バッハの「音楽の捧げもの」。58年のミュンヒンガー、シュトゥットガルト室内管弦楽団の録音です。BWV1072~1080は演奏形態に特定のない作品が含まれています。代表的なものが「音楽の捧げもの」、「フーガの技法の2作品」。晩年の作品にあたり、一つの主題を多様に展開させるもの。それは素材にあたる主題が、萌芽の段階ですでに多くの可能性を秘めていなければなりません。「音楽の捧げもの」の作曲の契機となったのが1747年、フリードリヒ大王の宮廷を訪れた際に、王より与えられた主題です。3声に基づくフーガが即興で演奏され、同時に求められた6声には対応できなかったため後日、6声のフーガをも含む作品としてまとめあげられたものが、この作品です。主題が、よくできているために、他の作品を参照した、あるいはバッハ自身の示唆をも疑われています。主題の性格、一つの主題の展開を追求するという性格から、「フーガの技法」の主題との類似性も指摘されているのです。全曲の中心となるのがリチェルカーレと題されたフーガの2作に、トリオ・ソナタ。トリオ・ソナタには楽器の指定があり、ほかは断片や、奏者に委ねられた解決を求められるものがあり、配列さえも確定していない。本来なら、演奏するには至難な作品です。建築には、設計図書上の建築があり、実現の不可能なものさえも含むものがあります。「音楽の捧げもの」は楽譜上の完結、崇高から音化をこばむような面もありますが、実際には名作と認められた上で演奏上の謎をも補った上で、音化されてきました。理論だけではなく、視聴に耐えうる音楽として提示される意義は大きく、演奏上の困難があっても作品の神秘は損なわれることはありません。

古楽の興隆で、トリオ・ソナタを中心にチェンバロを多用して全体を構成するきっかけとなったものが古くリヒターの演奏の登場からのものでした。当盤のミュンヒンガーほかシュエルヘン、アールグリムといった先達は、独自の編成、楽器の指定のないことを利点に補われた独自のものを採用しています。そもそも、指揮者を置くことに意味はあるのか否かは別として、演奏は個性的なもの。単なる交通整理以上のものが求められますが、一聴、ドイツ的なもの。そのアクセント、力感は旧時代のものですが、時に無味乾燥で響きの差異が感じられないものも耳にする中、峻厳だけではない人間的な響き。アナログならではのものとなっています。理論ではなく、音化することの意味。それは改めて制作される盤に問われる問題です。


 


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