木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

飛脚の話①~飛脚の日数と代金

2020年04月17日 | 江戸の交通
江戸時代の飛脚制度はなかなか複雑なのだが、その中で町人も武士も利用できるものとそうでないものとあった。
それはさておき、通常の飛脚便には、①並便②早便③仕立早便の三つがあった。
それぞれの便について見てみたい。

①並便
 江戸~京は、15日が目途とされたが、規定日数は定められていない。
 遅いと三十日も掛かる場合もあった。
 遅延の主な理由としては、荷物が込み合ったときに起こる問屋場での馬の不足(馬支)、増水等による川留め(川支)などがある。
 また、馬を継ぎ立てて行く(通常5~6頭)ため、その継立がうまくいかないのも遅延の原因となった。
 飛脚便の料金は、現代と同様、内容物の重さや酒類で大きく異なる。また、距離によっても違った。
 手紙一通を江戸から京や大坂へ送る場合を見ると、銭三十文とある。かけそばが十六文とすると、そば二杯分の値段である。
 現代より高いが、決して庶民が手が出ないほど高いわけではない。

②早便
 花形ともいうべき急送サービスである。
 早飛脚、早送り、早序、早などとも呼ばれた。
 六日限、七日限、八日限、十日限などと日限を決めた便である。
 早便は馬を継ぎたてず、一頭の馬で行った。
 それでも、遅延がちであり、天保年間には「正六日限」というサービスまで現れた。これは文字通り、遅延なく期限の六日で届けるというものである。
 納期遅延を防ぐためには、遅延が見込まれた場合、「小継之者」(走り飛脚)に急ぎの荷物を委託して走らせるという方法がとられた。
 馬を利用して荷物を運ぶというと、いかにも速いようなイメージがあるが、実際は馬子が手綱を引いてゆっくり歩いているに過ぎなかった。
 だから、人間が走るほうがよほど速かったのである。
 早便の料金であるが、江戸~京・大坂間において、六日限が二百文、七日限が百五十文、八日限が百文、十日限が六十文である。

③仕立飛脚
 現代でいうと、チャーター便のような感じである。
 しかし、トラックならぬ馬を使わず、全区間、人間が走り抜ける。
 もっとも速い便では、江戸~京が四日(九十六時間)であった。
 代金はぐっと跳ね上がり、四日限で四両二分、五日限で三両であった。
 
あまり参考にはならないが、ナビタイムで調べてみると、日本橋~京都間は464km。所要時間は高速利用で5.34時間、一般道利用で12.32時間。平均速度にすると、それぞれ80km、40kmとなる。
いっぽう、江戸時代の日本橋~京は509km。九十六時間で割ると、5.3kmとなってしまう。飛脚を引き継いでも、夜間は移動できなかったためである。

現代では郵便や宅急便に頼らずとも、情報伝達の手段であれば、メールやインターネットがあるのだから、隔世の感がある。
しかし、それで本当に暮らしが豊かになったかというのは、別問題である。
 
 
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