今日は4月1日。
新社会人として初出社や入社式に臨む方も多いことでしょう。
そんな次世代を担う若者に門出のお祝いとして、我が愛読誌・月刊『致知』4月号に掲載された、15歳で入門し講談師として初めて人間国宝に認定された
一龍斎 貞水 さん (80歳)
の『20代をどう生きるか』というテーマに沿ったインタビュー記事から、その一部を抜粋・編集にてお贈りしたいと思います。
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よく若い人で、「稽古をしてくれない」 と言う人がいます。
だけど、教えてくれなきゃできないって言ってる人を教えたってしょうがありませんよ。
稽古をしてもらうにはそれだけの準備をしてからでなきゃ、何も身につきません。
「芸というものは教えるものでなくて伝えるもの。」
これはうちの師匠・一龍斎貞丈の言葉です。
師匠はあらゆる場を通して弟子に技を伝えようとしているけれど、最終的には教わる人間の受け止め方次第。
教える人間と教わる人間、その間に真剣勝負がなければダメですね。
一昔前までは内弟子といって師匠の家に住み込み、掃除お洗濯など身の回りの世話をやる風習がありました。
しかし、うちの師匠は忙しくて家にいない人だったので、専ら通って台所や庭の掃除をしたり、家の手伝いなんかをしていましたね。
それから楽屋が私にとっては学校のようなもんで、先輩たちから礼儀作法や口の利き方など様々なことを教わりました。
例えばお茶ひとつ入れるにしても、濃さの好みがあるだろうし、時と場合によって出すべきお茶を変えなければなりません。
暑い日に楽屋に到着したばかりの師匠に、熱いお茶を出したんじゃ失格。
二日酔いの先輩には気を利かせて薄めのお茶を出せるくらいにならなきゃ、修行の甲斐がない。
要は、気配りができるようになれということですが、楽屋でそれができれば、高座に上がった時にお客さんへの何気ない気配り目配りが出来るようになってくるんです。
今の若い人が人間的にできてないと言われるのは、そういう人間修業をしていないからですよ。
ただ小手先のスキルやノウハウの話ばかりしている。
講談ってのは人間性が表れるものだから、まずは話をする人間を育てない限り、いい芸ってもんはできませんよ。
よく話し方についてのマニュアル本で、「ここで大きな声を出す」 「何秒おいて」 「初めの1分でお客さんを笑わせろ」 なんてノウハウが書かれているでしょう。
ああいうマスメディア的な考え方には心がないよね。
高座に上がっても、心ない人が語ったところでお客さんは感動しません。
話す人の人間性が乏しければ、人物像が浮かび上がってこないんです。
師匠から芸について、ああしろこうしろと事細かに教えられた記憶はありません。
ただ、「人間を磨きなさい」 と常にそれだけを言われ続けました。
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事細かに教えられなかったという貞水さんですが、言葉遣いに関しては師匠から厳しく指導されたそうな。
おそらく人間を磨くための第一歩・最低要件だったからなのでしょうネ。
この貞水さんの話は閉鎖的な講談界に限ったことではなく、私たち一般社会にも十分通用すると思います。
師匠を親、弟子を子、内弟子制度を家庭生活に置き換えれば・・・。
2002年・62歳で人間国宝に認定された貞水さんは、最後にこう語っておられます。
私は認定されてからエライものをもらってしまったことに気付きました。
このレベルで人間国宝か・・・なんて思われては困るから、まだまだ日々修業ですよ。
「あいつは偉大な未完成で終わった」、そう言われるのが本望です。