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昨日は予定通り腹筋やレッグプレスで足の筋肉など軽いトレーニングをして、今日は午前中の修行の後は、午後に少し仕事をしたくらいて身体を休ませました。金曜日の肩のトレーニングが結構ハードなのか、その後は体がきついのでハードなトレーニングを避けるようにしています。今日も私にとってはゆっくりとした良い日曜日になったと思います。また明日から胸筋や背筋、腕の筋肉のトレーニングをしっかりやります。

 

昨夜の瞑想教室で、私たちは何のために生きているのだろうという話になりました。アインシュタイン博士は「人を幸せにするためです。そんな事が分からないのですか?」とこの質問に対して答えています。私も答えとしてはそれで良いと思いますが、最近私が感じるのは人生というのは長いようで短いということです。今から思うと私の人生などあっという間に過ぎて行ったような気がします。その中で様々な事が起こり、喜んだり、悲しんだり、落ち込んだり、怒ったりしてきましたが、私の人生など本当に川面に浮かぶ泡のようなもので、人生という川面に浮いているけれどもすぐに消えてしまうものでもあると感じます。

 

「何のために生きているのか?」などと考えている間に人生などあっという間に終わってしまいます。だから私は最近になってそういうことを考えなくなりました。考えている事はただ一つで、今日一日、今の自分ができる事を一生懸命するだけです。以前私のところに修行に来ている小学3年生の男の子に「○○君は何のために生きていると思う?」と聞いたら、すかさず「生きるため」と答えました。私はその時「この子は凄いな」と思いました。子供はまだ心が曇っていないので、すぐに答えられるのですね。そしてその答えに何の疑問も持っていません。私はこの答えは正しいと思います。

 

大人は人生で色々な目に遭って喜んだり、悲しんだりしながらいつか自分を守ろうとするようになり、段々心が曇っていきます。そしてその内に「一体何のために自分は生きているのか?」と結構難しい問題を自問自答するようになるのですね。幸運にも大きな会社の役員や社長になっても、そして退職してただの人となって余生を暮らしている内に自分の死期を迎えて、「俺は社長になったのだぞ。こんな事もできたぞ、あんな事もできたぞ。」といくら振り返っても、死ぬ事はやっぱり怖いし、そしていくら思い出しても全て過去のことでもう過ぎ去っているのです。

 

思い出に浸っていても、死期を迎えている今の自分の現状は何も変りません。いくら社会的地位や財産があっても、たぶん自分を振り返って「人生とははかないものだな」と感じると思います。地位や財産がある分、この世に「まだ死にたくない」と心残りもできます。また運に恵まれずに苦労して一生を終わろうとしている人も、死期を迎えると自分が嫌だと思ってきた人生がやっと終わるのに、やはりこの世や自分の人生に悔いが残ったり、そして死ぬのは怖いと思うものみたいです。

 

昨夜、瞑想教室に参加している看護師さんが教えてくれたのですが、だんだん筋肉が衰える病気で動くのはまぶただけの患者さんが生命維持装置に繋がれて生きています。でも頭ははっきりしていて、本人はそうなる前から「死にたい」と言っていたそうです。まあその人が死にたいと思う気持ちもよく分かります。そういう病気になって大変不運といえば不運な人生です。

 

しかし、実際に呼吸装置にたんが詰まって空気が入ってこなくなると、慌てて目をぱちぱちさせながら助けてくれという感じで看護師さんを眼で探すと言っていました。そしてたんを吸引して呼吸が出来るようになるとホッとした表情になるのです。まあ一日に何回かそういうことがあるみたいですが、「死にたい、死にたい、と言っているけれども、いざとなればやっぱり死にたくないみたいです。本当に死にたいならばそのまま放って置いて慌てないはずです。」とその看護師さんは言っていました。

 

実際、人が死ぬ現場に日常の業務として立ち会っている看護師さんの言うことだから臨場感があります。だから人生が不運であってもいざ死ぬのはやはり嫌なのですね。幸運でも不運でも、泡のように生まれ、そして消えていく自分の人生を「何をどう考えて生きて行けばいいのか?」となるのです。しかし「何のために・・・」と考えているうちに一生が終わってしまいます。

 

今の私はいつも次のように思いながら生きています。何しろ今日やるべき事を一生懸命やる。修行でも仕事でも筋トレでも何でも、その時の自分のベストを尽くして一日を終わるのです。確かに「自分はこうなりたい」という目標はあります。また自分のベストを尽くしたとしても、結果は自分が思うようなものでないかもしれません。しかしベストを尽くした上で、自分が思うように目標が達成できなかったとしても、ベストを尽くした事で決して人生が悪くなるという事はありません。諦めてベストを尽くさなくなった時に人生が悪くなることはあります。

 

私の人生の目標はとてもじゃないけど簡単に達成できない目標です。例えば100歳、150歳まで生きたとしても、死ぬ前の日まで修行と仕事をするというのも私の人生の目標の一つです。まだ広言はしませんが、それ以外にもっと大きな目標もあります。人間社会では普通ならば実現不可能として人生の目標にはしない目標です。でもそれも私の人生の目標で、もし生きている間に達成できたとすれば究極の奇跡ですね。

 

そういう目標を目指して毎日自分のベストを尽くして生きていくのが今の私の生き方です。逆にそれ以外のことは「こうなるのではないか?ああなるのではないか?」などとは考えません。人生で起こり得る色々な事に対処する備えはします。しかし何の取り越し苦労もせずに毎日ベストを尽くしているとしても、私が思うようにならない事も毎日いっぱいあります。もちろん思うようになることもあるのですが、とりあえず一日を振り返ってみて悔いが残るという事はありません。嫌な事はやっぱり嫌だけど、「やれ」と言われても、今の自分にはもうそれ以上できないのだからしょうがないのです。

 

これを死ぬ前の日まで続けるのが私の生き方だと思っています。だから「何のための人生・・・・」などとは考えていません。私のしていることが結果的に皆さんのお役に立てば嬉しいと思っているだけです。こういう風に考え、そして毎日実践するようになってから、結果が良くても悪くても気持ちは大変楽になりました。そして死ぬ時に「人生何だかんだあったけど、まあ一生懸命生きたからいいや。ありがとうございました。」と思えたらこれほど幸せな事はありません。

 

これは遠い将来の事ではなく、自分が死ぬのは明日かもしれないので、そうなるためには来る日も来る日も自分のベストを尽くして生きていくだけですね。頑張りすぎても疲れてベストを尽くせないので、自分の心身の状況と相談しながら休んだり、また一生懸命動いたりするのです。ベストを尽くしたら例え目標が自分の思うように達成できなかったとしても、決して悪い人生にはならないのですから。そして人生とはそれで良いのではないかと思いますよ。

 

合掌

 

仏光

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