絵空事10 シリウスの新年
翌日、起きたのは午前5時。
寒い。冬の朝は布団から出るのが辛い、しかし今日は違った。シリウスニューイヤーの儀式の日だ。これに参加するために私は赤道を越えてきた。
身支度をすませて外に出るとまだ夜中と同じような暗さの空。星がしっかと瞬いている。スマートフォンの懐中電灯をオンにして足元を照らしながら集合場所のマラエに向かった。
日が沈んでから翌日にまた日が昇る。その数時間前というのはもしかしたら一日の中で最も温度が下がっている時なのかもしれないなー、と思いながら歩いた。
真っ暗な中でも夜明けまであと少しだと思うと、「おはよう」という挨拶に違和感は覚えない。昨日、レセプションと夕食の時にほとんど全ての人と言葉を交わし、自己紹介をしたため、今日は会う人会う人みんな、にこやかな挨拶から始まっていた。
「おはようございます。みんな揃ったかしら。それじゃあサークルを作って」
アヒティアの声がした。
マラエには小さな街灯があったので、かろうじてそこが目印になり、私たちは円を作った。
「じゃあ、このまま座って日の出を待ちましょう」
腰を下ろすと地面は露で湿っていた。ダウンのベンチコートの素材がゴアテックスで本当によかったと思った。さっきまでは足元から冷えが来ていたが、今は臀部から腰にかけて、最も冷えている感覚がある。あちらこちらで静かに話をする声が聞こえる。私も時々隣の人と話をしたりもした。
ふと、東の空を見るとまだ星が見えている。
その中に蒼い光を見つけた。
「あっ」小さくではあるが思わず声が出てしまった。
ここは小高い山に囲まれている場所なので、地平線や水平線から日が昇ってくるわけではない。その代わりに、少しずつ山の端が白んでくる。
アヒティアに手を引かれてローズが来た。本人の希望なのか、彼女の年齢を考えた周りの意見なのかはわからないが、何枚も着重ね過ぎて樽のようになったローズの姿が少し可笑しかった。
ローズは蒼い光の星の下に立った。私たちも皆、立ち上がった。
それからほんの1、2分。空の白が強みを増した。
おそらく日の出になったのだろう。
山の稜線に沿って、白が光に変わっていく。一秒ごとに眩しさが増す。30秒ほどで光が私たちのいる広場に差し込んできた。
と同時にローズのカラキア(祝詞っぽいもの)が響いた。
今私たちがいる場所だけではない、目の前の湖に、その周りの森に、その上の空に。ローズが詠むカラキアはこの世の全てに響く迫力があり、なんとも心地の良いメロディーであり、バイブレーションである。
カラキアが終わると静寂が戻った。
数回ゆっくりと大きく呼吸をすると、ローズは再び声をあげた。
「東のスピリットよ、あけましておめでとうございます・・・」
その瞬間、それに応えるように風がサーっと吹いた。
風と対話し、山と対話し、水と対話し、日と対話し、精霊と対話す。
自然や宇宙と繋がることは誰にでもできること。なぜなら私たちはすでに繋がっているからだ。それを忘れているだけ。
今朝、私が他の参加者たちとお互いに「おはよう」という言葉を交わしたように、ローズは天地万物と話をしている。それは私たち、誰にでもできることなのだ。
この後、ローズは西にも、北にも、南にも挨拶をしたのだが、その度に風が吹いた。これを偶然という言葉で片づけてしまうのは、あまりにも勿体ないのかもしれない。
儀式の後、私たちは一人ずつ順番にローズの杖を持ち、言葉や歌を発した。
シリウスを基準とした暦での新年なのだから、今、あなた自身をシリウスに向かって発しなさいということだ。
私は言葉ではなく、歌を選んだ。
君が代。
自分の持ち時間を考えると、ちょうどいい長さということももちろんあるが、それ以外にも理由はあった。連綿と続く時間の流れの中、この地球で転生を繰り返してきた私たちの魂をシリウスに発したいという気持ちもあった。またローズは常に母音のアイウエオについての解説をしている。これは初めて会った10年前もそうだったが、今回もまたみんなに説明していた。それは私の頭の中にずっと残っており、君が代の詞の中にある「いわおとなりて」で「アイウエオ」ではなく「アオウエイ」となる時に私たち日本人の本来の力、永遠の力が出てくるという意味と少し重なったということも理由の一つであった。
儀式はとても清々しいものだった。
私たちは、わかっていても、知っていても、なかなか一歩踏み出せなかったり、自分の中で理由をつけて見ないようにしていることがある。しかし、それが自分の天命と異なる場合は、目をそらしていることを気づかせる「お知らせ」がやってくる。それを放置すれば「督促状」のように何度もやってくる。私もそろそろ、その「お知らせ」を開封する時なのかもしれない。