書評抜き書きまとめ記事のひさびさの投稿です。

小説家の森見登美彦さんの対談集です。

小説をつくるということについての憧れは、多くの人が持っていると勝手に思っています。

会社のセミナールームで業務外趣味活動として、10年近く様々なイベントを行ってきましたが、BBQイベントを除いて最も人が集まったのが、吉本新喜劇の脚本を書き続けてきた徳田博丸さんの脚本/ストーリーテリングワークショップでした。

最近も、年始に自分史を振り返り、それを本の章立てにしてみるというワークショップを、自分の中の活動の切り口を変えて出版し続けている藤由達藏さんをゲストにお呼びした会を開催していたりします。

そんな中、同僚に小説を書いているという人がいて、森見登美彦さんというキーワードをもらって、図書館で集めた本の中にあった一冊が面白すぎたので抜き書きで紹介します。

過去書いていた書評ブログでは、ストーリーテリングの本を何冊も紹介していたことがありましたが、私は傾向として、0→1に関わることが好きなタイプな人間のようで、小説家がどんな発想でものを書いているのかというところを観るのが面白すぎました。

■ストーリーテリング関連書籍・エントリーまとめ■
https://ameblo.jp/satokumi1718/entry-10420384765.html

以下、書評ブログを書いていた時のパターンですが抜き書きまとめです。

■『夜は短し歩けよ乙女』

あの女の子は基本的に、僕です

なんとなくの雰囲気的なものは一応モデルの人がおるんですけど

喋っている内容は僕の中のわりといい部分だけを切り取って、可愛げのある感じに拡大する感じでした

■森見さんが”乙女”なんですね

女の子って、乙女な男の子が大好きですから、女の読者にとってはそれが良いのかも

乙女な男の子って、気持ちが外から見えやすい

女の子にとっては、相手の気持ちが見える過程が楽しいというか気持ちいい

■最初に冒頭の部分を書く

ここが自分の理想とする綺麗な形に仕上がると、お話を始める元気になる

できるだけ言葉を切って、文章を磨き上げていく作業が好き

■ラストが解決されず

開かれたまま終わっていく方が好き

■背後に何らかのシステムがあるという気配

それを人間側の論理では絶対に解釈できない

小説で京都の具体的な地名を出すのは、京都の裏には何かある、という前提で読んでもらえるから

■「志村、うしろうしろ!!」の構造

観客にだけ見えている特殊な状況をつくる

■森見文学の神髄は、読者のツッコみ待ち

主人公は突っ張っているのだけど、読者にはバレバレ

「いやお前、それは違うだろ」と、読者にツッコんでもらいたい

間違っていることは分かっているんだけど、言い通す

その書き方だと、僕も気持ちよく書けるというか

じめじめ薄暗くなったり、主人公の考えが変に真面目になっていかない

『山月記』の冒頭

「京都吉田界隈にて、一部関係者のみに勇名を馳せる孤高の学生がいた」

「一部関係者のみに」で、「勇名を馳せる」。どういうことだ!

■キャラクターを作る時には、ギャップはすごく意識します

ツンデレ

登場人物の優しいところにグッとくるというのは

その人がその場面まで優しくない、というタメがあってこそ

それを、いろいろグラデーションとかを変えてやっていく

ほとんどそのパターンだけでキャラクターを作ってるんです

『有頂天家族の赤玉先生』

ずっと威張っていて、自分はなんでもできるんだと言ってるんだけど

本当はなんにもできない

弁天は、あんたのこと食っちゃうよって言っているくせに、いざとなると食わない

『太陽の塔』の主人公は、彼女と別れたけど全然平気だって言っているのに最後、泣く

■キャラクターを作るとき

実は自分の要素をいじっていびつな人間をつくって、自分と違うものにしていくんです

『四畳半』の「私」って自分とかぶっている部分もあるんですけど

僕よりずっと思いつめているし、僕よりもっと尖っている

僕は「私」のように世間に嫌悪感もないし、むしろあれぐらいアグレッシブになれたらいいのにって

ダメ人間ではあるんだけども、ダメ人間なりにいろんなところに出て行っていろんな人に会って、何かをやっているのって純粋に憧れますね

■羽海野チカ(漫画家)

