2018年2月21日の佐賀県鹿島市散策の続き。
鹿島藩主鍋島家菩提寺の「泰智寺」を参拝した後は、「事比羅神社」に向かいました。
泰智寺のレポ
「泰智寺」から東に進み、浜川に出て、国道207号線に向かうと、右側に高台があって、長い石段が見えて来ます。
長い石段を上ると、鳥居があって、扁額には「事比羅神社」とあります。
鳥居の前からの眺め。おお~素晴らしい!結構登りましたからね(笑)
奥に進むと、平たいスペースが続いていて、御社がありました。
御社に近づいて…。
この場所は、高台なので、ホント、眺めがいい♪
古そうな石碑もあって…。
かなり広い面積で、平らな空間が続いているんですよね…ということは!?
由緒書き「臥竜ヶ岡公園(城の上の金毘羅さん)」。
浜橋の袂から高い石段を上った丘陵の先端に「城の上の金毘羅さん」と呼ばれる境内があって。広場中央の「事比羅神社」の社殿は昭和60年の再建ですが、もとは香川の金毘羅大権現を祀って建てられたもので、舟津地区の船乗りたちが篤く信仰し、海難防止などの祈願をした所です。
当時は、石段の下から参拝が直接できるように、船着場が造られていたと言います。
また境内一帯を「城の上」とも呼んでいますが、これは鎌倉時代の中頃に、原長門守貞光が砦を築き、「臥竜城」と名付けたことに由来します。
原貞光の先祖は、もと筑後国原村(現 原鶴)出身ですが、承久の乱で功を立て、神埼郡と佐賀郡に領地を得て、貞光の時代に「臥竜城」を築き、城の傍らに累代の菩提寺となる原山知恩寺を創建したと伝えられ、その後、原氏の臥竜城は伊土岐(いとき)(多良糸岐)の城主松尾氏に攻められ、度々の合戦の末、焼失。
知恩寺は江戸初期に八宿に移転し、跡地には「泰智寺」が建立されました。
やっぱり、城跡だったんですね♪
歌碑と石祠もあって…。
「臥竜城跡周辺史跡案内図」
こちらにも、大きな歌碑がありました。
更に奥に進むと、広場もあって…。
「臥竜ヶ岡公園」から国道207号線に出て、浜大橋を渡ると、左手に、酒蔵通りという肥前浜の歴史的建造物が建ち並ぶ路地があるんですよね。
この路地は、酒蔵通りと呼ばれているように、酒蔵が集まっているエリアになります。
白壁の町家も並んでいて…情緒ある、いい雰囲気♪
「肥前浜宿まちなみ案内図」。歴史的建造物がたくさん残っているんですよね、ここ肥前浜宿には♪
こちらにも、「肥前浜宿まちなみ案内図」がありました。
「肥前浜」は、以前訪問していて、レポしていますので、詳しくは、そちらをご覧下さい。
肥前浜宿の歴史的建造物(その1)
肥前浜宿の歴史的建造物(その2)
肥前浜宿の歴史的建造物(その3)
旧乗田家住宅 ~肥前浜宿の歴史的建造物(その4)
若宮神社 ~肥前浜宿の歴史的建造物(その5)
板金・錺師の家 ~肥前浜宿の歴史的建造物(その6)
肥前浜宿の酒蔵通りを歩いた後は、JR長崎本線肥前浜駅に向かうと、左手に、大きな樽が並んでいる敷地があって、奥にはレンガ積みの煙突が!
「漬蔵たぞう」という看板がありました。「田雑商店」さんという漬物を作っている会社になるそうです。奥に見える建屋も、古そうで立派です♪
漬蔵たぞうさんの敷地には、ミゼットⅡが置かれていて…
肥前浜駅に到着。あら?駅舎が見えない!?この日は、駅舎の工事中でした(^^;
「事比羅神社」「臥竜ヶ岡公園」「肥前浜宿」と見学した後は、肥前浜駅から列車で、長崎駅に向かいました。
その様子は、また後日。
臥竜ヶ岡公園・事比羅神社
佐賀県鹿島市浜町庄金4401付近
(佐賀県鹿島市観光協会HP)
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