9月10日(月)乙巳・新月・旧八朔・七赤・友引・なる・危・ペルセウス座ε流星群が極大(出現期間9月5日~9月17日)・新月・21P/ジャコビニ・チンナー彗星が近日点を通過(周期6.5年)・21P/ジャコビニ・チンナー彗星が地球に最接近


 


先ほど天気予報を観ると、11日は、「10日まで雨が続いていましたが、広い範囲で晴れる」と、ありましたが、



私の予報で、9日は天候の崩れ。11日は、暑い日と、高気圧を示唆していましたので、見立ては、遂行されていました。


地震のポイントも、6日以降の中規模ポイントを、9日の19時前後数時間としていましたが、9日の22時台が、6日以降の国内では震度4(M5)でしたので、ポイントは抑えました。



今年は、地震予想に、占い師のラブミーさんとか、参入してきましたが、



私の見立ての影響で、始めた痕跡が強そうですね。ただ、ところどころ、見立て方がわからないので、毎日、ここを観ていることでしょう。



さて、物事の痕跡と言えば、今年、「推理小説界」に、大きな事件がありました。



正確には、昨年なのですが、私も今夏のドラマ化で、初めて、その事件を目にして、



推理小説の歴史において、ようやく待ち人が現れたと、歴史の扉が開かれようとしている印象を受けました。



その事件とは、井上真偽さん原作の『探偵が早すぎる』という作品が(昨年)登場し、今年、ドラマ化されたことです。



私も現放送中のドラマで知りましたが、まず、観ようと思った動機が、賞から、書き方など、Wikipediaから、「これは、チェックすべき作品に値する」と感じ、



一話は見逃したので、二話を視聴して、しばらく、これは、演出が悪すぎる、探偵が格好が悪い。(いつも、この局がドラマ化するとムード、画面が暗く、演出がよくないので)



これは、解決部分だけが見どころかと思い、人物、展開などは、外れだと、思っていましたが、



この作品は、誰が、そう思い、誰が評価するのか、



この構造の目の付け所に気付いた時、



この作品こそ、私の考えていた、E・クィーンの墓地をひっくり返すことが出来て、



江戸川乱歩と、横溝正史が、大きな拍手をして、



作り手と読者(視聴者)、皆が、あるところまで救われる。



縁起の悪い推理小説の世界観、歴史において、新しい扉を開いた、



真の構造改革を、やってのけた大問題作だと、気付いて、膝を打ちました。



まさに、世界中の推理作家たちと読者が、待っていた待ち人。



しかし、これほど、観始めて、コントでも始めたのかと思わせるような、



作りで押す流れは、原作者も脚本家も、人間の描き方は、



あまり、うまくはなく、それを描く時間を費やせないこともありますが、面白味はあまり、感じにくいのですが、



それと、構造は別物です。



この価値に気付いた人は、いえ、推理作家なら、誰もが、ああっ、探偵をいくら考えても横並びだし、その線上で考えていて、馬鹿らしくなったけど、



井上さんは、絶対にそれまでの構造を頭と、力技で完全に打破し、しかも皆を幸せにもっていった、やられた!



と思うはずです。



さて、その前に、推理小説史において、定義されていないところで、



私が定義を考えたことがあります。そして、その定義を用いると、



推理小説の歴史とは、どういうものであるかも説明できます。



それはE・クィーンとは、どういう存在であるかです。



その定義が、言語化されていないため、どうしても、妙な混ざり方で、



推理小説空間がわかりにくくなっているのですね。



E・クィーンのような先人が何故いまだに、崇められているのかわからない。



そう思い、古いのではと思うでしょうが、E・クィーンほど、緻密な作品はなく、



皆、それに近付こうとして、ある時期、ある部分まで達しました。



それが、横溝正史の長編作品だったのです。(私の分析では)



江戸川乱歩は、その原稿を読み、膝を落として、その才能に愕然とした。



戦争中に、自分は、筆を折りかけつつ、しかし、横溝正史は、



疎開先で、大作を書き上げ、自分のやりたかった、



E・クィーンのような作品を、まさに、構造、構成などメカニズムだけは、



高度で、その舞台を、疎開先で得た伝説などを用いて、



オカルト風に仕上げたことに驚いたわけですが。



でも、一番、驚いたことは、E・クィーンのような長編を書きたかった自分でも出来なかった、メカニズムたっぷりの長編本格推理小説を、横溝正史が先に書き上げたことでした。



