死ぬ瞬間まで命を磨く | 仏光さんの心の相談室

死ぬ瞬間まで命を磨く

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今日の昼休みは予定通り腕の筋トレをしてきました。このようにほぼ毎日ジムに行っていると、同じように筋トレしている人達と懇意になって色々な情報交換をします。栄養の事とかトレーニング方法などを話すのですが、結論から言うと基本は変わらないけれども、この方法が良いというものはなかなか無いのです。人それぞれ体質や年齢も違うし、それぞれに合った方法をそれぞれが捜さなければならないのですね。

 

だから私は私のやり方を模索しているのです。色々順番に試してみて結果を見ながら方法を見出していくのですね。基本は安全な最小限のトレーニングで最大の効果を出す方法です。ここで自分は他の人より重いウエイトを挙げるなど本質とあまり関係無いのですね。話しているとみんな色々考えながらやっているのだなと思いました。またその中から自分にも良いかなと思う事を頂いて実践してみるのですね。

 

それにしても筋トレというのは真剣にやりだすと奥が深いし、栄養や休息などを含めて色々考える事が多いので、私にとっては楽しい趣味ですね。ただやり過ぎない事にこれからは注意します。もう痛風の痛みはこりごりですからね。ここでも良い勉強を痛い目に遭いながらしたと思います。

 

筋トレだけではなく、仏道修行や私の仕事もそうですが、これで良しというものがありません。だから死ぬ前の日まで向上を目指すのですね。こういうことは終わりというものが無いので飽きる事がありません。ということは人生に飽きる事が無いのですね。死ぬ前の日までやる事があるというのは、「その頃の自分はどうなっているのだろうな?」と思うとワクワクします。

 

人生というのは先が見えてしまうとつまらなくなるのです。先が見えないと不安という人も多くいますが、そんな先の見えた人生を一日一日消化していって一体何が楽しいのかなと私は思います。安全、安定が何よりで、昨日があったように今日があり、今日があるように明日がありますようにと願っているのですね。

 

これ自体は悪いことではありませんが、私の性格には合いません。そのような毎日の生活の中にそれほどの自分の進化があるとは思えないのです。もちろんそのような人たちは進化などしなくても良いと思っているのですが、せっかく限られた一生という時間を使うのですから、私はできるだけ自分を向上させていきたいのですね。何故なら特に何もしないで普通に人生を送っていると、体はどんどん老いて行って、昔できた事も今は出来ないという事になります。

 

まだ体が普通に動くうちはいいのですが、衰えを感じてから慌てても少し遅いのですね。よく中高年で散歩をしている人がいます。「私は毎日こうして歩いているから大丈夫」と思っているのですが、現実は冷徹で歩いているだけでは歳を取ると歩けなくなるのです。階段とか坂道などの負荷をかけていかないと、平地を歩いているだけでは人は何時か歩けなくなります。

 

体だけではなく、安全安定な人生ではそれほど心を磨く必要性を感じません。毎日安定なのだからこのまま行けば良いと願うのですね。「このままいけば良い」というのは、自分は向上しませんと言っているようなものです。前のブログで「心を磨くという事は命を磨くことです。そしてそれができるのは生きている間だけです。」と書きました。決して安全安定が悪いわけではありませんし望むところです。でもそれだけでは人生では心は磨かれないし、それでは命を磨く事にもならないのです。

 

そしていずれは寿命が来るわけですから、生きているうちに自分の命を磨くという事はできません。何故私たちがこの世に生まれてきて人生というものが与えられて色々苦労しながら生きるのかと言うと、それは自分の命を磨くためです。ただ安全安定で自分の心も磨かず、また自分の体も磨かなかったとすると、その人は今は良いけれども老いてから後悔する事になります。これは必ず後悔します。それでもそういう人達は普通の生活以外何もしません。

 

体が老いてそれなりに弱っていくのは自然の摂理としても、心は全く別物です。いくら老いても心は磨けるのです。ただ身体が老いてしまうとやる気が無くなり、結果として心も磨かれず、老いた体と老いた心で老人病院などで何年も生きる事になるのですね。歩けなくなると足裏からの一歩一歩の刺激が脳に行かないので遅かれ早かれ認知症にもなります。

 

私の仕事場の隣は老人病院なので、一歩裏に出ると入院している人達のうめき声が聞こえて来る時があります。「何十年も生きて最後がこれなのか」と哀れに思えてきます。この人達は自分が元気な頃は、自分が将来こういうことになるとは露とも思っていません。でも残念ながら人生の最後はこのようになってしまったのですね。この人達の中で元気な頃から老いるまで筋トレや有酸素運動に励み、瞑想などの心の修行に励んだ人は圧倒的に少ないでしょう。普通の生活以外に特に何もしなかった人がほとんどだと思います。私はこういう人生の最後は嫌です。

 

もちろんこれだけ書いても今は元気で何も始めない人がほとんどですが、気付いた人はどのようにしたら自分の心身が鍛えられるのかなと考えて、それを実践することを始めて欲しいと思います。多くの人は「分かっちゃいるけどできない」のです。それはそれでその人の自由ですが、少しでも自分の人生を充実したいと気付けば、勇気を出して心身の鍛錬を始めれば良いと思いますね。

 

お釈迦様が言うように「自分が自分の救済者」です。たとえ体が老いても、その人に意志があれば心は死ぬ直前まで磨き続けられます。寝ていても瞑想は出来るし、心は磨かれ続けます。それは死ぬまで命を磨き続ける事になるのですね。死ぬ瞬間まで心を磨き、命を磨いている。それが本当に充実した人生だし、幸せな死に方だと私は思いますよ。

 

合掌

 

仏光

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