社会的地位と人格は関係ない | 仏光さんの心の相談室

社会的地位と人格は関係ない

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土曜日まで台風の影響で雨でしたが、日曜日からは晴れてロードバイクに乗っています。日曜日の朝はいつものように山のコースで10kmのトレーニングした後に、ゲストハウスまで降りて行って、新しくチューブレスタイヤになったピナレロのロードバイクに乗りました。

 

乗り心地を比較するのにいつものコースで狩野川の堤防を修善寺まで往復50kmを走って来たのですが、もちろん乗り心地は悪くは無いのだけれども、もう一台のグストのような劇的な変化を感じませんでした。元々乗り心地が良い自転車だったので、タイヤを変えてもそこまで変化がないのかも知れません。

 

とりあえずタイヤの空気圧を6バール入れて走りましたが、このタイヤには空気圧が高過ぎたようです。そこで昨日の昼休みと午後の早い時間が空いていたので、今度は空気圧を5.5バールに変更して海岸線にある静浦の港まで乗ってみました。するとやはり乗り心地が良くなっています。今度は5バールまで空気圧を下げて乗ろうと思います。

 

結局こういうことをしていて、日曜日と月曜日で合わせて100km以上ロードバイクで走っていました。体も慣れてきたのか特に筋肉痛を感じることもないし、体がだるいと感じることもありません。ただ昨日もゲストハウスに泊まったのですが、8時半に寝てしまってトイレで二回起きましたが、朝の6時前まで寝ていました。こんなに寝られるのは適度に体が疲れているからでしょうね。

 

さて、私はかねがね世間体とか人が私をどう思っているかとか、全く気にしないというより、気にならないとブログで言っています。それは私が自分が生きて行く判断基準を世間に置いていないからです。世間がそうするから自分もそうするということがないのですね。

 

もちろん世間のやっていることが正しければ、その部分に関してはそうしますが、大多数の人間がやっているから自分もやるということは一切ありません。私の判断基準はあくまでも自分が学んで身に付けた真理に基づいています。

 

そういう意味で、「世間の肩書が立派だからこの人は立派だ」とは一切思いません。ましてや「俺は偉いんだぞ、ウリャ~」と肩書を前面に出してくるおっさんなどが居ますが、そういう人はアホだと思っています。これは政治家や、学者や、医者や、経営者や、官僚や役人、学校の先生、弁護士など一応世間の肩書が立派とされている人間に対しても全く同じです。

 

基本的に肩書と人格は関係ないのですね。これは私自身、昔はアメリカの上場企業の役員で、日本の現地法人の社長をしていた時の事を思い出しても心からそう思います。その頃の私は、社会的地位や収入などに価値を置く、本当に糞みたいな人間だったと思いますよ。

 

今回池袋で大変な交通事故を起こして十数人死傷させたじじいの元高級官僚が居ますが、自分の保身のために一切謝罪することもなく車が壊れていたと言っています。こいつは本当に見ていて腹が立ちます。こういう輩は人を殺しておいても平気なのですね。

 

これは世間の立派な肩書とその人物の人格が全く比例しないという良い例です。私も立派な肩書があった頃は糞みたいな人間でしたが、このじじいの方が高級官僚であるがためにもっと糞ですね。元々公務員というのは国民のために働くのが公務員なのです。世間と言うのは一皮むけばこんな程度のものです。いざという時にそいつの本性が出るのですね。

 

もちろん世間の人間がみんなそうだと言っているわけではありません。本当に偉い人は別に立派な肩書も持たず、人に知れることもなく、どんな逆境でも一生懸命自分ができることをやって、自分が大変なのに周りの人も助けながら普通に淡々と生きています。そういう人が本当に偉い。

 

私事で恐縮ですが、私の亡くなった北海道小樽出身の叔父のお母さんは、私の叔父を含めて6人の子供が居るのに若くして稼ぎ手の夫を亡くし、魚の行商をして家族を養いました。戦前の話で社会保障など無きに等しい時代です。そのお母さんは港で魚を仕入れて、魚を乗せたリヤカーを引いて小樽の街を行商していました。

 

冬の小樽は本当に寒いところです。その極寒の小樽で吹雪の中ではリアカーが使えないので、魚を乗せたそりを引いて行商をしていました。本当に偉いなと思うのは私の叔父を含めて6人の子供をみんな大学に行かせたことです。

 

そのお母さんはそういう境遇でも、子供達には一切愚痴や文句を言わなかったそうです。叔父が東京の大学に行きたいと言いにくそうにしていた時に、「大学に行きたいんだろう?これを持っていきなさい」とお金を包んだ風呂敷をそっと出してきたそうです。叔父は大学に行って、最終的には京都仏教大学で教鞭をとっていました。

 

このお母さんには何の社会的な地位や肩書もありません。本人に学歴があるわけでもありません。ただ6人の子供を養うために、愚痴や文句を一切言わずに一生懸命働いたのです。別にお母さんは子供たちを大学に行かせてやろうと思って働いていたわけではありませんが、そういうお母さんの下で育った子供達がみんな立派な人格を身に付けて行ったのでしょうね。

 

極寒の小樽で吹雪の中、魚を乗せたそりを引いて、6人の子供を立派に育てたこのお母さんこそ驚くべき人格者であると私は思います。肩書などありません。学歴などもありません。でもこのお母さんが一生をかけて行ったことは本当に偉大なことです。

 

これからの私は社会的な地位や名誉など全くどうでもいいけど、このお母さんのような人格を備えた人間にはなりたいなと思います。そのためにも今日自分がやらなければいけないことを一生懸命やりますね。今の私にはそれしかできることがありませんから。それが私の一生です。

 

合掌

 

仏光

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