71年録音、マーラーの交響曲第1番、ジュリーニ指揮のシカゴ交響楽団による演奏です。69年にショルティが同楽団の首席指揮者に就任。当初、ショルティは楽団の能力向上のため、自身にはない資質のジュリーニに共同の音楽監督を提案しました。多忙を嫌い、ジュリーニは首席の客演指揮者という形に収まり、常任という地位に着かないコンサート指揮者として歩んでいくことになります。ライナー辞任後の低迷にあったシカゴ交響楽団。ショルティの改革とは楽員の地位向上という経営面での安定と、音楽面での技術の向上にありました。マーラーの音楽はショルティとも重なるところで、管弦楽の機能性の生かし方の違いが如実にあらわれるところであります。そもそもアメリカのオーケストラがヨーロッパのオーケストラに対抗する手段として、選曲を大規模であったり、近現代の作品など演奏が困難なものを取り上げていた経緯があります。ハンガリー系の指揮者のダイナミクスの生かし方、録音の優れた技術、これらが合わさって巨大な音響を収めるようになっていったのです。マーラーの第1交響曲でいえば第4楽章のような音楽に典型的なものとしてあらわされていきます。アメリカにはマーラー使途であったワルター晩年の61年のコロンビア響の演奏や、そのワルターの演奏に接し、歌うことの重要さを認識していたバーンスタイン。同じレーベルから同時期に録音が出ることを回避し、ワルター盤が先行された話は有名ですが、ショルティの場合は60年代にロンドン交響楽団。シカゴ交響楽団との録音は80年代に入ってから行われました。即物的で直截、楽音を音化するショルティに対し、ジュリーニは歌劇場でのキャリアを含め歌で紡がれる横の流れと、ヨーロッパ的なものから第4楽章であっても迫力だけで圧倒するものにはなっていません。

 

ジュリーニはその進み方からマーラーに専心することはありませんでしたが、第9交響曲の演奏などと並び、独自の響きを提供する演奏は高く評価されています。典型的なマーラー指揮者たちの演奏と比しても個性的なのに、マーラーの音楽として成り立つのは、マーラーの指揮そのものが、先鋭的なものであったこと。ユダヤ出自の作曲家はウィーンの宮廷歌劇場の音楽監督にまでのぼることになりました。その手腕は確かで新しい才能を見抜き、登用することで演奏能力の向上を図っていきますが、同時に敵をもつくることになります。マーラーの改革こそ渡米した指揮者たちがシカゴ響をはじめ施した演奏の精度向上の遠い先例です。ヴィオラ奏者として出立したジュリーニは、フルトヴェングラーやワルター、E.クライバーなど当時中欧にあった指揮者のもとに演奏し、戦後になって指揮者として活躍した世代。イタリアの血は初期の歌劇録音にあらわれ、客演指揮者として方々をめぐる際も、自身の選んだ曲目を取り上げていきました。ヨーロッパに育まれ、品位やある種の貴族的なものは晩年にいたっては遅いテンポで紡がれるようになりました。遅くてももっさりしたものにならず響きは透明で、やはり旋律や各声部の扱いが際立ちます。

 

 


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