そう、まずポイントは長編です。数年後、「本陣殺人事件」は映画化され、横溝正史は人気作家に。



さて、今書いた、高度なメカニズム、長編。



これが、E・クィーンの内実なのですが、私が気付いた定義は、



ある方の作品を例題に出してこそ、その意味が浮かび上がります。



それは、



島田荘司さんの「占星術殺人事件」と、京極夏彦さんの「狂骨の夢」



特に、京極夏彦さんの「狂骨の夢」が、私のE・クィーンとは?



その定義において、その視点から、クィーンを追い抜いた、



作品と、分析しています。



この作品も、文章を読み始めて、面白味が薄く、ページをめくる手は止まる連続ですが、最後まで読み、気付きました。



京極夏彦という方は、ただ一つだけのためにこの作品を描いて、



他のことは、全て、そのため、いえ、オリジナリティを含めるために、あえて魔性な雰囲気を用意した。



そして、この作品は、まったく、妖怪などは出てこず、完全なリアリティを貫き、



やりたいことを、遂行したと。



そのやりたいこととは?それは、E・クィーンにおける私の定義そのものです。



まず、E・クィーンの定義とは、伏線の数



なのです。この伏線の数がもっとも多い作家が、E・クィーンなのです。



さらに数学的なミステリーまで書いていますから底なしですね。



数学、物理面で超えたのは、森博嗣さんですが、森博嗣さんは・・・。



そして、京極夏彦さんは、私の考える、



E・クィーンとはという定義において、



つまり、「E・クィーンとは、伏線がもっとも多い作家。そこが世界単位での評価ポイント」



その伏線の数を、追い抜いた、そして、



だからなのです、あれだけ、厚いのは!



オカルトは、二義で、実は、あの厚さにして、あれだけ、お寺の中



昔からある宗教の儀式やらなにやら、徹底的に、ものすごい伏線を



用意して、怪しい話に持っていきながら、やりたかったこと、



人生の目標は、E・クィーンを超えることだったことに、私は読後、気付きました。



ですから、広く推理作家の中でも評価されたのでしょう。(森博嗣さんはの続きは、森博嗣さんは、その数におそらく達していないのです。その他は、京極夏彦さんよりも、色々な意味で高度なミステリですが。ただその一点だけの負けです。クィーンは、生きていればそこを観るので、それゆえ凄いのです。小説は面白味がないため次作を観たいと思えず、森博嗣さんは、次作が観たい=言葉が魅力的だからかもしれませんね。詩人面と推理面と数学物理面において、やはり高度ですし



ですから、京極さんにとってオカルトとは、表向きの顔で、その心、目的は、ただ、ただ、E・クィーンの伏線の数を超えること。それが目的だったはずです。



短編では、数は絶対に超えられないので、長編にこだわったのでしょう。



さて、そうなると、もう一つの達成があり、後は、数を増やすか、変形させるかで、その後の推理小説界は進み、



森博嗣さんの登場で、物理学的になり、その影響を受けた、西尾維新さんの登場で、デビュー作だけ、E・クィーンと同じ構造で、次第に、そういう型から外れて、もうそういう路線ではなさそうですが、



しかし、水面下で、何がなされていたか。



それは、伏線の質、その競い合いでした。



東川篤哉さんだけ、「謎解きはディナーの後で」で、TV化されましたが、



実は、彼のように、「お嬢様の目は節穴ですか」と突っ込む執事探偵のようにはキャラを立たせられず、しかし、伏線の質だけ高かった、



若き書き手が、十数名はいたのです。



(綾辻行人さん達の世代の次か、次の世代ですね)



キャラが、ドラマ向きでないものの、ロジック、トリックの質の高い、柄刀一さん、



ロジックの腕は、東川篤哉さんと同等の(つまり二人ともE・クィーンが念頭にある)石持浅海さんなど、



私は次のドラマ化は、石持浅海さんかと思っていましたが、



昨年、5月29日という、何故か(コナンドイルに、横溝正史と)5月25日頃生まれは、推理作家向きに思える5月後半に生まれた麻耶雄嵩さんの「貴族探偵」が、



昨年で(作者において最高の)金運の訪れる日に、ドラマ化されました。



世間的には不人気でしたが、麻耶雄嵩さんの評価ポイントは、論理性。



伏線の質の高さです。



世間的には、面白くないと言われても、この伏線の質は、江戸川乱歩、横溝正史、そして、麻耶雄嵩さんが、異常に敬愛していたE・クィーンが観れば、



この伏線には、高い技術を感じると、評されると思えるレベルです。(面白さは別でも)



