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あなたのとりこ 487 [あなたのとりこ 17 創作]

「今月の二十日を以て、片久那は事情に依り退社する事になったんです。それで、その報告と、長年のお付き合いのお礼旁、今日は寄せて頂いたと云う訳です」
 頑治さんのそう告げる声は必要以上に小さいのでありました。
「え、片久那さんが会社を辞めるの?」
 頑治さんの、奥に居る二人に気を遣った小声に比べると、目を剥いてそう口走る次女さんの声は全く無頓着に大きかったので、頑治さんは少しまごまごするのでありました。
「ええ、そうです」
「何でまた、辞める事になったの?」
「いや自分もあんまり詳しい事情とか経緯は知らないのですが、まあ兎に角、事実として今月で退社する事になったのです」
「へえ、驚いたわ」
 次女さんは未だ目を剥いた儘なのでありました。「でも片久那さんが居なくなったら、会社はちゃんと遣っていけないんじゃないの?」
「いやまあ、そんな事もないと思いますけど。・・・」
 先日の片久那制作部長から直接退社する意志を聞かされた後の、神保町駅近くの居酒屋に於ける酒宴の折の、社員全員で共有した、片久那制作部長辞職後も会社の業務を円滑に回して行けるだろうと云う感触を踏まえて、頑治さんはあんまり確然とではないながらもそう云うのでありました。しかしそれにしても、長い付き合いだからか、この次女さんも片久那制作部長が会社を辞める事の深刻さをほぼ正確に判っているようであります。
 程なく長女さんと片久那制作部長は揃って衝立の奥から出て来るのでありました。
「片久那さん、会社を辞めるんだって?」
 早速次女さんが頓狂な声で片久那制作部長に訊ねるのでありました。
「まあ、そう云う事で」
 片久那制作部長は何となく曖昧に苦笑って見せてから、頑治さんの方をチラと見るのでありました。僭越にももう喋って仕舞ったのかと云う咎罪の色が少し混じった視線でありました。頑治さんはおどおどと視線を外すのでありました。
「会社の主みたいな片久那さんが辞めたら、会社は遣っていけないんじゃないの?」
 次女さんは心配そうな顔をして見せるのでありました。
「いや、そんな事はありませんよ。私が居ようが居まいが贈答社は今迄と変わらずに遣っていきます。ですから贈答社とはこれ迄通り昵懇にお付き合いをお願いしますよ。私が居なくなっても、相変わらず唐目は週一回定期に来て、材料類の搬入と出来上がた製品の引き取りとかをしますから、仕事は従来と何の変更もありませんよ」
「ああそうですかねえ」
 次女さんは不安な気色の儘ながら、一応納得の頷きをするのでありました。
「じゃあ、三女さんにもよろしく」
 片久那制作部長は長女さんの方に顔を向けてそう云った後、頑治さんの方に視線を移すのでありました。「もう、荷物の積み下ろしは完了したのかな?」
(続)
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