鳥取県米子市を拠点に日本全国や世界中の方のお悩み解決をカウンセリングや占い(コイン占い)を使ってお手伝いさせてもらっているゲッターラボの藤原つとむです。

 

多くの人が「良い人生」にしたいって考えてますよね。

誰でも幸せになりたいってのは思うはずです。
でも、問題はその方法がいまいちわからないんですよね。

僕も含めていろいろな人がその方法ってのを言ってたりもします。

だから、それらを「次こそは」って渡り歩いている人もいると思います。


これ、たしかに明確な「答え」ってないんですよ。
「答えがない」って言うか「答え」が人によって違うんです。

例えば僕がよくお話する「素質」ってやつです。
生まれ持った素質ってやつでもこの「答え」が変わります。

いろいろな人がその「方法」を提示しているのだけど、そもそも「どれを選んだら」ってのがすでにわからない状態ですよね。


昔に比べて情報が容易に手に入る現代は、この「選択」がとっても難しくなってきています。
その選択で失敗をするのも「経験」なんでそれはそれで必要だってことも多いんですね。

人生っていうのはこの「選択」ってやつが連続して起き続けるんですよ。

「全てが運命で決まっていて、何も変えることはできないと主張する人でさえ、道路を渡るときには左右を確認する」ホーキング博士

「運命は全て決まっている」

「全ては任せればよい」

みたいに言う人いますが~それなら、ホーキング博士の言うように道路を渡る時に左右の確認は必要なくなりますよね。

だって、運命は決まってるんですからね~運命で「轢かれない」のなら目をつぶって渡っても無事に渡れるはず。


では、その「選択」って何で決めれば良いんでしょう?


これでグルグル悩んじゃったりしている人多くいますよね。

悩みを解決したかったり、人生を良くしたかったりって望みがあるのにそれを解決する手段を何を「選択」するかで悩んでいる・・・・

悩みが増えちゃてますよね(笑)

この悩んでいる理由の一つに「打算」が働いているからです。

「打算」って言葉をネットで調べてみると~「勘定すること。利害や損得を見積もること。」ってなってます。

「損したくない」「失敗したくない」って感情があるわけですよ。

これは良いとか悪いって話ではなくて、生物ですから当然の部分でもあります。
ここがあまりにもルーズのもそれはそれで問題ですからね。

打算することはよいんですけど、問題は「何を得」としているか「何を損」としているかなんです。


ここがあまりにも、目の前の数字ばかり追いかけてるんです。


さっきも書きましたが、「失敗」って言うのはほとんどの場合は「経験値」を増やしているんですよ。
「正解」の選択をした人ってほとんどは、多くの失敗があるからその正解を見つけれるようになってるんですね。

そう考えたら目の前の損とか得だけをみていると「経験値」が増えません。

増えないからいつまでも、「正解」を見つけれなかったりするんですね。


多くの人ってある意味で「賢すぎる」んです。


これは「やりたいこと」とか「好きなこと」を見つけるときも同じです。

目の前の打算が先に立ってたりするんですね。
もちろん、僕がよく言うように「好きなことを仕事にする」には「お金」を得れないといけませんから打算は必要です。

必要ですが、それは「好きなことを見つけてから」の事です。
打算が先になった時点で「好きなこと」ではないですからね。


この「選択」ってやつの「コツ」を教えましょうか~
このブログでも書いたような気もしますが・・・・セッションではたまに話します。

それはね~

「快」か「不快」か、それで選べばよいんです。

不快でもするのは、それをしないと「自分に大きく不利益がある」ときだけです。


これを言うと「そうだけど・・・そんな簡単にできない」って言う人は多いでしょうね。


もちろん、いきなり全てをってのは無理ですよ。

今までそうじゃない選択をしまくってきてできた「世界」になってるんですからね。


でもね~
思ってるよりはできるんですよ。

勝手に「こうでなくてはならない」って先に決めつけてる物があるから、「不快」なことをやってばかりになったりするんですよ。

さっき「不快でもするのは自分に大きく不利益がある時」って書きましたよね。

多くの人は、「不利益」だと思い込んでいる(思い込まされてる)だけで視点を変えてみたらそうでも無いことって多いんですよ。

仮に不利益だとしても、それを手放すことでそれ以上の「快」が得れるって事も多くあるんですよ。

僕がよく「自分らしく生きる」とか「自分の本質的に生きる」って事を言いますよね。

これ、自分らしいとか本質的って僕のパーソナル心理学とかで「素質」をみて客観的にしるのも大事ですが、ふだん「どれが自分らしい?」ってよくわからない時ってあるんですよ。

