恨みの心が起きる。
恨みがあれば、必ず不和が生じる。
不和になれば私心で公務をとることとなり、結果として国家全体の利益を損なうことになる。
恨みの心が起きれば、制度や法律を破る者も出てくる。
だからこそ第1条で「お互いのことを思いやり、調和するように」と定めたのである。

 

十六曰、使民以時、古之良典。故冬月有間、以可使民。從春至秋、農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。


第十六条 徴用のために民を使役するには時期をよく考えてする、このことは昔の人のよい教えである。
冬の月は農夫や蚕婦(さんぷ)が仕事なく、この暇がある時に民を動員すればよい。
春から秋までは、農作や養蚕などで忙しい時期であるので、民を使役してはならない。
農夫が農耕をしなければ、何を食べればいいのか。
蚕婦が養蚕をしなければ、何を着ればいいのか。

 

十七曰、夫事不可獨斷。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事、若疑有失。故與衆相辮、辭則得理。


第十七条 物事は一人で判断してはならない。
必ず皆で論議して判断すべきである。
だが些細なことは必ずしもみんなで論議しなくてもよい。
ただ国家の重大事の場合、独断では判断を誤ることもあるかもしれない。
だから皆で論議すれば、道理に適う結論が得られるだろう。

 

        ◆     ◆     ◆     ◆

 

お疲れ様でした。 如何でしたでしょうか?

中身は憲法というよりも官僚や貴族つまり為政者に対する道徳的な規範・・・そして現代には一部馴染まないとはいえ、私たち日本人が心がけるべき訓戒であることが分かります。

この十七条憲法については、古来から作者が聖徳太子ではないとする説が存在しますが、私はこの際作者が誰かということよりも、その内容を重視すべきだと思います。

拙ブログでも以前ご紹介した 『教育勅語』 同様、この先人の遺した名文を現代に即した形に改めて道徳教育に取り入れるべき・・・だと私は考えますが、如何でしょうか?

※詳しい解説等は、こちらをご一読ください。

       
           瀧藤尊教 他・訳 中央公論新社・刊


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