気がついたらセミが鳴いているね。
夏がきたんだなーと実感している乙女、桜子でございます。
セミってさ、1週間の命とか言ってたけど、実際は違うんだよねー
高校生の子がそれを調べてニュースになってたんだけど、面白いよね。
正直、セミにあまり興味がないけど、セミが1週間の寿命ならば、なぜ真夏にはセミの死骸をあまり見ないのか…と言われたら、確かにな、と思うわ。
真夏のセミは鳥など天敵に食べられるとはいえ、夏の終わり、秋口のセミの死骸の多さを考えると、寿命が1週間という定説には無理はあるよね。
だからたぶん1週間というのは、鶴は千年、亀は万年とか、何か昔からの謂れがあって例え話のようなものだろうと思ってはいたけど、実際はたくさんのセミを1匹ずつ捕まえて死ぬまで観察しなきゃどれだけの期間生きるものかなんて分からないしね。
そういうことに疑問を感じ、調べてみようとする行動が面白いと思ったわ。
とはいえ、セミに関しては関心は持てないけどね。
最近、難しいなーと思った話なんだけど、「自己肯定感」というワード。
私の年代は子育て真っ盛りの人が多いんだけど、子供の悩みって大きいと思うのね。
自己肯定感が大切というから、いっぱい子供をほめてあげようとか良く聞く。
確かに子供に対して怒ってばかりや人格否定してメンタル傷つけるよりも、褒めていく方が絶対に子供にとっていいと思う。
ただ褒めてばかりだと、子供は褒めてもらうことが目標になり、優越感や承認欲求が高くなりすぎて、例えば優越感の場合、他者との比較が前提だから、比較対象がいなくなったり、レベルが高い所に移ったりすると、すぐに不安定になるし、承認欲求も認めてもらえないとダメになるよね、という話。
あ、こういう書き方をすると優越感や承認欲求がダメって聞こえるけど、そうじゃないからね。
高すぎるとよくないという話、なんでもバランスが大事なんよ。
だからね、友達の一人のママが褒めて育ててきたけど方針をかけようかな?とか言ってたのよね。
どういう方針にするのかは聞いてないけど、難しいことだよな。
それで思い出したのは昔、私が中学生の頃のクラスメートで、すごく勉強ができた子がいて、ある日「その教科は私が一番苦手な教科なのよね」と話しかけてきたことがあったの。
テストでいい点数を取らないと母親に怒られるとか、親戚がみんな頭がいい大学に入ってるだとか言われて、「へえ、そうなんだ」としか思わなかったわけよ。
そして高校卒業して就職する子、進学する子と分かれるから、最後にみんなで遊んで帰りの駅でね、そのすごく勉強ができる子にたまたま出会ったの。
「私は(有名)大学に受かったけど興味のない学科だから
興味がある(ちょっと有名)大学の理系に進むことにしたの」
といわれて、「へえ、そうなんだ」としか思わなくて、
「興味があるところに進めてよかったね、おめでとう」
と返したら、なんかすごく雰囲気悪くなってさ。
その場にいた友達の話によると、私に一教科だけ(ほかの教科は勝ってるのに)負けたことが悔しかったらしく、何度も突っかかっていたらしいわ。
ただ私は良し悪し彼女に興味を一切持つことができなくて、何とも思わなかったのよね。
あ、誤解しないでほしいんだけど、私は頭がいい方じゃないよ?
自分が興味を持てるものに関しては覚えるけど、そうじゃない対象は一切記憶できない。
例えば近所の人の顔とか、よく良く行く店の店員さんの顔とか。
ほかの所で挨拶されると「誰だろう?」と認識できないし、破壊的音痴だし。
マジで何らかの障害なんじゃないだろうかというレベル。
たぶん彼女は親に褒められたくて勉強をしていたから、優越感や承認欲求が強くなったタイプなんだろうね。
逆に言えば彼女の場合親が彼女に興味があり教育熱心ってことで、私の場合は正反対。
だから自分の中で基準というか、ほぼ自己満足の世界だから、ある程度すると満足して飽きてしまう。
競争するのが苦手というと平和主義のように聞こえていいけど、ようするに頑張れない人なんだよね。
結局、何も身についてないんじゃないかな。
ほら、何かをやりきるとか完全燃焼とか言うことがなくて、今になって最後までやりきる、結果を出すってことをしたいなと思うわ。
もし彼女のように優越感や承認欲求が強ければ…何か変わっていたかもなんてね。
でも彼女にまた出会って、
「私はいい会社に就職してエリートと結婚し、金持ちタウンに住んでるのよ」
と言われても、多分、こうと答えるだろうな。
「それは良かったね」
と。
だって幸せとかは、ほかと比べるもんじゃないと思っているからね。
自分がどう感じるかじゃない?
ただ何かやり遂げることができれば、また違う景色が見られるんだろうね。
どんな景色かは知らないけど、一度は見てみたいとは思う。