『3月のライオン』

「自分はこれでいいのかな」とぐるぐる自問自答を繰り返す男の子を描こう

『ハチクロ』が「社会に出るまで」のぐるぐるなら、「社会にでてしまったあと」のぐるぐるを描きたかった

ある日「でも……やっぱりマンガが描きたい!」

このまま”あの時、挑戦しておけばよかったなあ”って思いながら年とって死ぬのかなあって思ったら、もう息ができないような気持になって。それで描いたのが『ハチクロ』でした

本当に思っていることを描こうって

「素敵じゃないと愛されない」っていう思い込みみたいなものがどこかにあったような気がするんです

でも自分が素敵な人ばかり好きかって言ったらそんなことはなくて

「なんで、あの人は!」ってツッこみながらも大好きな人たちのことを描けばいいんじゃないかって

自分のダメなところも出しちゃって、もう笑ってくれればいいやって

そう思って描きだしたら、そのあとのほうがお客さんが親身になってくれたというか。不思議なもんだなあと。

■『夜は短し歩けよ乙女』と「モヤさま」

べたな京都を出していない

「モヤさま」もいかにも東京な場所には行かない

主人公がとりあえず、何にでもチャレンジする

あの精神も「モヤさま」と通じるところがある

■絶えず自画自賛する主人公たち

僕の癖で、自画自賛するような人を主人公にしないと、どうしても陰々滅々とした薄暗い方向に流されてしまう

仲間を笑わせるためにわざと威張ってバカなことを書いて遊んでいた

それが周りに好評で、学部を卒業する時、試しに小説に応用してみたのが『太陽の塔』でした

『吾輩は猫である』のように、しかめ面で難しいことをやわらかく、リズムの良い文章で語る小説をよく読んでいたこともえいきょうしていると思います。内田百問なども好きでした

■SF小説がすごくお好きなのではないですか?

SFの原点は、「ドラえもん」

■この先、どのように進んでいこうか

(萩尾望都)

何をおいても「人の言うことを聞かない」ということにつきます

他人の意見に耳は傾けても、自分が違うと思ったら従う必要はありません


抜き書きまとめ、以上です。

文中、私小説ならだれでも一つは作品が作れるという言葉がありました。

そして、自分の活動の一側面を切り取って自己啓発書を書き続けている藤由達藏さんのお話を聞いた時と同じで、そこで出来上がっていった私の思い込みかもしれませんが、小説家の人たちも、キャラクターをつくるパターンを、自分や身の回りにいる人のイメージから膨らませて創っていくのだということ、そういうところにとても共感しました。
JAXAのはやぶさ2プロジェクトで有名な津田雄一氏による「失敗から学ぶチームワーク」オンライン講演会の視聴メモです。

町田相模原焚き火の会なる取り組みの同志でもある友人の辻井さんが相模原市のPTA協議会と教育委員会の企画として関わっていたイベントだったというご縁でして、2022年4月までの限定公開ですが、アーカイブ動画が公開されています。

最近、転び学だか、ポジティブ失敗学みたいな研究がしたいと思い始めていたタイミングだったので、備忘を残しておきたいと思い、久しぶりに学びシェアのアメブロの方に投稿しておきます。

自分の人生ストーリーを数々の転んだ失敗経験を軸に語ったところ、爆笑してもらうことが出来たことと、自己探求オタク的なことを相当やってきたのですが、また新しい発見があったりしまして、転び・失敗というところからの学びを深めたいと思っています。

はやぶさ2の見事なチームワークについての取り組みと慧眼についての学びももちろん素晴らしいのですが、それらが生み出された原体験として、「はやぶさ1号機」で味わったくやしさを、もう二度と繰り返したくないというその転び経験からの思いの強さが、このはやぶさ2の成功を生んでいるかもというところに心惹かれています。

