さようなら、ありがとうございました。またいつか。 | - 堕ちていく心に贖罪を描いて -

- 堕ちていく心に贖罪を描いて -

日常、ピグ、ゲーム、ときどきイラ&小説

今まで生きてきた中でこんな猛暑は経験したことない、

今まで生きてきた中でこんな強風は経験したことない、

そんな平成最後の夏。

 

今度は大地震ですか。

 

どうなってるの日本の天候と天災。

 

被災してしまった方々にお見舞い申し上げます。

 

なんだかこの夏だけで災害への意識がぐっと高まったような気がする。

 

停電時に使うライトとかモバイルバッテリーとか蝋燭とかコンロ用意して、

水とか買って備蓄の食糧とか確認したり、

停電時にトイレを流す方法とか確認してみたり。

 

ホント オリンピックがどうのとか言ってる場合じゃないよね、

もうオリンピックやめてお金そっちに回しなよ、って思った。

 

 

 

あ~ それと、マイページ、

デザイン変更で使いにくい。

 

余計な情報が目立って 知りたい情報がないがしろに・・・・・・どうしたものか。

 

 

 

 

さて、突然ですが ハ月の終わりに祖母が亡くなりましてね。

 

ここからが本題で、

今回は ばばとの思い出をつらつらと綴っていこうかと思います。

 

時間差はけっこうあるけど、いままでに祖父が二人亡くなってしまっているので、

これで自分がじじばばと呼べる存在は残すことたった一人となってしまいました。

 

当たり前に存在するものだと思ってたのにね、

そう思っているものって ある日突然あっけなくいなくなるものだよね。

 

で、 先日亡くなったばばなんですが、

子どもの時に遊びに行くと優しい笑顔で 「おかえりなさい」 って言ってくれてたのが

今でもすごく鮮明に思い出せるくらい印象的だった。

 

とことん働き者で 全然じっとしてることがなくて、常に動き回ってたな。

 

みんなでご飯食べる時も、みんなが早く座んなよって言ってるのに全然動きを止めなくて、

みんなが食べ終わった頃にようやく座って食べ始める感じ。

 

そんな遠慮しいな性格のばば。

 

一見穏やかそうに見えるけど、実はそうでもなくて、

孫の為に鶏しめて鍋作って出してくれるような そんなたくましさもあったな。

 

あと、怒らせるとけっこうめんどくさい。

 

そんなばばがねー、数年前から認知症ですよ。

 

孫たちはおろか、我が子ですらよく覚えていないみたいで、

被害妄想が激しくなって 攻撃的な感じになって夜中に騒ぐ。

 

そんな期間が多分3~5年くらい続いたと思うんだけど、

それが今年の6月頃、春から夏に変わるぐらいに体調を崩して。

 

去年も同じくらいの時期、季節の変わり目にちょっと元気をなくしたんだけど、

その時は回復したのに今回はダメだった。

 

それまで特に大きな疾患もなく体は元気だったんだけど

それをきっかけに寝たきりになっちゃって一切起きられなくなった。

 

食べ物もいままでは問題なくモリモリ食べてたのに、

寝たきりになってからは口からは全然食べられなくなった。

 

そこから点滴だけになって、急激に弱っていって、8月末に。

 

本当は7月の終わり頃にはもうダメかもって容体だったけど、

8月の終わりまでよく頑張ったなって思う。

 

「おじいちゃん、お迎えはまだちょっと待って、まだ連れてかないでー」 って思ったな。

 

最後の方はほんとに目が虚ろで声も出なくなってた。

 

それでこの前 式を終えた。

 

亡くなった日は平日の昼だったのに、

連絡したら親戚みんながその日の夕方には集まってたのはすごいと思った。

 

これもおばばの人徳かしら?

 

まあ、その前からチラチラと連絡はしてたから みんな心構えがあったのかもだけど。

 

 

 

 

おじいちゃんのお通夜の時も 本人がその場にいたって従姉妹も言ってたし、

今回もきっとおばあちゃんはみんなのそばにいたのだろう。

 

線香の周りをクルクルと回っていたという

写真に写ってたでっかい白丸がそうだったのかしら?

 

今では頼りない息子(父)のそばにいるらしい。

 

じじばばのためにも頼むからしっかりしてくれ父よ・・・ ;;○| ̄|_

 

おばあちゃん、

生前はよくおじいちゃんと早朝からよく分からないケンカをしていたけど、

そっちでは二人仲良くね。

 

【二人のケンカ、一例】

 

ば 「じいさま、行くぞ!」

 

じ 「どこへや!!」

 

噛み合わない二人・・・