ローマ軍の野営地『カストラ』 | 鳳山雑記帳アメブロ版

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 これまで何回か書いたと思いますが、共和政期、帝政期と通じてローマ軍が強かった理由は兵站を最も重視した事です。海路を使えれば主要な港を押さえ、内陸を進軍する場合は要所要所に野営地をもうけ補給拠点としました。この野営地を『カストラ』と呼びます。西洋で城を意味するキャッスルの語源です。カストラ自体はエトルリア起源とも言われますが、すくなくともポエニ戦争時には骨格が出来ていたとされます。

 

 カストラは、3日間の野営地、4日間の野営地、行軍中の野営地、冬季の野営地、夏季の野営地、恒久的な野営地など多くの種類があり、ローマ軍は必要に応じでこれを造りました。軍の規模によってそのサイズも決まっており、そのためにローマ軍には測量技師や専門の工兵が従軍します。短期の野営地の場合は、テントを張って寝泊まりしましたが、恒久的な場合は城壁も石造り、宿舎も建設され要塞となります。

 

 軍団のどの部隊がどこに泊まるかも場所が詳細に決められており、ローマ軍は1日の行軍の終わりに土地を測量し、でこぼこした地形の場合は整地してカストラを建設しました。この動きはマニュアル化され、そのための資材もあらかじめ用意されます。カストラの適地は緩やかな丘陵の頂上部で広い土地が確保できるところ。近くに川が流れ飲料水と軍馬用の水、牧草が確保できる場所でした。

 

 ローマ軍の戦績を見ていると、緒戦で負けることもありましたがカストラに一時撤退して態勢を整え最終的に勝利するというパターンが多かったようです。古代、ローマ軍ほど兵站を重視した軍隊はなかったように思います。それはローマ人の几帳面な性格もあったのでしょう。兵站を重視するゆえに極端に多い軍隊も動員せず、必要十分な兵力で長期間戦える態勢を作りました。これではさすがのギリシャのファランクスも、ゲルマン人やガリア人も敵いませんよね。ローマが地中海世界を統一したのも必然だったのでしょう。