はやぶさ2の功績の凄さみたいなニュースは世の中にあふれているので、その部分は割愛しますが、地球からプログラミングを書き換えて臨機応変に対応できるなど、世界初を9つも達成しながら、100m四方を想定していた着陸精度を6m四方に調整するとか凄いと思いますが、総勢600名に及ぶプロジェクトを率いたリーダーシップ論として、手法というより、個性あふれる人達を取りまとめていくコミュニケーターとしてのあり方がもの凄く勉強になりました。

以下は、テーマとなっている「失敗から学ぶチームワーク」の部分で話されていた内容を抜き出した講演メモです。

~「失敗から学ぶチームワーク」講演メモ~

■宇宙科学とは

太陽系の中だけで大きな惑星以外に、107万個の小惑星がある

宇宙の謎を知る、太陽系がどうやってできたのか、
どうしてこういう形で生まれて、我々人間はどのような
存在なのかということを追求する学問です

多種多様な小惑星のことも調べる必要がある

■小惑星 リュウグウ

炭素と水がありそう

水生命の起源が調べられるかもしれない

3年半でリュウグウに到着

2008年から10年かけて計画

■想定外

リュウグウの地面の凹凸がひどい

4か月かけて100m四方の平坦地を想定していたが、
6m四方の場所への着陸技術が必要

4か月かけてプログラムを開発し、
光の速度で20分かかるはやぶさ2にダウンロード

更に24時間前に問題が発覚したが対応しきる

■プロジェクトメンバー

600人のチーム:JAXA所属者だけでなく多種多様な人達

チームワークがとても大切

・600人で一つの目標:これをいかに浸透させるか
・徹底的な訓練:やりたいことがやれるチームにする
・挑戦心・あきらめない心を醸成するチーム作り

人数が多くなると心配事を言う人がいたり保守的になりがち、
それにより全体の動きが鈍重になる、挑戦的なことが
出来なくなったとしたら、プロジェクトには致命的と考えた

■良いチーム

600人の頭脳がフル回転で考えて、誰かが良い解決策を思いついたら
こっちだ!とみんなで向かえるような『場をつくる』

それぞれの頭脳が自立的に動くことが大切

■”探査型”プロジェクトのチーム作り

宇宙探査は答えが分からない

答えを解けるチームではなく、問題を作れるチームを作る

1.自分自身の能力を熟知する
2.上司ではなく節理・論理に忠実なチーム文化を作る
3.個々人のモチベーションを育て高める

・答えを解けるチームのリーダー
 高い先見性と計画性:PMが問いを発し、部下が回答

・問題を作れるチームのリーダー
 場の方向付け:エキスパート同士の相互問答

似たモデル:タックマンモデル

■”探査型”プロジェクトを育てるには

草創期:ゴールの共有とチーム員の能力・専門性の研鑽
    (個々に話しかける)

混沌衝突期:自己主張をぶつけ合ってお互いに磨き込む
    (機会を提供し、衝突・試練の機会を促進・見守る)

一人格化・自律化:協働し、高い自律性と自己成長性を獲得
    (ムードを増進、責任を取る覚悟の維持による安心感)

収穫期:高度なチームワークで成果を量産
    (次なる目標を与えれば自律的に動いてくれる)

混沌・衝突期に、あえてリーダとしてここで衝突させたままにしておいた。
自分たちで解決するようになっていった。すると、
個々の人達が有機的な動きをするようになっていった。
芸術作品を見ているような、自分が手を全く下さなくても、
チームとして個々の人が良かれと思って動いていくことで、
チーム全体の利益になっているという状態となり、
この状態ではやぶさ2はリュウグウ到着を迎え、
チームで解決するぞという雰囲気と能力が伴っていた。

■失敗させる仕掛け

宇宙開発は「失敗が許されない」

ここの場では「失敗してよい」という場を作った

シュミレーターを作った運用訓練で、厳しい環境で失敗させた

2日間の訓練を公式に48回行い、22回墜落した

こうすることで磨かれていった

■良い失敗、悪い失敗の見分け方

失敗を許容しないと挑戦できない
挑戦のない仕事は面白くない
ゲームオーバーにならない算段をして、どんどん挑戦

Challenge, but NO gamble

gambleとは
どっちに転ぶか分からないけどやってみよう

Challengeとは
失敗したとしても、探査機を失わずに、着陸に失敗しても
地球に戻ってこれる能力を担保した上で挑戦する

■若手のアイデアを引き出す方法

若手は頭が柔らかいので色々なアイデアを持っているが、
出していいか、採用されてしまったらどうしよう、それが
失敗したら自分の責任になるかもとか色々考えてしまって、
意見が出せないことがある

