この日はリニューアルオープンした、驚安の殿堂MEGAドン・キホーテ港山下総本店にやって来ました。
この場所には2000年にオープンしたMEGAドン・キホーテ山下公園店と、その隣に旧国家公務員宿舎・
新山下住宅の敷地がありましたが、それらの土地を合わせて新たに建物を建設しています。
以前あったMEGAドン・キホーテ山下公園店の土地と旧国家公務員宿舎の土地との間には、
開港期の海岸線を示す石積み擁壁・旧イギリス海軍物置所護岸がある事は分かっていましたが、
今回、この2つの土地に跨る様に建物を建てる事になり、この護岸がどうなるか心配されていました。
横浜市教育委員会は以前、極めて貴重な土木遺構であり保全に向けた協議を進めると話していました。
その後、建物を建てるためにやむなく、全長約65mの護岸のうち約10mを残して撤去されますが、
市教育委員会は、残された護岸を誰でも鑑賞できる環境を整えるよう事業者と協議を進めていました。
ドン・キホーテ側も、残った護岸は建物の内部から見えるように検討していきたいとしていましたが、
建物が出来てみると、残った護岸は僅か1m程度、建物の外に一応形だけは残しましたって感じです。
場所も移動されているのでは???歴史への敬意のなさ、今回のドン・キホーテ側の対応は残念です。
MEGAドンキ港山下総本店、入り口階段の脇・・・ ↓
スロープを奥の方へ進んで行くと・・・ ↓
旧イギリス海軍物置所護岸の解説がありました・・・ ↓
解説の横には明治10年代に撮影されたとみられる写真が掲示されています・・・ ↓
碑文・・・旧イギリス海軍物置所護岸
この先に見える石積み擁壁は、「旧イギリス海軍物置所護岸」の一部です。開港後、山手に最初に進出したのは外国の軍隊でした。山手が居留外国人の住宅地として開放されるのは、幕末の慶応3(1867)年のことですが、それに先立つ文久元(1861)年、イギリスは山手の丘陵地の北端を、海軍物置所の用地として取得しました。石積み擁壁から奥が、かつてイギリス海軍物置所が所在した旧山手居留地117番地で、擁壁の位置が当時の海岸線に当たります。当初の護岸の状態は明らかではありませんが、明治10年代の撮影とみられる写真には、木造の谷戸橋(現在よりも下流に架けられていました)の奥にイギリス海軍物置所が写っており、四角錐状の間知石を積み上げた護岸が築かれていたことがわかります。その後、大正4(1915)年から前面の海面が埋め立てられ、埋立地は大正12(1923)1月に横浜市へと編入されて、新山下町と命名されました。同年9月1日に発生した関東大震災では、この広大な埋立地が多くの罹災者の避難場所となりました。護岸はこのときに一度埋められましたが、平成11(1999)年におこなわれた工事で発見され、再びその姿が見られるようになりました。石積み部分には修復の手が加わっていると思われますが、この擁壁そのものが、開港当時の海岸線の位置を示すものとして貴重であり、幕末・明治初期の土木遺構としても、「象の鼻防波堤」と並んで最古級の存在です。
平成30(2018)年11月 監修:横浜都市発展記念館
そして、これが旧イギリス海軍物置所護岸です・・・ ↓ 約10m残っていたはずですが、これだけです。
白くなっているのはコンクリートが掛かっているのか???雑な作業です・・・ ↓
ちなみに、店内にあるエレベーターの扉には横浜三塔が描かれています・・・ ↓
エレベーターの中はこんな感じ・・・ ↓
階段ではドンペン君がU・WやU・W・2の旗を振っています・・・ ↓
店内で見られた歴史への敬意を、護岸にも込めて欲しかった・・・ ↓ そんな、MEGAドンキでした。
MEGAドン・キホーテ港山下総本店〓fab44〓旧イギリス海軍物置所護岸