この「快」な選択をしている時ってのがその「自分らしい」なんですよ。

逆に自分らしくないとか本質的ではないときってのが「不快」なんです。


それでね。
これは話すとなが~くなるからまた別の機会にお話しますが(久しぶりに動画にでもしようか。。。)、自分らしく行きている人って「運」がよいんですよ。


ただ、一つ注意するのはこの「快」か「不快」ってある程度の「広い視野」も必要なんですよ。
最近のブログでよく書いてますよね。

好きなことをするにも「面白くな時間」ってのが必要だって。

前回の「不登校」のお話とかがまさにそうです。

突出した才能でもあれば別ですが、多くの場合はある程度この「面白くない時間」ってのをやらされてないと「快」か「不快」かが単なる「逃げ」になります。

突出した才能っていうのは「能力」の問題ではなくて、早い段階で自分が本当に好きなことを見つけれる人です。

「見つけれる」と言うよりは、「用意されてる」方が強いですけどね。

早い段階の人ほど、「自分」が見つけるというよりは用意されている感じです。
環境に依存している割合が大きいのです。


よく例えに出しますが「イチロー」がそうでしょ。
イチローさんは天才だし努力も凄くされていると思います。

でも、好きなことを見つける事やそれをする環境は自分では用意してはいません。
なのでこういう人は「役割」としてそれをやるんです。

でも、多くの人は好きなことを見つける為の能力とか環境とかは自分で多くの部分を用意しないといけません。

例えば、「社会性」。

これがなければ好きな事を仕事にしようとしてもほぼ不可能です。

「スタートライン」にすら立てません。


その段階で「快」「不快」であまりにも判断するのは、本当の意味での「快」「不快」を見失うことになりかねません。

なので、若い時はある程度は「やらされる」「やらなければならない」も必要なんです。


ところが、いろいろな人を見ているともうその部分は十分にクリアーしているのに、「快」「不快」で判断できてない人が多いんですね。


これね~

繰り返しになりますが、「そう言っても」とか「そんな簡単にできないんです」って人が多くいると思います。

確かにそうだと思いますよ。

思いますけど、だから「じゃあ、それはしなくても」って話ではないんです。


できなければ、人生ってのが「自分のものではない」ってだけのことです。

シンプルな話です。


「無理」って言ってる殆どの人は、そもそも「少しでも」やれる事はとかすら考えずに、思い込みとか刷り込みで「そんなの無理」ってなってるんですね。


全部じゃなくて良いですから、少しだけでの「快」なのか「不快」なのかで判断して、「快ならやる」「不快ならやらない」ってしてみてください。

その時の判断に「他人」とか「常識」とか「当たり前」なんて必要ないですよ。

少しづつでもできると、人生の「主導権」が自分も方に寄ってきますから~

それではこれで終わります。

 

LINE公式アカウントを作りました。

登録された方にはゲッターラボ独自の「持って生まれた素質」を分析する、パーソナル心理学で作る「分析シート」を御本人+1名分の合計2枚を無料で差し上げます。

登録が完了しましたら「分析シート希望」と公式ラインのトーク画面からご連絡ください。

友だち追加

●セッションとか受けてみたいって人や興味のある人

予約、問い合わせはこちらをクリック

ゲッターラボの公式ホームページはこちら
https://getterlabo.com/hp/

 

 

パーソナル心理学をメインに人間関係、自分と他人を知るをテーマにしたブログ

これを読めば人間関係や自分のことでの悩みを激減します。
https://getterlabo.com/

 
 

こちらにSNSとか動画のリンクがあります。
https://lit.link/getarabo

 

心と体のお話をこちらに書いています。

https://ai-ha-arunoka.blog/

 

 

 

口コミ、お店の概要など見たい人はこちら<クリック>

 

セッションなどのメニューはこちら<クリック>

 

占い&カウンセリング ゲッターラボ

 

対面だけでなく電話でのセッションも行いますので、県外の方でも可能です(通話料無料)

ホームページ
料金・メニュー
お客様の声
お店の情報
ゲッターラボの取扱説明書
Facebookページ
人生が楽しいに変わるかも知れない動画


特別な才能、過去、生まれ、環境、全てを投げ打っての努力、ドラマチックなストーリー・・・そんなものを持たない普通の人の人生を「幸せ」で楽しい方に変えるのが僕の理念です。

そんな「特別」がなくても「人生は楽しめるんだ」って証明したいのです。