アイデアを出すことと責任を分ける

・提案はどんどんしてもらってOK
・採択するかどうかはチームで決めよう
・責任はすべてチームが持つ

→メンバーの心理的安全性をつくる

ああやったらどうだ、こうやったらどうだということが
活発に出て仕事を取り合ったりするような良いチームになる

失敗を許容しないと挑戦できない
挑戦のない仕事、挑戦のない人生は面白くない

■節理への忠実さ

リーダーの言うことは聞かなくても良い

ただ、節理へは忠実でいよう

ものごとの節理や論理や物理現象に忠実でないと、3億年彼方の探査機を正しく動かせない

これをチームで徹底する

偉い人がどう言おうとも、それが節理に反していると思うなら、若手でも声を上げよう

■プロジェクトリーダーの役割

・組織内の情報流・決断はオープンに
 ヒエラルキーはできるが、どこにどういう情報の流れがあって
 誰がどのように決断をしたのかが分かると仕事がやりやすい

 ミッションこそが上司、節理こそが上司、議論はフラットに

・対立軸をつくる
 安易にまとまらない。反論を常に提示する。

・安心してアイデアを出せる環境をつくる
 責任はリーダーがとることの明示→仕事を奪い合うチームに

・リーダーの役割
 五分五分の判断になったときの決断
 いざというときの突破力

■想定外を想定する

何が起きるか分からないことを想定して準備していく

自発性に基づくチームづくり

失敗の成功も面白がれるチーム作り

みんなが「自分がいなければ成功しなかった」と思えるプロジェクト

<質疑応答>

Q:チームづくりの方針は、どのように身に着けましたか?

経験に基づいてやっている。20年前から人工衛星を行っていた。
限られた時間で行うために、チームを意識せざるを得ない。
この人の言っていることは信用できるとか、よく分からないけど
結論を信頼できるというチームは何かというと、
試練をのりこえた人達とか、試練をのりこえたチームだと思う。
その人のバックグラウンドに深いものがあることを知っていると
信じられると思う。そうなると試練というのは失敗ということ
なので、それやったら失敗するよと思ってもぐっとこらえて、
あえて失敗させてみる。
いやあ失敗しちゃいましたとなったときに、ああそうなんだ、
じゃあ次どうしようかというような会話をフラットに対等にできる。
ほらいわんこっちゃないという感じではなくて、一緒に発見
したような形で失敗を克服できるという雰囲気が、
いいチームをつくるなということが、自分の経験の中では、
そう感じていました。

たまたまはやぶさ2のリーダーを任されたので、それを
一番大がかりにやったらどうなるのかというのが、
はやぶさ2での取り組みでした。

Q:混乱衝突時に失敗するとチームが崩壊してしまうかも?

衝突したときに、本気でチームが上手くいかないと感じたこともある。
すごく気持ちが暗くなることをもあった。
仕事を奪い合うという良い現象も、禍根を残すようなことがないようにと思うが、ここでリーダーが入ってしまうと毎回リーダーが入らなければいけなくなる等。

気を付けていたことは、自分が真摯に対応すること、フェアであること、誰にでもやりたいことや主張があって、それを尊重しながらもはやぶさ2ってこういうミッションだよね、だとすると、ここはあなたの言う通りにするけど、ここは違うよねというようなことを一つ一つ解きほぐして、良い方向に持っていけることしかやれることはない。

リーダーはあきらめず、両方の主張を最後まで聞こうとする意志を示す。リーダーを先に言い負かした方が勝ちだとかいうことではなく、どっちの意見も通して、結果としてロジカルな結論を導こうとしているんだと思ってもらえることが大切。

Q:はやぶさ1号機より数千倍のサンプル量を取れたのは?