でも、何故、E・クィーンがそう言うと、想像できるかと言うと、



作者の創作意欲とは、E・クィーンに挑戦したい意欲であるからだと推察できるからです。



作品という痕跡から。



(故)クィーンに認められ、クィーンに褒められるように作っているはずですよ。

(E・クィーンに対する考え方が異常としか思えないので、デビュー当時は)


有栖川有栖さんの言う、「E・クィーンこそ、20世紀最大の哲学者」と言うのは、



ちょっと、言い過ぎだと思いますが・・・。



哲学者というより、論理的に、読者に伏線をきちんと提示しておき、それをきちんと納得させるように回収する、一流の職人という立ち位置ではないですか?


さて、次のドラマ化は、東川篤哉さんと同期デビューの石持浅海さんかと思いきや、


井上真偽さんの『探偵が早すぎる』でした。私は知らなかったので、



多くの先輩を差し置いて、ドラマ化されるとは、絶対に大物だと思い、視聴して、会話のやり取りに、これは外れたと思いきや、


この作品こそ、一時の推理小説界は、探偵のキャラで競い、



現代は、伏線の質で、作家の差を競う中で、そういう角度とは違うところに(推理小説史において、きちんと歴史まで意識して)視点を移し、それでもきちんと、E・クィーンが読んでも、これは、



「推理小説構造改革作品」と、口にするのでは?


それに気付いた時に、涙が流れました。



救いのない推理小説という空間に、ロジックの質を、まったく落とさないまま、



救いを持ち込んだ作品。



いや、これは、大事件です。



出来れば、主役のチャラ男探偵以外にもう一人、探偵を用意してほしいですが、しかし、キャラがどうとかの話ではなく、構造改革の成功作品なので、その価値の方が数十倍はあります。



そう、この作品こそ、犯罪者が、犯罪を計画実行する前に、



頭と舌が速すぎる(ノリも軽すぎる変な)探偵が、その事件を、推測して、



そして、犯行を実行する現場に行き、必ず、何か面白いシチュエーションで登場して、



事件が起きない前に、つまり人が殺害されてしまう前に、



物凄い軽いノリで、ダダダダダと、直接的に言わず、遠回しに、



うんちくを口にしながら、要するに、「お前がこれからこういう犯罪を犯そうとしていることは見抜いている、



そして~



決め台詞までを用意!

(この決め台詞を用意したのも探偵の色付けとして評価ポイント)



「神のものは、神のものへ、カエサルのものは、カエサルに。



(これからトリックを行おうとするお前に、これから行おうとする



犯行トリックを、そのまま)



トリック返しだ!」



と言って、謎解きと、さらに、犯人の行う道具などで、その犯人に、



それを、味わせることまでを構成した、しかも、そのまま行うと死んでしまうので、


 


「殺しは俺の美学に反する」と、



死なないレベルで、よく似たトリックをその場で、目には目を歯には歯をという感じで、トリック返しをして、



事件が起こらない前に、解決してしまう作品。


 


この構造は、素晴らしい発案です!



E・クィーンの墓が(反応して)少し動くのではないかと思えるレベルでしょう。



しかも、ただ見抜くのではなく、きちんと、伏線を用意していて、



探偵が勝手にわかった構成にはせずに、きちんと、犯人の



痕跡もチラリと触れて、観る人が推理できる余地を残している点を忘れずにいること。



ですから、これほど飽和していた推理小説の歴史において、



新しい風穴を開けた、まさに、構造改革成功小説と、呼べるのではないかと思います。



人が死ななくても(死んだ人もいますが)、高度な推理、即ち伏線を魅せながらも、



普通の本格ミステリーとしても、完成している。



まさに、待ち人、来るの、作家に値します。






9月後半から、お会いいたしましょう。



秋の東京出張鑑定 (本年最後)  」



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