島津墓地(西福寺跡)と、麓公園と ~鹿児島県南九州市の墓所・史跡・公園 | 九州下町おやじの珍道中

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20188月16日の鹿児島知覧町散策レポの続き。

 

知覧武家屋敷庭園」を見学した後は、最後の写真の橋を渡って、「島津墓地(西福寺跡)」に向かいました。

 

 

知覧武家屋敷庭園(その10)西郷恵一郎氏庭園・御仮屋跡のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12496464633.html

 

 

御仮屋跡」の目の前にある橋は「麓橋」。

 

 

麓橋」を渡って、知覧の街を西に進みます。ちなみに「麓橋」の中央部分は広くなっていて、円形のベンチがあるんですよね。

 

 

麓橋の下を流れる川は、麓川

 

 

結構曲がりくねっている川なんですね、麓川は…。

 

 

麓橋を渡ると、石灯籠や東屋、水車等があって…。

 

 

日本庭園のようになっていました。こちらは「麓公園」という公園になっているんですよね。

 

 

麓公園」にはモニュメントのような石碑があって…。『映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」ロケ地』と刻まれています。

 

 

台座部分に、由緒書きがありました。知覧町が映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」のロケ地となったことを記念して建立したものなんですね。

 

 

この映画は、太平洋戦争当時、特攻基地の置かれたここ知覧町で食堂を経営しながら、当時の兵士と関わった鳥濱トメさんや知覧高等女学校生徒、そして特攻兵士自身の家族との人間愛が描かれています。

厳しい戦況にあって家族や恋人を思いながら、国の為に命を懸けた若者たちの犠牲の上に今の平和があります。

知覧町は、特攻基地のあった町の使命として平和の尊さを語り継いでいきます。

 

 

麓公園」から更に西に進むと、左手に蔦が絡まったビルを発見。5階部分まで絡まっているのって、スゴい!

 

 

このビルの四つ角を右折、麓川を渡り、大通りを左折した後、路地を入って行くと、次の目的地「島津墓地」に到着です。

 

 

島津墓地」に近付くと、御社があって…。

 

 

由緒書き「島津墓地・松峰院西福寺跡西福寺は曹洞宗のお寺で、知覧島津氏の菩提寺で。3代佐多氏義の命により、覚隠和尚が応永年間(15世紀初め)に開山しました。

 

 

元々は、姓の由来となった大隅の佐多に建てたものを、知覧を治めるようになり移転したものです。

この墓地には、文和2年(1353)より知覧を地頭として治めた4代国主島津忠宗の第三子島津忠光佐多忠光)から現在のまでの歴代当主が眠っていて、忠光知覧島津氏佐多氏)の初代とすると、明治2年の版籍奉還の領主22代までとなり、初代忠光から15代佐多久利までは佐多姓、16代島津久逵から島津姓を名乗ることが許されています。

 

当初拠点となったのは、ここから約1.5km南東にある「知覧城」でしたが、天正19年(1591)11代佐多久慶の時に海賊事件を起こし、川辺の宮村(現南九州市川辺町宮)に転封となり、この頃、知覧城は火災により焼失したと伝えられています。

 

 

由緒書き「島津墓地・松峰院西福寺跡」の続き。

 

 

この事件により、知覧は島津本家の直轄地となり、次いで文禄4年(1595)から慶長4年(1598)まで、種子島氏が治めました。

慶長15年(1610)再び知覧領主に復帰した12代佐多忠充は、本拠(御仮屋)をここから約500m東の地点に移し、15代佐多久利まで知覧を地頭として治めましたが、久利が夭死した為、寛文12年(1672)藩主島津光久の五男島津久逵が佐多氏16代として迎えられ、延宝5年(1677)知覧を私領地とすること、正徳元年(1711)島津姓が許されています。

18代島津久峰の時に、御仮屋を上郡(現在残る武家屋敷群内)に移し、区画整理を行ったとされていますが、その時代は宝暦治水もあり財政的にかなり逼迫していたことから、現在の武家屋敷地区を整備したのは、知覧を初めて私領地とした島津久逵の可能性もあります。

 

 

由緒書き「島津墓地・松峰院西福寺跡」の続きに、「知覧島津氏(佐多氏)略系図」が掲示してありました。

 

 

真新しい墓石もあって…。

 

 

島津墓地」を進みます。

 

 

おお~!かなりの数の墓石が並んでいますね。

 

 

こちらにも…。

 

 

何列にも、墓石が並んでいて…。

 

 

こちらの墓石には「知覧君毅斉院殿之墓」とありますが…。ウィキペディアのよると、19代当主島津久邦公の墓石のようです。

 

 

墓地の奥の方にも…。

 

 

案内板がないので、どなたの墓石かは、全然分からず…。

 

 

石祠のような墓石もあって…。

 

 

照源院殿圓應義鑑大居士」とありますので、ウィキペディアによると、18代当主島津久峰公のもの。

 

 

立派な五輪塔も…。

 

 

第二十三代 島津剛二郎之墓

 

 

知覧君章徳院殿之墓

 

 

墓石はいろいろな形があって、興味深いものがあります。

 

 

当主の墓石くらいは、案内板があると、分かり易いんですけど…そういう訳にもいかないか…(^^;

 

 

麓公園」を通り、「島津墓地(西福寺跡)」をお参りした後は、「栄仙寺跡」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

麓公園

鹿児島県南九州市知覧町郡9付近

 

 

島津墓地(西福寺跡)

鹿児島県南九州市知覧町郡16547-2付近

https://www.city.minamikyushu.lg.jp/bunkazai-kanri/bunka/shinko/bunkazai/chiranchiiki/shimazu.html(南九州市HP)

 

 

 

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