はやぶさ1号機と2号機のサンプルの摂取方法自体は同じ。

はやぶさ1号機の宿題をこなしたという側面もある。

Q:失敗しすぎたとかリカバリーできなかったことはないか?

はやぶさ2号機は、上手くいってしまった。
はやぶさ1号機は、ひどく心が痛むことが多く、こんな経験を二度としたくないと心から思った。その思ったことを反映できる機会をもらったというのがはやぶさ2。
はやぶさ1号機の多くあったトラブルを全て克服するように動いたし、表面の凹凸が多いことは想定外だったが、4か月で克服できた。

Q:衝突した人同士、話さなくなってしまったりしないか?

そうなるとチームワークとしては最悪なので、そうならないような
とりもち方はしなくていけなくて、お互い大人なので、そういったら仕事が上手くいかないと分かるので、しばらくは放っておきますが、最終的には、あなたの言っていることは、ここまでは正しいし、はやぶさ2の目的を考えると同じこと言っているよねとか、正しくないことも含めて、理解納得できるよねとお互い納得できることが大切。そうすると悪いと思っていたことから、良さも見えてくる、良さが明確化する。そこまでいかないと、コミュニケーションを再び取るというのは難しいですよね。

四苦八苦しながらやっていたので、結果的に上手くいった時に何があったかというと、それぞれの得意分野やそれぞれのやるべきことというのを、そういうことが起きるたびに明確化していって、この人はこういう処は、誰にも負けないものがあるのだということを、それぞれの人に認識してもらえるということです。

~講演メモ~

実は、前段で書いたはやぶさ1号機の原体験の話は、講演後のQ&Aで出た話なのですが、「宿題をこなした」という表現が印象的でした。

間に合う方は、論旨はほぼ抜き出していますが、期間限定なので、もし内容に共感できたという方は、津田雄一さんのあり方に触れる機会として、是非視聴してみられてください。

期間限定公開(2024年2月まで)
はやぶさ2のプロジェクトと失敗から学ぶチームワークについて
https://sites.google.com/view/sagamiharakateikyoiku/?fbclid=IwAR1hloD80FEzHiEexmkBVJ00yF-DriUV_0Oqj2ZJl5f70yODi8QqejjLJes

「デカルトからベイトソンへー世界の再魔術化」(モリス・バーマン)の抜き書き書評記事を投稿します。




先の投稿の写真家の北桂樹さんの積読本リストにあったのがきっかけで手に取ったのですが、コロナウィルス騒ぎで本を読む時間が出来たので、ひさびさに骨のある本を読んでみようということになりました。


近代の物質主義や科学主義ということを近代主義(デカルト)の世界観として否定することに前半延々と紙面が割かれています。


それらを生み出したニュートンを実は錬金術に傾倒していた最後の魔術師だというように表現して、錬金術やニュートンを批判したウィリアムブレイクなど、近代主義の批判を繰り返すのが前半部分。


後半では、作者が世界のこれからのあるべき意識論として、支持するベイトソンの哲学について、生物学者だったベイトソンの父親の研究のことから語り始めていくという構成です。


この主な論旨である後段にたどり着けるまでが長いことが、この本の読破を困難にさせているような気がするのですが、良い映画は前置きが結構長かったりもします。


私は作者の術中にはまり、ようやく本編来ましたかというところに入っては、待ってましたという感じで、読みふけることが出来ました。


どうしても結論だけ知りたいということであれば、後半最終章の「明日の形而上学」をいきなり読んでしまうということも可能です。


本書評でも、以下、最終章の「明日の形而上学」の記述について詳述します。


はじめは、グレゴリーベイトソンの父親の遺伝生物学者だったウィリアムベイトソンの研究についての説明から始まります。


ここでは、例外から全体を探るという方法論だとか、生命に限らずモノも含めて循環性の法則があるのではというような漠とした神秘主義を吸収したというような表現で書かれています。


