こんにちは、まんきんたんです。

 

「袖振り合うも他生の縁」

ということわざがある。

 

若い頃から知っている言葉だが

先日、お坊さんの説法を聞いて

改めてその意味が理解できた。

 

歳を取って

人生経験を重ねると

 

同じことを聞いても

全く理解が違うものだ

と感じた。

 

これは、同じ本や映画でも

見る時期によって

 

全く異なる心の琴線に触れる

ということと同じだろう。

 

と同時に誰から聞くか

学ぶかも

とても大切なことだと思った。

 

話を聴いた相手が

真意を理解できていなければ

 

歪んだ情報のまま

それを受け取って

自分が形成されてしまう。

 

「袖振り合うも他生の縁」

は仏教用語だから

 

仏教をずっと勉強してきた

お坊さんから聞くのが正しいし

より深く理解ができる。

 

「触れ合う」ではなく「触り合う」、

「多少」ではなくて「多生」。

 

気になったら

ぜひお坊さんの解説で

学ぶと良い。

 

 

さて、昨日は

天狗納豆をいただいた。

 

食べるのが楽しみ!

 

 

あ、その話知ってる。

 

その本もう読んで知ってる。

 

知ってる知ってる。

だからもういい。

 

では、成長しない。

 

知ってても相手の話を聞くと

相手がそのことを

どう理解しているかが

わかるものだ。

 

それは自分と同じ

解釈かもしれないし

 

斬新な解釈かもしれない。

 

そのことがわかるだけでも

大きな勉強だ。

 

知ってることでも

相手の話をさえぎらず

最後まで話を聞く

癖をつけよう。

 

子どもの話などは

めんどくさがらずに特に。