そして、ナヴェンというニューギニアのある民族で行われているという、事あるごとに性を逆転させた役割を演じる儀式が行われる祭りに対しての研究について話は進みます。


そのお祭りをグレゴリーベイトソンは、男性性女性性が極端に色分けされた日常生活を補うための相補的な儀式だと分析します。


同じ相補的な現象として考えるという思考様式で、ダブルバインドという精神病を起こさせる条件の分析と、それを乗り越える際に、学習の認知の次元を一つあげるための取り組みがあると解説を続けます。


それが更に教えてもらった芸をしてもエサがもらえなくなったイルカが思考と行動の次元を一つあげて、オリジナルの技を出来るようになったことをメタ認知獲得の学習の次元をを一つあげた事例として説明されています。


ここまでで言うと、最近ではよく言われる、認知バイアスを取ろうとか、メンタルモデルを認識してその枠の外にある視点を獲得しようというような話になり、そう言ったような様式を学習Ⅲと呼んでいます。


そして近代論と比較してベイトソンの全体論を並べて比較した上で、一気に未来の社会のあり方論が展開されていきます。


この最終章の未来予測論の記述が非常に面白かったので、以下抜き書きです。


 


◾️サイバネティクス的説明の核心


関係こそ現実の本質である


◾️伝統的文化は


トーテミズムや自然崇拝などの慣習を通して、循環性とサイバネティクスの概念を直観的に把握していた


それによって環境を維持することができた


◾️どんな連鎖反応が生じるか


関係の網に心を集中することができる


全面的に一体化(ミメーシス)に回帰せずとも、全体論に基づく正気の行動が可能になるだろう


◾️〈精神〉をめぐる知が


美的認識という形でよみがえり、技巧的(アートフル)な芸術的(アーティスティック)科学(世界についての知)を我々は手にすることができる


◾️補強しあう


一体化(ミメーシス)と分析の両方を手に入れ、それらが「ふたつの文化」の分裂を生むのではなく


たがいに補強しあうようにならないだろうか


◾️真の洞察


人間は関係(環境だけでなく、人間がかかわりあうすでてのものと)一体的(ミメティック)な関係をもってはじめて、現実に対する真の洞察が得られる


そうやって得た洞察が分析的理解の中心となる


こうして事実と価値が合体する


◾️学習Ⅲとは


「壮大な生態系」への心が一気に飛躍すること


◾️回心


キリスト教神秘主義、禅の悟り、錬金術の変容の最終段階などと類似している


◾️学習Ⅲもそれらの回心も


人格が根本的に変容するということが、最も重要なポイント


◾️視座


どちらの場合も、人は新しいレベルへと飛躍し、自分の性格と世界観を外から眺める視座を得る


◾️ベイトソンのいう学習Ⅲとは


単に個人レベルの忘我的ヴィジョンを得ることだけではない


人と人がつながった共同体的生き方を追求する上での必要不可欠の部分


◾️〈精神〉はつねに


「部分同士が内部で結び合わさった、社会システム全体、この惑星のエコロジー全体に内在している」


◾️未来の「地球大の文化」を思い描くとすれば


夢、ボディランゲージ、美術、ダンス、空想、神話などから成る内的〈精神〉風土が、世界を理解し世界のなかで生きようとする試みにおいて、大きな役割を果たすことになる


ESP(超感覚的知覚)、神秘力(サイコメトリー)、念力(サイコキネシス)、霊気(オーラ)の読解とそれによる治癒といった、さまざまな心霊能力を高める試みもなされるだろう


生態学と心理学がほぼ一体になるだろう。病というものはその大半が肉体的・情感的環境が乱されたことへの反応であることが、広く認識されるようになるはずだからだ


身体は抑圧されるべき危険なリビドーとしてではなく、文化の一部分として捉えられるようになり、そうした認識の結果の一部として、性の抑圧は大幅に減少し、人間もまた動物であるという自覚が深まるだろう


拡大家族が見直され、今日において精神病の発生源となっている、たがいに競争しあう孤立した核家族は減少するだろう


「非生産的」な人間を収容するための老人ホームに年寄りを捨てることもなくなり、子供たちとともに暮らす老人の叡智が文化的生活の欠かせない一部分となることだろう


◾️人格の理念も大きく変わる


自我(エゴ)から〈自己(セルフ)〉へ重点が移行


ひとりの人間の自己と他人の自己とがたがいに反応しあうことが奨励されるだろう


競争ではなく協働、個人主義ではなく個体化


「にせの自己のシステム」や役割演技などは消滅するだろう


◾️力という概念


他人の意志に反して他人に自分の望むことをやらせる能力というふうには捉えられなくなって


力とはすなわち中心の安定(centeredness)であり内的な権威である


他人に圧力や強制を加えることなしに他人に影響を与える能力、それこそが「力」


さらに、未来の文化は、人格の内においても外においても、異形のもの、非人間的なものをはじめ、あらゆる種類の多様性をより広く受け入れるようになるだろう


そのように包容力が高まる結果、「正気」の捉え方も、フロイト=プラトン的発想から錬金術的発想になるだろう


すなわち、理想的な人間とは、万華鏡のごとく、「多面的」な人間であるということになる


人生の関心事、仕事や生活のスタイル、性的・社会的役割などにおいて、柔軟なしなやかさを持つ人間こそが理想とされる


いかなる行動にも、「影」と呼ぶべき相補的な対応物がかならずひとつはあり、それがしかるべき表現を与えられるのを待ち受けているのである、と考えられるようになるどろう


非分裂生成的な思考・関係のさまざまな方法をめぐって、実験的試みがなされることなもなろう--累積的にひだいするのではないパターン、満足を将来に引き延ばすのではなくそのままで満足をもたらしてくれるようなパターンを創り出そうとするのだ


◾️人間の文化


自然のなかに人間が調和することこそが大事だと誰もが考えるだろ


そうした社会がめざすのは


「ある領域を支配するのではなく、解放すること」


テクノロジーが我々の意識の隅々にまで浸透することはもはやなくなるだろう


テクノロジーが人間をコントロールするいう転倒した関係は消滅するのだ


医学、農業、その他いかなる分野であれ、人間はもはやテクノロジーの「薬」に頼ったりせず、長期的な見通しに立った解決策--症状ではなく病因にじかに取り組むような解決策--を選択することだろう


◾️政治について


大規模な脱中央集権化があらゆるレベルでの公共機関にわたって行われ、それこそが地球大の文化の絶対条件だという認識が生まれるだろう


地域に根ざした自律的な政治構造になるということ


こうして生まれる社会では、市民病院、食品生協などがかならずあり、地域の有効意識と自律が育まれ、テレビ、自動車、高速道路など、共同体を破壊するものは抹殺されるだろう


マスプロ教育に変わって、弟子が師に教わる徒弟制が生涯教育の形で行われ、それぞれの人間の関心の変化に適応できるようになるだろう


そのような社会では、人は職業(キャリア)ではなく、人生(ライフ)を持つのだ


都市はふたたび生と喜びの中心となるだろう


人は自分の仕事に密接して生き、仕事、人生、娯楽という区別がほとんど意味をなさなくなるだろう


◾️経済は


定常状態の経済がめざされ、小規模の社会主義、小規模の資本主義、直接の物々交換とが混じりあった経済になるだろう


資源の浪費は極力避けられ、可能な限り地域の自己充足がめざされるだろう


利益をそれ自体目的として考えることはほとんどなくなるだろう


他人や天然資源に対しても、搾取や儲けではなく、調和を念頭に置いて接するようになるだろう


経済学は生態学の一分野としての「生態経済学」となるだろう


◾️このヴィジョンに向かう変化を引き起こしつつあるもっとも強力な要素は


先進工業社会の衰退そのものである


工業経済は縮小し続けている


好むと好まざるとにかかわらず、定常経済への回帰は避けられない


◾️このような変化を引き起こす上で大きな要因になっているのが


社会に背を向けている何百万もの人々である


◾️労働者たちは


ブルーカラーもホワイトカラーも自分の仕事に何ら本来的な価値を見出せなくなっており、いまや仕事以外の場所に人生の意味を求め、仕事に対する忠誠心を失いつつある


現代の我々の生き方の精神的支柱であるプロテスタント的労働倫理は、経済がその倫理をもっとも痛切に必要とするときにはおそらく姿を消してしまっているだろう


◾️全体論的社会


右翼/左翼といった従来の政治的二分法を超えたさまざまな立場から、全体論的社会が我々に近づいてきている


フェミニズム、エコロジー、民族主義、超越主義(宗教的復興)


それらはみな、同じひとつの目標に向かって収束しつつあるのかもしれない


こうした運動は、工業文明によって抑圧されたけど「影」たちを代表していると考えるべきだろう


◾️周縁的な存在


「対抗文化(カウンターカルチャー)」のさまざまな要素を結び合わせる共通の絆はあるのだろうか?


おそらくそれは「回復」という概念である


◾️「回復」(recovery)という概念


本来我々のものであるはずの、身体、健康、性、自然環境、原初的伝統、無意識の〈精神〉、土地への帰属、共同体、人間同士の結びつきの感覚、そうしたものを回復することである


◾️『易経』の言葉


めざすべきは、人類全体が満足できる政治的あるいは社会的組織である。我々は、人生のもっとも根本的なところへ降りて行かねばならない。生のもっとも深い必要が満たされないような、表面的な生の秩序化などまったく無益であり、何ら秩序をめざさないのと同じことである


これこそが、あらゆる全体論的政治学の目標となっている


それは、今日我々が知る意味での「政治」の終焉をもたらす政治学なのだ


 


抜き書き以上です。


学習Ⅲという発想とベイトソンの全体論という世界観からここまで未来予想図が描けるというのが、これが30年前という平成始まってすぐ位のバブル崩壊前に書かれていたということに正直びっくりという感じです。


筆者はここの一群の文章で、ベイトソンの思想から導き出せる未来について、言いたいことを言いまくった後に、改めてベイトソンの考え方について、終焉に向かうべくして反証的に論陣を敷いているのですが、ここも面白い記述があり興味が惹かれる部分がありました。


著者は、抜き書きしたような未来の変化の兆しをベイトソンに触れたことで見出したのですが、生物学的見地からのベイトソンの立ち位置では、「恒常性」や内的一貫性の維持という法則があるから、生命や組織は、最初のナヴェンという性を入れ替える儀式のように、「対称的分裂生成がエスカレートすると、逆に相補的分裂生成が引き起こされ、それによってシステムの崩壊が回避されるという事実」があると言っています。


この恒常性という処を強調して考えると、筆者の考える未来と同様の可能性を工業主義社会の蔓延という形で迎えてしまうというようにも予測できてしまうとのこと。


そして、現実に我々が30年経った今経験しているのは、目下筆者の記述した未来へ挑戦中の我々がいながらも、工業からは脱して、別の道での錬金術的お金を生み出す資本主義の仕組みは今のところ恒常性を保って続いており、言うところの折衷案で進んでいますよという、言えて妙な面白い状態になっていますねというところでしょうか。


進んでいるとも言えますが、一方で、30年前から見えていた人には見えていた未来の枠の範囲から、僕らは抜け出られていないとも言えるわけで、寂しい気もします。


どこかで、恒常性という性質なのかどこかの誰かの意図なのかは分かりませんが、ある意味、新しい未来が見えなくなってしまっているのではないかという気分にもさせられます。


そしてそこから導き出したい希望的観測としては、ベイトソン的に言えば、この30年間の中で巧妙に裏に隠されてきたものが、もう一歩進めて、相補的にもうそろそろ表出してきて良いのではないでしょうかという意味で捉えたいと思っています。


この文章を書いているのは、コロナウィルスの騒動の真っ只中という感じなのですが、戦争や大災害で無数の人が被害にあいながら徐々に変わってきたことと比較すると、外的要因に言い訳できる状態で経済と生活のあり方が変わっていけるきっかけとして、この危機を上手く使えていけたのなら、また新しい全体性への一歩となるのではという希望を持ちたいということで、投稿させてもらいたいと思います。



 


元というのも気がひける位、通勤ラッシュの皆無な在宅勤務&ノロウィルスで寝たきりになり久々の読書三昧で遊んでいる多読書評ブロガー石井拝